こんちは、こんばんは、心理法務セラピストの岡田一志です。
自己紹介ページに来てくれてありがとうございます。
このブログでは、笑顔あふれる人間関係をつくるための情報を発信しています。
ジャンルは問わず、食らず嫌いせずに食べて、出していきます!
これからよろしくお願いします。
目次
プロフィール
名前
岡田一志
性別
漢
出身
埼玉県
学歴
某法科大学院卒
資格
- 普通自動車(MT)
- 大型自動二輪(一発試験で取得)
- 宅建
- 司法試験短答式試験合格
- 行政書士合格
- 秘書検定2級
見た目
おでこ広めです。
ロン毛がめちゃ似合う(と思うので)、今伸ばしてます!
職歴
- 陸上自衛隊(上官にいじめられ退職)
- 物販ビジネス(リボ払いで仕入れしすぎて破産)
- 弁護士補助(女弁護士にパワハラ受けて退職)
- 心理やスピリチュアル関係の会社(社長にたてついてクビ)
結論、単純作業と組織は性に合いません。
現在、「ビジョン心理学」を学んでおり、それと行政書士資格をかけ合わせた新たな法律家像を構想しています。
持ち味
- 感受性
→合う合わないがハッキリしてます。そんで、自分の意見をハッキリいいます! - リーガルマインド
→物事の原因を深く探究する力です。
もう少し詳しく言うと、物事をそれ単体としてとらえず、他のものと関連づけて、法則化して、それを現実社会に適用していく力です。
法律を扱う仕事以外でも、必要な力であり、それを身につけるのが「法を学ぶ」という事です。
性格
ADHDです。ずっと座っての細かい作業や単純作業が苦手です。
他方、積極的に発言したり、人の前に立って話すのが得意です。
本番に激つよです。
人間関係は、狭く深く。
入ったら愛情深いですが、いかんせん入口がキツキツなのが、悩みの種です。
年齢
精神年齢は103歳で、肉体年齢は18歳です。
4回くらい輪廻転生しているらしいです(過去世は全部女性なので意外に女性性が強く繊細です)。
ペット
Myぬか床にいる菌。
朝飯の、バナナの糠漬け。
最高にうまい。 pic.twitter.com/sh01GQjcvz
— 岡田一志@心理法務セラピスト (@Kazushi_Okada) July 9, 2021
それと、新しい仲間、パキラ。
パキラがいい感じで育ってます!
新しい葉っぱ(中央から右の方)が、しわのある古い葉っぱ(左の方)を追い抜いていきます
抜かれた方は、日に当たらず、枯れていきます
競争です
だけど、幹も、根っこも、そして別の株も、元々は同じなのです https://t.co/ZPkQyb4xPs pic.twitter.com/JpLTvptSz6
— 岡田一志@心理法務セラピスト (@Kazushi_Okada) July 3, 2023
趣味
- 健康維持(特に食生活に気を使ってます)
- 映画鑑賞(特に一昔前の洋画の名作!)
- ラジオ(NHKの「高橋源一郎の飛ぶ教室」が好きです!)
- YouTube鑑賞(一人一人がテレビになる時代!個性爆発バラエティーで面白いし、国による情報操作に巻き込まれない、より真実に近い情報を得られます!)、
- 音楽鑑賞(カーペンターズ、ラルク、椎名林檎、宇多田ヒカルなど。邦楽は1990~2000年くらいが好きです。しかし、年代には特にこだわらずにいいと思ったものを聞きます。カラオケではhydeを降霊させます)
- 読書(偉人と会話できるコスパ最高の学びです!)
人生の目標
- 心から信頼し尊敬し合う仲間・伴侶とワイワイ楽しく過ごす
- 金銭的自由を経て、「大好き」だけに囲まれた生活をする
- 物事の背景や問題の根本原因を診て、寄り添える人になる
このブログを作ったわけ~岡田一志の生い立ちを添えて~
僕がなぜこのブログを作ったかというと、自分を発信し、仲間を作り、みんなで「笑顔あふれる人間関係」を創る力を高める場が欲しいと思ったからです。
こう想うに至ったストーリーを、生い立ちから遡って語らせていただきます。
弟から「コミュ障」と言われる男
僕は、小さなころから、自分が納得できないことはできない性格でした。
小中高の授業も、「なぜ、これを学ぶのか」といつも思っていました。
なぜ、鎌倉幕府ができた年代を暗記しないといけないのでしょうか?
そんな知識、社会に出てから使えるとは思えないし、百歩譲っと使えるとしても、その理由を納得いくように説明してくれる人に出会ったことがありません。
「なぜ」がわからないとやる気が湧かないんです。

小学校までの授業はまだワクワク楽しめましたが、中学に入るとてんでだめです。洗脳されているようで、苦痛でした。
しかし、みんなはそれをロボットのように手際よくこなして、評価されていく…
僕はそんな周りを尻目に、授業中はいつも寝たり、隠れてイヤホンで音楽を聞いたりしていました。
マラソン大会やそのほかの行事もすっぽかしました。
先生には嫌われ、いつも成績はビリッケツです。
イケメンでもなく、スポーツも背の高さも中途半端。
そんなアウトローかつ弱々しい僕ですから、学校でも良くない目立ち方をしたあげく、いじめられました。
当然、女の子からもモテない。
僕には、夏のポカリスエットのCMに出てくるような、青春学生ドラマなんて浮いた話はなかったのです。
先生の言ったとおりに勉強ができて、カッコよくて、女の子にモテるサッカー部キャプテンを横目に、僕はわずかな友人とゲームしたり、鬼ごっこしたり(高校でもやってました。校舎での鬼ごっこは最高です!)、箒でスターウォーズごっこしたり、自分の箱庭で細々と楽しんでいました。
プライベートでもそんな感じです。
正月とか、家に親戚が集まったり、親戚の家に行きますよね?
妹はなんの疑問も持たずに参加する。
だけど僕は、「なんで行く必要があるの?」と「?」が頭の上に漬物石のようにのっていました。
わざわざおめかしして、必要と思われないうわべの会話をダラダラと長時間しにいく環境に、僕はすごく疑問を持っていて、早く自分の部屋でゲームしてェと思ってました。
そして、普段はいつもケンカばかりしている両親は、親戚の前では笑顔で気を配り、「普通の夫婦面」をしているのです。
だから、僕は親戚が来たり、親戚の家に行ったとき、いつも仏頂面でむすっとしてました。
「わかってよ」「助けてよ」
当然、みんなと仲良く楽しい会話なんでできません。
そんな僕をみて、周りの人は僕の事を、協調性がなくて、場の空気を乱し、何を考えているのかわからない奴、と思っていたに違いありません。
親戚のおばちゃんには、「なんで来たの?」といわれたり、弟からは「コミュ障」と言われたりしました。
そして、まずますぼくは自分の世界にはいっていったのです。
寄り添うこと。理解すること。僕ができること。

そんな風に、「納得できないことは受け入れない」不器用な僕。
だけど、その鋭い感受性や正義感覚は人の役に立つこともありました。
中学校で僕以外にいじめのターゲットにされて一人ぼっちで泣いている人に「僕は味方だよ」といって声をかけたり、一緒に遊んだり、周りを気にせず友達として接しました。
不条理に人から排斥されることの痛みと怒りを感じ取れるからです。
その後しばらくして、その子のお母さんから

というお礼の言葉を伝えられました。
「ありがとう」言ってもらえるのは、その頃の僕にとって衝撃でした。
そのとき、こんな僕でも人の役に立てるんだと生まれて初めて自分を誇らしく思えたのです。
これが、僕の道だと、そのときなんとなくわかったのだと思います。
僕は社会不適合者じゃない。
僕を必要としてくれる社会が僕を待っていて、そこで輝ける。そういう希望の灯台ができたのです。
法律を学ぶ

不条理と戦うにはどうすればいいのか、考えました。
とにかく力をつけなければならない。
力がなければ強い奴につに潰されてしまいます。
では、力はどうすれば得られるのでしょうか?
最も強い力を持つのは、国家です。
どんな強い人も国を相手にできない。
では、国家を使う術はないのでしょうか?
あります。それが、法律です。
法律とは、社会規範であると同時に、その実現を国家を使い実現できるツールです。
例えば、いじめを受けて精神的損害を被った場合、不法行為に基づく損害賠償請求権(民法709条)が発生して、裁判所に訴えれば慰謝料がもらえます。
また、侮辱や名誉棄損、暴行は、刑法上の罪になるので(刑法231条・230条・208条)、警察や検察に被害届や告訴をすることで、裁判にしてもらえ、処罰してもらえるのです。
「これだ。この力が必要だ。」
僕の鋭い感受性と、法律の力が合わされば、僕は輝ける。
そして、そのような法律の力を縦横無尽に使える職業といえば、弁護士だ。
法曹界こそ、僕を必要としている社会なんだ。
そして、弁護士は最難関の司法試験を突破して得られる最強の資格であり、これを取れれば僕の今までの汚名は返上です。
両親を見返すことができる。
いや、僕は両親に愛されたかったのかもしれません。
だから僕は、弁護士になるべく、大学、法科大学院とすすみ、貪るように法律を学んでいったのです。
単なる暗記には知らず、じっくりと理解することを心掛けました。
知識に価値はあまりなく、その根本にある「考え方」の方に価値があると感じていたし、その方が面白いからです。

中・高と打って変わって、成績は良かったです。(大学は主席で、学術賞を受賞しました。法科大学院ではNo.2)。

そして、意気揚々と、人生初の(新)司法試験を迎えました。
司法試験論文式試験不合格

司法試験は、短答式試験(マークシート)と論文式試験(文章を書く)とで成りたっています。
短答式試験は通っていました。
だけど、論文は、その圧倒的分量と時間の足りなさに翻弄され、全然伸びませんでした。
ショックでした。
僕が嫌いだった、予備校本を使い浅い知識を丸暗記するライバルが受かっていき、マジメに偉人が書いた基本書と格闘し、法律とは何ぞやを考え抜いた僕が取り残されたのです。
今は知識なんか、いくらでも手に入るんだから、知識を問うても実用性がない。
問うなら、「法的思考力」だよ。
— 岡田一志@心理法務セラピスト (@Kazushi_Okada) June 21, 2021
時代の先を見れば、知識を大量に暗記することに意味がないことなんかわかるのに…
じっくり問題に向き合える時間をもらえれば、誰よりも論理的で説得力のある書面を作れるのに…
不条理だ。
ようやく僕の居場所への扉が開くかと思ったのに、突っぱねられた。
僕は司法試験に絶望しました。
「強さ」って何?

僕は自分の進むべき道を見失いました。
ロースクールと司法試験初受験を終えたとき、気がついたら三十路を超えていました。
男として脂がのった一番いい歳なのに、これまで引きこもったり法律にかじりついていたりして、ろくに女も経験してない三十路童貞だったのです。
ここからどんな道に進むにせよ、男にとって女性の存在って無視できません。
男女が愛し合うことのワクワクやドキドキを、体験したい。
いままで大学などで女性と接することもありましたが、男子校かつ陸自出身の僕は、アプローチの仕方が分からず、関係を進めることができず、歯がゆい思いをしました。
漢として生まれた以上、女性を悦ばせることができないまま枯れるなんて、絶対に嫌だ!
裁判官になった人でも、痴漢したり不祥事を起こしてしまう人がいます。
僕は法曹になったとしても、絶対にそうなりたくない。
そう思い立ったが吉日、少し司法試験から離れ、女性について学んでみよう、そう思ったのでした。
いろんな恋愛教材を手にしたが、僕が目を引いたのがナンパ。そう、道を歩ている女性に声をかけ、付き合ったりなんなりしてしまうという、シャイの王様の僕には信じられない行為です。
しかし、僕は興味があることにはガンガン行動できるタイプでもありあります。
1年弱ナンパにコミットした結果、童貞を卒業し、彼女も5人くらいいる感じになりました。
だけど、僕が得た本当に大切なものは、「強さ」についての理解でした。
たくさんの女性と接していく中で、女性は「強い」男が大好きという事実を身をもって知りました。
よく女性は「優しい」男が好きといいますが、それは「強い」男が好きという意味です。
優しさって人への気遣いであり、それって、自分の信念がないとできないのです。
自分の信念がある男は強い男です。
よく、男が優しさを誤解して、女性に「媚びて」しまうが、これって自分の信念を曲げて女性にへりくだる行為であるから、女性には全く響かないし、女性は媚びをすぐ見抜くのです。
そして、信念っていうのは、「自分自身でいること」なのです。自分がやるべきだと思ったからやる。自分がそっちの方が楽しいと思ったからやる。
女性に好かれるとか関係ないのです。
しかし、それをすることで結果的に好かれてしまうのです。
白状しますが、僕は女性を口説くときにウソをついたことがあります(むしろナンパでは嘘をつけと教わります)。
複数の彼女がいるのに、彼女が他にいないといったり。学歴を偽ってエリートぶったり。
でも、そういうときって「いつか嘘がバレるのではないか」とハラハラしたり、嘘がバレないように新しい嘘をついたり、気が休まらなかったです。
しかも、そういう嘘をついてもひっかかる女性っていうのは、「それなり」なのです。
反対に、レベルの高い女性と付き合えるときっていうのは、自分を比較的多く出せていた時なのです。
カッコつけず、自分のキャラクターを全面に出すと、それが意図せずユーモアになります。
また、自分の持っている視点やスキルを自然と提供でき、感謝されますし、頼りになるという印象を与えることができるのです。
そしてそういう風にしてできた彼女って、一緒にいて楽なのです。
「自分自身でいること」「自分がやっていて楽しいと思う事をやること」「それで人を助け、感謝されること」
それが「強さ」なのです。
その生き方って、周囲との摩擦が生じることがあるけど、自分の能力を一番発揮できるし、女性にはモテるし、何より自分が楽しいのです。
だから、僕は、自分にも他人にもウソをつかない生き方をしようと決意しました。
誰の目も気にせずに。
そこらへんの駅なんかじゃなく、自分のステージに行って、自分らしく踊って、輝く。
そして、それに「おもりそ~だね!」引き寄せられてくる人と一緒に踊り、本物の笑顔にあふれる人間関係を創る。
それが、個人を大切にするっている生き方なのです。
そうだ。憲法にも書いてありました。
この法律を学ぶ上でもっとも大切な原理原則を、僕はナンパを経たことで学びました。
たしかに、ナンパ経験はあまり社会的に良い目では見られないかもしれません。
しかし、人間には失敗する自由があります。
痛い目みながら、体で学びながら、うねうね進む。
歴史の中でくり返し繰り返し人類を奈落の底に落してきた「社会のレール」の上をトロッコに乗って進むより、自分の足で迷いながら進む方が、健全なのです。

僕のビジョン~究極の予防法務~
僕の情熱って何?
じゃあ、僕にとって「自分自身でいること」って何だろう。そう考えた時、原点に還りました。
「感受性を発揮して、不条理見つけ、寄り添い、人を笑顔にすること」その手段として、「法律というパワーを駆使すること」。
今までは、それを実現する道は司法試験に合格し、弁護士になることだと思っていました。
しかし、それに「まった」をかける事件が起こりました。
僕は、ある仕事で弁護士と業務委託契約を結んでいたのですが、そこでトラブルになり、訴訟に発展しました。
結果は一部認容(勝訴)でした。
対弁護士本人訴訟、【一部勝訴】で確定した!
もともと全額が狙いでなく、ちょっとでも「勝つ」ことが狙いだったから、大成功!
完全に自信を取り戻した。
【俺は、法律が、得意だ!】 https://t.co/GLhYz2el8J pic.twitter.com/GxYCzTCQ71
— 岡田一志@心理法務セラピスト (@Kazushi_Okada) November 26, 2021
勝った額は少額でしたが、弁護士とバチバチにやりあって勝てたことは、僕の培ってきたリーガルマインドの正しさの証明であり、嬉しかったのは確かです。
しかし、弁済まで2年近く費用と時間と精神力を使って戦い抜き、相手とも結局和解できなかったのです(最後は財産開示後に任意弁済を受けました)。
これを繰り返すのはちょっと身がもたないし、つまんないな、と思いました。
また、司法試験を通った弁護士の実力に接して、失望し「こうはなりたくはない」と思いました。
彼が「試験に受かるため」の勉強によって得たのものは、型にはまったロボット思考でしかなく、目の前の現実の問題に全然対応できていなかったのです。
訴訟自体も弱かったですが、その後の対応もひどかったです。
敗訴確定後にできるだけ早く弁済していれば、その後の強制執行への対応に時間を割く必要はなかったし、その費用まで払う必要はなかったのに。
プライドが邪魔をして、どんどんダークサイドに落ちていってしまっているのがわかりました。
ロボット法曹。
権威にすがり、死んだ目をして、つまらなそうに毎日を生きている。
カッコ悪い。
これは、上述した「強い」人間と真逆の特徴を持つ、「弱い」人間です。
僕が目指すのは、未知の問題にぶつかっても、リーガルマインドを発揮して対応していける、「考えだ出せる法律家」です。
そして、↓の映画の主人公、ランチョーみたいに、目をキラキラ輝かせ、今を全力で、情熱的に生きている。
そのような人間性をもった法律家がするのは、誰でもできる表面的な事務処理ではなく、自分の情熱(個性)を活かした創造的な仕事です。
では、僕の情熱は、どこにあるのでしょうか。
物事の本質の探究。誰よりも深く。
つまり、トラブルの根本的な原因の解明とその解消です。
トラブルななぜ生じる?
トラブルはなぜ起こるのでしょうか?
あなたは、外からトラブルがやってきて、それに自分が巻き込まれてしまっていると考えておられることでしょう。
しかし、トラブルを招いているのは、全て、自分自身です。
心が全てを動かしている。それが、心理学を学び始めたことで、わかってきました。
昨日永田先生が言ってたんだが、病気や事故は、自分の問題を解決させるために出てくるんやって
お袋がこの前事故にあったのも、自分の身を危険にさらすことで、親父と話すキッカケを作りたかったからや
これはあらゆるトラブルに通じる法則
今を逃したらあかん
来世の負担が、それだけ増えるからや https://t.co/WS4UEClTXf pic.twitter.com/NzHxyel0Nm
— 岡田一志@心理法務セラピスト (@Kazushi_Okada) March 19, 2023
法的なトラブルも、病気などの身体的なトラブルも、すべてトラブルは、過去の傷から生まれます。
傷けられると、人は、再びその傷を負うことを恐れ、「こうなんだ」「こうしなければならないんだ」という枠を創り出して対応しようとします。
しかし、未熟な狭い視野の中で創り出されるその枠は、多くの誤解を含む抽象的で過剰な規制になってしまっていることが少なくないのです。
例えば、僕の母親は、自由奔放な姉に迷惑をかけ続けられ、彼女が生涯独身を貫いて、孤独で、アルコール依存症に陥ったことから、「普通に企業に就職して、結婚して、誰にも迷惑をかけずに生きることが正義」という”枠”を持っています。
その枠が、彼女の夫(僕の父親)との、自分の素直な気持ちをさらけ出す親密なコミュニケーションを妨げて、形式だけの仮面夫婦を作ってしまいました。
さらにこの枠は、僕に対しても打ち下ろされ、僕はその抵抗から母親が嫌いになり、さらに人間恐怖症・女性恐怖症になって、人と積極的に人間関係を築こうという気持ちを殺してしまっていたのです。
癒しの道と、ビジョン心理学
このように、僕たちは多かれ少なかれ、この過剰規制により、自他を型に押し込み、本来の可能性を殺して、いじめてしまっています。
その過剰規制に気づかせるために、繰り返し、繰り返しトラブルは生じるのです。
しかし、人間一般が僕の母親のような「スタンプ人間」ではないし、そもそも彼女の僕への”教育”は、僕をお姉さんのようにしたくなったという、愛情から生じたものです。
今の頭で彼女の背景を想像したり、彼女との直接の対話により認識を広げ、それがわかったとき、認識の転換が起こります。
敵はいないんだ、全てが愛なのだと自分の体験を通して気づくことで、傷は癒され、誤解に基づく”枠”から生じるその繰り返しのパターンは、消滅するのです。
- 僕は、愛されていたんだ
- 母親の言ったことは、真理の一つの側面であり、僕を守るために作ってくれた城壁なんだ
- だけど、究極的には、自分自身で居ることが大切なんだ。彼女の枠や僕が作った枠は、そのために上手く活用すればいいんだ
そのような認識に立てたとき、あなた体に生えた棘はなくなり、人に愛され、人が寄ってくるようになります。
僕の長所である、鋭い感受性や法的思考力は、人を憎しむことに使うのではない。人を癒すために使うんだ。
このような愛に基づく認識に帰ること、それを学ぶのが、ビジョン心理学です。
僕が7月〜12月まで受講するのが、この「リレーションシップ・セラピストコース」です
仕事、家族、恋愛…
僕個人、そして僕と接する全ての方を根本から癒せる力をつけてきます
そして、行政書士と掛け合わせ、"究極の予防法務"を行う法律家として、開花します
※費用は錬金術で練り上げました https://t.co/O8xgynmMFv pic.twitter.com/BLru8i0pH5
— 岡田一志@心理法務セラピスト (@Kazushi_Okada) June 23, 2023
以上述べた”枠”の不都合性の指摘→本質の提示→新しいルールの策定という作業は、司法試験で試される”はず”の「論証」と同じです1。
「リーガルマインド」を突き詰めると、心理学に行き着きます。
新しいビジョン~究極の予防法務&法則立脚型交渉術~
このように、心理学とは、世界を形作っている心のメカニズムを理解し、そこに生じている誤解を解き、癒していく学問です。
そして、僕は、ビジョン心理学に基づく人間関係の本質的な理解に、取得済みの行政書士の資格を組み合わせようとしています。
行政書士は、市民によって敷居が低い「街の法律家」であり、紛争の生じる前、若しくはその初期段階に介入できる、予防法務のプロです。
でも、弁護士になるとそうは言っていられないのか
依頼を受けたら、白も黒としなければならないのかも
貴方だけを見る、ひまわりだから
対して、行政書士はコスモス
花言葉は、「調和」
もしかしたら、俺に向いてるのかも
紛争を知るからこそできる、予防法務・和解のプロ
(参考動画は次のリプ) pic.twitter.com/XQZkBBriZ7
— 岡田一志@心理法務セラピスト (@Kazushi_Okada) December 19, 2022
行政書士業界、おもしろそう!
行政書士✖️個性で、万華鏡のように世界を回し、無限の色で飾っている
俺の「おもろさ」は何だろう?
俺の情熱は、やっぱり、コミュニケーションだなぁ#契約コーディネーター
とかどうだろ?
代理交渉でなく、当事者の交渉力を引き出すhttps://t.co/eY8M8bGRxm
— 岡田一志@心理法務セラピスト (@Kazushi_Okada) February 6, 2023
多くの弁護士にとって紛争は飯のタネですから、訴訟による事後救済社会への流れに問題を投げかけたり、それを変えようという動きにはなりません。
たしかに、訴訟は、当事者の意思に左右されずに紛争の終局的解決をもたらすことができるので、社会にとってなくてはならないシステムではあります。
しかし、当事者に重く長い負担を強いるそれは、あくまで最後の手段として位置づけられる必要があります。
また、当事者の一方に弁護士がついたら、それは相手にとってファイティングポーズに映ります。
そうすると、相手の反応は、
- 自分も弁護士を雇う財力がなければ、ビビって早々に平伏するか、
- そうでなければ果敢に受けて立ち、火の手を燃え上がらせるか
です。
いずれも血で血を洗う「勝負」の道であり、「対等な人間関係を修復する」という方向には行きにくいのです。
相手と長期的かつ良好な関係を築きたいのなら、弁護士を雇うことは得策とはいえません。
この点について、行政書士なら、「北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろとい」うような、宮沢賢治的なすばやく穏便な初動対応が可能です。
ただ、行政書士は高度な法的紛争に発展してしまっている事件については、当事者の一方を代理して交渉(契約代理)することはできません。
しかし、そうなる前においては、紛争の火種を消し止めるため、交渉等の法律事務を行うことができるのです2。
また、紛争性が成熟しているかわかりにくい「グレーな事件」であっても、当事者に交渉を任せ、自分は合意形成をサポートするという立場を採ることで、堂々と「消化活動」をすることができるのです3。
- 中立的な立場から合意形成をサポートし、
- 合意事項を契約書という形で書面にまとめ上げることで忘却を防止し、当事者にコミットしてもらい、
- 証拠として保全する。
さらに、ビジョン心理学による人間関係の本質的な理解が加われば、法的紛争に至らないわずかな人間関係の不協和音を聞いた段階で介入でき、より早く動けます。
ビジョン心理学×行政書士。
そしてその組み合わせにより生まれる、まったく新しい形の、”究極の予防法務”
それが、僕の描くビジョンです。
その実現には、僕の全ての学びや経験を結集し、「利益の最大化」を目的とした今の交渉術の枠を超え、人間関係の真理に根付くまったく新しい交渉術を体系化し、身に着ける必要があります。
著作権紛争が起きた時、裁判所に持ち込む前に、「腕相撲で決めよう!」と言えるかどうか?
この事件では、健闘を讃えあい、「両者が使用できる」との和解で終わりました。
弁護士費用や訴訟費用、時間的・精神的コスト0。
実例があるのです
そこに導くのが、僕のする"究極の予防法務"です https://t.co/dMu73iVjh8 pic.twitter.com/15g3pePKOG
— 岡田一志@心理法務セラピスト (@Kazushi_Okada) July 19, 2023
それが、リーガルマインドに基づく、「法則立脚型交渉術」です。

僕の道は、外から見れば、悪路だし、回り道かもしれない。
しかし、道はその人が創るものであり、それにはだれも口出しできません。
それを教えるのが、憲法13条です。
合格への最短ルートではなく、自分の人生の目的への最短ルートを歩めばいいのです。
このブログは、そんな岡田一志の歩む漢磨き道を切り取り、発信するものです。
そして、僕の理念に共感してくれる仲間と一緒に切磋琢磨し、「笑顔あふれる人間関係を創る」力を養成できる場とするつもりです。
そしてそんな野生に戻ったワイルドな人間たちを集め、最強チームを創ろうとしています。

僕が率先してアホやりますので、それを見本にしてもらい、一緒にアホ楽しい人生を歩いていきましょ!
では、コンテンツ本編で会いましょう。読んでくれてありがとうございました。