1.なぜ、カズシは自然農を志すのか?

こんにちは、こんばんは、駆出しポケベジトレーナーのカズシです。

僕は今、自然農法(泥団子農法)のノウハウを確立し、安全で”本物の味”が咲き乱れるワイルドな楽園(家庭菜園)を創造しようと、農薬撒きまくりの父親の慣行農業を手伝いながら、もがいています(↓の記事でこの辺を扱っているから、見て見てね!)。

【頑張ることと、流れることと、咲くことと】『黒部の太陽』

これまで、無農薬無肥料の畑にしようと計画していた実家の庭に母親が除草剤をまいてしまうなど、たくさんの紆余曲折がありましたが、父親の仕事場の隣にある畑を使わせてもらえることになり、先日無事、一本目の畝を立てることができました(詳しく後述します)

僕のブログの新カテゴリ、「かずの自然農園」では、そのようなかずの楽園創造に至るまでの”もがき”を発信していこうと思っています。

人生一度きり!

農薬を使わない安全な野菜や果物の本当美味しさを、日常的に、買わなくても味わえるようになりたい方は、ぜひこのシリーズを追いかけてみてくださいな!

その記念すべき第1ページは、「なぜカズシは自然農を志すのか?という」問いに答えるために、僕のこれまでの就農ストーリーを追っていきます。

父親への許し

僕は、ビジョン心理学という心理学を学んでいます。

この心理学の原則の一つに、「大人になってからの人間関係は、子ども時代に形成した人間関係の反映である」というものがあります。

子ども時代に「許せない」人を形成したまま大人になると、大人になってからもその人と同じような「許せない」人が、あなたの心の傷が癒されるのを待って、次から次へと現れます。

それが、人生で巻き起こる「トラブル」の正体です。

僕が「先生」というかけがえのない人生のパートナーを得られたのも、ビジョン心理学を学び、女性一般を投影していた母親を許すと、そして許し続けると決められたからなのです。

【理想のパートナーをあなたに運ぶ”愛嬌”とは?】ビジョン心理学セミナー『男女関係と親密感』&『強運力』体験記

これまでのビジョン心理学の学びで、女性一般への心の壁はペラペラに薄くなりましたが、僕は男性と協力して何かを達成して、豊かになるという経験が、ほとんどありませんでした。

一人で何かをするのが好き…と強がっていますが、実は、恐くて、引きこもって、それしか知らなかっただけなのです(自立)。

男性との間に心の壁があるとすれば、それを反映しているのは父との関係です。

上記『強運力』のセミナーで、ビジョン心理学マスタートレーナー栗原英彰先生の力添えを得、父への許しの手紙を書いて、関係修復の糸口をつかんだ僕。
次のステップは、父親に向き合うことです。

具体的には、父親を理解し、許し、助けを求める声に応えること。

それが、僕が自立を抜けて”相互依存”という魂の成長段階に完全に踏み入れるうえで、そして”幸せな成功者”となるうえで、避けては通れない道だったのです。

そして、僕は父親がやっている農業(慣行農業)という畑に、足を踏み入れたのでした。

この辺は、以下のGoogleドキュメントも参照。

かずの人生のゴール共有

なぜ、かずは慣行農ではなく自然農を志すのか?

では、なぜカズシは、父親がやっている「慣行農業」(農薬や化学肥料を使いまくる農業)ではなく、その真逆の自然農を目指すのでしょうか?

カズシが知った慣行農業の現実

「無農薬野菜」「有機野菜」…
健康志向の普及もあって、農薬の危険性は少しずつ一般の消費者にも知られてきていますが、日本ではまだまだ高嶺の花…

慣行農業は、日常生活を回すことに必死にならなければならない庶民の腹を満たさなければなりません。

  • 「決められた、キレイな形を守るべし」
  • 「たくさんの量を作るべし」
  • 「できるだけ、生産コストを抑えるべし」

という工場に貼られる標語みたいなのが、がその命題です。

それに応えるために、

  • 安い労働力である外国人技能実習生を雇い、「バカ」などと暴言を吐いて、怒鳴って恐怖で手っ取り早く仕事を教え込み、辞めたらまた雇って使い捨てる
  • 農薬や化学肥料を使った野菜は、消費者にとって体に良くないし、あんまり美味しくならないとわかっていても、バンバン使う
  • 農薬散布用のマスクは高いし装着に時間がかかるから使わない

といった、人間性軽視の仕事内容となってしまいます(父のもともとの人間性も関係していますが、脱サラ後の就農による習慣がそれを育んだ面も否定できません)。

僕が父親のもとで仕事に入った当初、印象的だったのは、死んだような目をして苦労に耐える、外国人労働者の姿でした。

引用:中世ヨーロッパの庶民の服装、農民と農奴(写真と動画付きイギリス・ウェールズの歴史ーカムログ

人間は機械ではありません。

彼らが何かを生産するための”力”は、恐怖ではなく、「楽しい」「ワクワクする」「この人のを助けたい」という内発的な動機づけであるべきでしょう。

「個人の尊重」。

単なるお題目とされてしまいがちですが、持続的でパワフルな仕事のエンジンを得たいのならば、下流の方にある見栄えより先に、少なくとも同時に、上流にある中身をおさえにかかる必要があるようです。

かず
かず
僕が父親にヒアリングした「助けを求める声」は、「会社を興したい」でしたが、その奥にある理由は「人が定着しない」だったのです。

ですから僕が父親に与えられるギフトは、単に父親のやり方に従うことではありません。

父親を踏み、乗り越え、淘汰することなのです。

「自然」とは何か?

慣行農業の様子を分かってもらえたところで、それを踏まえ、僕がやろうとしている「自然農」とは、どのようなものなのでしょうか?

「自然農」概念については、僕が今継続して読んでいる、泥団子農法の創設者福岡正信さん著の『わら一本の革命』を紹介する記事で、今後詳しく考えたいと思います。

ここでは、そもそも「自然」とは何なのかを問題にし、根本的な理解を深めたいと思います。

漢字は、中国古代の黄河文明が発祥です。

黄河文明は、黄河の中・下流域で栄えた古代の中国文明の一つであり、黄河の氾濫原で農業を開始し、やがて黄河の治水や灌漑を通じて政治権力の強化や都市の発達などを成し遂げていきました。

参考:wiki

「自然」という漢字を作った古代中国人は、そのイメージを、自分の内側から燃え上がる炎のようなものと捉えていたようです。

その光のエネルギーが、葉に降りていた真夏の朝露のように、川床の石から覗くダイヤモンドの片りんみたいに、縦横無尽に輝いているのが「自然界」でしょう。

植物も、動物も、人間も、
土も、海も、空も、溶け合って、じゃれ合って、遊んでいる。

嫉妬も分裂も超えていく。

そんな楽園を、僕は創っているのです。

今後…

今の僕の最新の動きは、Xに全て挙げているので、フォローしてチェックして下さい。

ブログでの今後の記事は、

  • 畝立てと草マルチ
  • かずの自然農園計画
  • はじめての泥団子農法
  • 陸稲を使った畑での二毛作

などについて話したいと思います。

お楽しみに~!

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