2.『稲の日本史』①はじめに~クソどうでもいい仕事の話~

はじめに~クソどうでもいい仕事の話~

こんにちは、こんばんは。

ポケットベジタブル、略してポケベジ。ポケベジトレーナーのカズシです。

僕は今、農薬撒きまくりの父親がやっている慣行農業を手伝いつつ、それと対照的な、楽ちん自然農法(泥団子農法)を研究しています。

父親がやっている慣行農法は、地球環境なんのその、力づくで自然をねじ伏せようとするものです。

たとえば、作物を短期間で太らせるための化成肥料による過剰な栄養は、地下水や川へ流出し、湖や海へと流れ、プランクトンが大量に発生し赤潮の原因になり、魚のエラがふさがれ窒息死してしまいます。

参考:

慣行農法は、環境に対してだけでなく、人にもダメージを与えます。

いかに効率よく大量に生産するか…

そのために目の前の一点に向けられたロボット・カメラの視点は、自他の人間性をも破壊するのです。

「まごころ農園」なんて名前で消費者を騙して、薬漬けの不健康野菜を世にばら撒きやがって…

と父親を責めるのは容易です。

しかし、それは主体的で成熟した人間の生き方ではありませんし、個人にとっても生命全体にとっても、なんの進歩にもなりません。

【悲劇のストーリーを書き換えろ!】ビジョン心理学セミナー「家族とリーダーシップ」体験記~中編:相互依存への船出「アカウンタビリティとは」~

人間の進化・生長とは、変化することであり、非合理に挑み乗り越えることであり、より楽な生き方をすることなのです。

【頑張ることと、流れることと、咲くことと】『黒部の太陽』

では、なぜ人は不合理の中でがんばってしまうのか?

人がする全ての不合理な行動の背景には、その行動に至った理由がある。
その”枠”に囚われているのです。

そこに想いを寄せ、手を取り、光へと続く道を共に歩きだすのが、「許し」なのです。

許しは人の心を変え、それによって世界を変えます。

僕が今やるべきことは、

  • 父親を理解し、受け容れ、許すと決め
  • その助けを求める声に応えることなのです。

1.なぜ、カズシは自然農を志すのか?

親父は、僕が「不合理だ不合理だ」と嘆く慣行農業で得た収益で、家族を養ってくれました。

その慣行農業における思考プロセスが、親父を今のパワハラ・ターミネーター・ファーマーへと鍛え上げていったのです。

ですから僕が親父を理解するうえで、慣行農業を理解する道を避けては通れません。

では、日本における「慣行」農業とは何か?

日本は、「豊葦原の瑞穂の国」(とよあしはらのみずほのくに)…
神意によって稲が豊かに実り、栄える国の意です。

日本の農業といえば…そう、水田稲作ですね。

夏でも涼しい風が吹き抜ける茅葺屋根の周りには、緑の絨毯が敷き詰められ、実り始めた稲穂たちが、さわさわとこすれ合いながら踊っています。

「古き良き、日本のふるさと」…のはず。

ですが、僕はその風景に、どこか窮屈さを感じるのです。

水田には等間隔で稲が「前へならい」で列をなし、雑草はおろか、他の作物もない単一民族で軍団を形成しています。

列からちょっとはみ出せば、鉄拳制裁が飛んできそう…

この窮屈さは、どこかで感じたことがありました。

  • 「上から言われたから」有用性を疑いもせずマスクを着用し、ワクチンを接種し、それを周りにも強要するような、非合理で見えない同調圧力…
  • また、父親の仕事を手伝っている中で感じた、不合理だと思いながらもそれをやらざるを得ないという、”ブルシット感”…

ブルシットジョブ~クソどうでもいい仕事~

ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味不必要で有害でさえある有償の雇用の形態ないし仕事のことをいいます。
この概念は、社会学者デヴィッド・グレーバー(David Graeber)によって提唱されたものであり、彼の2018年の著書『Bullshit Jobs: A Theory』で詳しく説明されています。

その大事なポイントは、その雇用条件の一環として、本人は、意味ある労働であると取り繕わなければならない、ということです。

グレーバーは、ブルシットジョブをいくつかのカテゴリに分類しています。
たとえば、「ボックスティッカー」(無意味な書類の作成や手続きを行う仕事)や「タスクマスター」(他人に意味のない仕事を割り振る管理職)などがあります。

ブルシットジョブの「ブル(Bull)」は、英語のスラング「Bullshit(ブルシット)」に由来しています。
この「Bullshit」は、「くだらないこと」「嘘」あるいは「無意味なこと」を表す非常に俗世的な表現です。

ブルシットジョブに従事している労働者は、自分の仕事が社会にとって意味がないと感じることが多く、これが自己実現感の喪失につながります。
人は、自分の仕事が他者に貢献していると感じることで自己価値感を高めますが、ブルシットジョブではそのような充実感を得ることが難しいです。

ブルシットジョブが生れる原因は、資本主義の構造にあります。
資本主義が要求する終わりのない利益追求のためには、地球環境を度外視しても、自他の”真の利益”に目をつぶっても、その「構造自体」を維持する必要があるのです。

そのために、社会的有用性・必要性のない、権力者への服従を誓わせるだけ意味を持つ、”踏み絵”のような仕事が創出されます。

かず
かず
利益追求とは、本来合理性を徹底的に追求し、不合理を完膚なきまでに潰し尽くすことを意味するのですが、資本主義における「利益追求」はなぜか不合理を生み出してしまうというのが、”考えシロ”があるところだと思います。

なぜでしょうか?

それは、現在の資本主義における権力者が、”真の利益”とはなんなのか見えてない、ということにあり、そのような横暴を容認している今の僕たちも同じ穴のムジナである、ということだと思うのです。

参考リンク

もし、僕と同じであなたが今の生活に閉塞感を感じているならば、日本に漂う”ブルシット感”の起源を理解することに大きな意味がありそうです。

だから、僕は稲作に注目し、本記事で紹介する『稲の日本史』(佐藤洋一郎)を手に取りました。

日本人の心を形成した『稲の日本史』を読み解き、日本に漂う”ブルシット感”の起源を理解することは、そこから抜け出す道を見つけ出し、歩き始めるための第一歩です。

それは、あなたの人生の幸福度を、”結果的に”持続可能なかたちで向上させ続けるでしょう。

さあ、僕と一緒に机の引き出しからタイムマシンに飛び乗り、時代の流れを上る冒険に、旅立ちましょう!

タイムマシン(メインテキスト)について

農学者が最新科学を駆使して、稲の古代史の定説に挑戦する意欲作!

日本の稲作は、弥生時代以降に広まったといわれてきた。
しかし遺跡に残る稲の遺伝子の解析などから、縄文時代にも稲作があったこと、弥生時代には縄文稲作の影響の上に水田稲作が導入されたという仮説をたて、稲作史研究に植物遺伝学の立場から大きな一石を投じた。水稲の渡来経路も朝鮮半島経由、大陸からの直接伝来、双方があった可能性を指摘、科学の目で日本の古代史に迫りつつ、縄文文化の多様性、おおらかな魅力を提示する。

  • ヒエ一本生えることを許さない、日本人の「米作りの心」とはなんなのか?いつ、どのように生じたのか?
  • 縄文時代にはすでに稲作があった!?その驚きのゆるゆる農法とは?
  • 縄文稲作を支えた”熱帯ジャポニカ”の正体
  • 縄文稲作はなぜ廃れてしまったのか?
  • 閉塞する日本・日本人の突破口となる縄文マインドとは?

新事実の中から萌え出づる、切れ味するどい稲の葉のような合理的思考が、クソ仕事を両断する!

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