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さて、今日のお話は…
感化院を脱走してスラム街に戻った少年が、盲目の大道芸人を襲撃したのを手始めに、仲間を連ねて悪行の限りをつくし、やがては破滅していく。カンヌ国際映画賞監督賞を受賞。
1950年製作・公開の、ルイス・ブニュエル監督によるメキシコ映画。
悲しみによる攻撃の連鎖が、純粋だった少年ペドロ(左)を、これでもかと不幸のどん底に叩き込み、愛の必要性を浮き彫りにしている。
舞台は、貧困がはびこるメキシコシティのスラム街。
感化院1を脱走した少年ハイボ(右)は、再び町の不良少年たちのボスに返り咲く。
このハイボ、かなりの悪ガキで、万引きなんかあたりまえ、それどころか、戦争で足を失った人の車いすを奪って坂から転がしたり、目が見えず抵抗できない老人大道芸人に暴力を振るったり、ついには殺人まで犯す。
引用元:人生論的映画評論・続
ハイボがそんなことをする背景には、両親不在の寂しさ、そんな寂しさに一緒に向き合ってくれない社会への恨みがある。
そんなハイボは「腐ったミカン」のように、周囲の子供に恨みを広げていく。
ペドロもその被害者の一人。
ペドロはハイポに裏切られて殺人の罪を被せられ、感化院行きとなってしまう。
自分は何も悪い事をしていないのに、非難され、母親も自分の無実を信じてくれない…
素直で優しかったペドロも次第に憎しみに染まっていき、ニワトリを叩き殺したり、他の子どもを攻撃したりするようになる。
だがそんなとき、感化院の院長が現れる。
非行はその子が「悪い」からするのではなく、純粋な子供が発するSOSだと気づいていて、ペドロに「信頼」という愛を与えようとする。
さあ、これでペドロは憎しみの連鎖から抜け出せるのか…
ここが見せ場であり、考えどころ。
院長がペドロに与えた「信頼」は、ペドロに大金を持たせて感化院の外にあるたばこ屋に、一人でたばこを買いに行かせる、というもの。
金を持ち逃げしようとすれば、簡単にできる。
院長の意図としては、ペドロに、
- 「自分は信頼されるに足りる人間だ」
- 「自分は人からの信頼に応えられる人間だ」
という自信をつけさせる、というものだったのだろう。
この信頼に応えるべく、任務を全うしようとするペドロ。
しかし、その道中に、あのハイボが立ちふさがる。
ハイボは力づくでペドロから金を奪い、逃げ去っていく。
信頼に応えられず、すっかり自信を失ってしまったペドロは、感化院には戻らず、破滅の道を進んでいってしまうのだ。
…
…
非行とは、愛の不在がもたらす憎しみの連鎖である。
【死刑囚から学ぶ】『永山則夫~封印された鑑定記録~』&『反省させたら犯罪者になります』で非行の原因と対処法を一言で切る!~前編:原因篇~
だから、院長がした信頼を与えるという方向性は、間違ってはいなかったと思われる。
だけど、その「方法」は適切だったのであろうか。
金なんて所詮物質であり、簡単に失われてしまうモロイものだ。
院長が採った方法は、本人に魔がさしてしまったり、この映画のように思わぬ邪魔が入る危険性を秘めたものである。
最も確実な愛とは、その人に直接向き合うことである。
【死刑囚から学ぶ】『永山則夫~封印された鑑定記録~』&『反省させたら犯罪者になります』で非行の原因と対処法を一言で切る!~後編:更生篇~
対話により、丁寧に、その人が抱えている怒りや悲しみに寄り添い、非行に至った原因を深ぼっていく。
その先に、
- 人間が愛されるべき存在であること、
- 他者と共に未来へ生きる存在であること
への気づきがある。
院長が上記のような「簡単な」方法を採った背景には、多数の子供たちを気に掛けなければならないという、現実的な問題があったのかもしれない。
だが、人が非行に至るメカニズムを真に理解していれば、そのような「忙しいシステム」を改善するための、何らかのアプローチを採っていたはずである。
もっとも、院長だけを責めることはお門違いだ。
- 院長自身への教育不足、
- 人に向き合うシステムをあらかじめ作らなかった
社会の愛情不足が、根本の根本にある。
やはり、愛情不足は連鎖するのだ。
…
…
この映画には、救いが全くない。
監督は、何でこんな悲しく、後味が悪い映画を作ったのだろうか?
それを丁寧に考え、この映画に向き合うことが、俺たちが住むこの現実世界に救いをもたらすのではないか。
この映画は、監督と俺達の共同制作であり、俺は前代未聞の大名作だと思う。
悲しみは普遍的であり、この映画の登場人物は、現実に存在する。
彼らの悲しみを「忘れず」、未来に活かすために、俺たち一人一人は何ができるだろうか?
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