【死刑囚から学ぶ】『永山則夫~封印された鑑定記録~』&『反省させたら犯罪者になります』で非行の原因と対処法を一言で切る!~後編:更生篇~

オス!かずだ!

前編では、永山事件を題材に、非行や犯罪の原因が

  • 「愛の欠如による憎しみの連鎖」であること、
  • したがって、「反省しろ」というだけでは反省せず、
  • 真の反省には、愛を注ぐことがキーになる

ことを学んだな。

【死刑囚から学ぶ】『永山則夫~封印された鑑定記録~』&『反省させたら犯罪者になります』で非行の原因と対処法を一言で切る!~前編:原因篇~

この後編では、↓『反省されると犯罪者になります』(岡本茂樹)を主な参考文献として、非行に走ったものに愛を注ぎ、心から反省させる「カウンセリング」という手法を身に着けてもらう。

カウンセリングとは、

 

  • 前編で紹介した石川医師(画像上)が永山則夫の鑑定で用い、連続射殺魔を更生に導き、
  • 『反省させたら犯罪者になります』の著者で「重度犯罪者更生請負人」の岡本(画像下)が用いている

心理療法である。

かず
かず
難しいものではない。結局は「人間としての本来の在り方」だから、本記事で紹介する5つのポイントを押さえれば、誰でもできる

本記事を最後まで(前編と併せて)読めば、

  • 人が間違った道に進んだ時に軌道修正させる人間力が身につく
  • 真の「更生」とはどのようなもので、人間のあるべき姿とはどんなものなのか見える
  • 現在の刑事司法や国の方向性が間違っていること、すなわち「真の更生と共生」という根本的・不可逆的な事件解決とは程遠い、「表面的効率性」を重視してしまっていることが腑に落ちてわかる

から、ぜひスポンジのように吸収してもらいたい。

では、さっそく、非行への対策のポイントをざっくり一言で切っていく。

非行への正しい対処を一言~「愛情をかける」~

非行をした者に更生してもらうには、支援者との愛情を基礎にした対話により、「他者と共に生きる存在」へ導くというアプローチである。

前編で述べた通り、非行の原因は、過去に愛情を注がれなかったことにより抑圧されていた憎しみ・ストレスを、自分自身や自分より弱い者に、攻撃という形で転嫁してしまったことにあった。

非行は、親の仕打ちにこれ以上我慢できなくなった子供が、やむにやまれず「行動」で示すSOSなのである。

そのようなSOSを無視して、安易に「被害者の気持ちを考えろ!」と反省をさせようとしても、それは新たな「攻撃」にほからず反発を招くだけである。

なすべきことはその逆をすること、すなわち愛情に基づく受容的な態度で話を聴き、その負のエネルギー「言葉」で吐き出させることである。

そして、支援者と一緒に、「なぜ」犯罪を起こすに至ったかを、丁寧に探究していく。

すると、

  • そのように手厚く愛情をかけられること自体から、
  • また、憎しみの基礎には「さみしかった」という愛情欲求があったという気づきから、

彼は、自分自身が愛されるべき、大切にされるべき存在であることを悟る。

さらに進むと、

  • 自分を傷つけた親の背景にも被害があり、悲しみを負っていたことを知り、自分を傷つけた親もまた、価値のある存在であると気づく
  • 被害者も同様に大切にされるべき価値のある存在なのであり、傷つけ、悲しい気持ちにさせてはならなかったと気づく

このように、愛情をかけて丁寧に非行の原因を深ぼることで、自分を含めすべて人間は、存在するだけで価値があることに気づくのである。

すると、そんな大切な存在である自分自身や被害者に対して、今後どうすれいいのかという所に思考が進む。

自分自身や被害者を、「これから」大切に扱っていくには、「今の自分だからこそできること」をしていくしかない。

それは、「負の連鎖に組み込まれていた」という経験を活かし、同じような人が連鎖を生み出すのを止めるということである。

人間は、多かれ少なかれ、何かの犠牲の基に生きている。

他者の犠牲があるからこそ、幸せに生きているのである。

その犠牲に対して感じる「苦しみ」と「幸せ」という相反する感情と共に生きるのが、人間の本来の姿である。

被害者に対する苦しみを一生背負いつつ、人と繋がり、幸せになること

それが、真の反省であり、更生なのである。

かず
かず
この真の反省に導くのが、カウンセリングという手法である。以下、詳述する。

石川鑑定&岡本「カウンセリング」とは

カウンセリングは、人間関係を作ること、彼らの苦しみや求めているものを理解し、ニーズを満たす事にフォーカスする。

それは、以下のようなプロセスを辿る。

  1. 小さな問題行動をチャンスにする
  2. 受容的態度で話を聴く
  3. 支援者と一緒に「なぜ非行に走ったのか」を考える
  4. 自然と被害者に共感できるようになる
  5. 他者と共に生きる

それぞれについて説明していく。

➀問題行動発生!=チャンス

非行は、大きな爆発をしないための必要的行動である。

則夫は、幼少期、わざと見つかるように窃盗をして親・兄弟へ迷惑をかけるという、あてつけ行動をとっている。

非行により、「自分を愛してくれないから、こんな面倒なことになるんだよ」と、「愛して」というメッセージを伝えているのである。

しかし、母・兄弟はそんな則夫に対して、「則夫が行ったら赤飯炊くべし」、「迷惑をかけるな」と突き放すだけで、彼のニーズに応えようとしなかった。

これだと、則夫はさらに悲しみ・憎しみをため込むだけである。

それが臨界点に達して、最強の形で「あてつけ」てしまったのが、あの4件の殺人である。

だから、永山の母ヨシがすべきであったことは、則夫の非行は「自分の則夫への接し方」に根本的な問題があったのだと早期に気づき、改善するきっかけにする事であったのである。

それは、いままでと逆の態度をとること、すなわち愛情をかけることである。

そうは言っても、貧乏暇なし。
日々の生活でいっぱいいっぱい状態では、子供に愛情をかけることなどできないでしょ
かずの彼女(先生)
かずの彼女(先生)
かず
かず

そう。だから、国家の存在意義がある。

生活保護などの福祉政策により、「健康で文化的な最低限度の生活」(憲法25条)を与えるべきところだよ。

もっとも、現在の福祉政策は不十分であり、拾えない人が多数いるから、ベーシックインカム1導入すべきである。

ってか、この話は、前編の「人は愛情と目標がなければ努力できない~土居『甘えの構造』から」という所で詳しく述べていから、復習しておくように(汗)。

【死刑囚から学ぶ】『永山則夫~封印された鑑定記録~』&『反省させたら犯罪者になります』で非行の原因と対処法を一言で切る!~前編:原因篇~

②受容的な態度で話を聴く

では、具体的のどのような行動が、愛情をかけるということなのだろうか。

それは、その子に関心を持ち、何を求めているのか理解するということである。

それには、本音を話してもらわないといけない。

それは、

  • 「被害者」の気持ちを考えさせるより先に、
  • 自分の気持ちを素直に表現しも構わないという受容的な態度で、
  • まず「自分が迷惑をかけられたこと」を話するよう促す

ことにより実現する。

「北風と太陽」と『7つの習慣』と『受け止め力』

自分がしてほしいことがあるんだったら、それを相手のニーズに沿った形で実現していかないと、抵抗に遭ってうまくいかない。

人間は主体的な存在だからである。

だから、反省して欲しいんだったら、彼が求めている形でなければ、それを実現することはできない。

北風と太陽だな。

この教訓は、成功哲学のバイブル、『7つの習慣』でもいわれている。

  • 第1の習慣「主体的であること」
  • 第4の習慣「win-win」を考える
  • 第5の習慣「まず理解に徹し、それから理解される」
  • 第6の習慣「シナジーを作り出す」

を下記記事でさらい、「真の反省に導くスキル」を「成功者のマインド」にまで高めよう↓

【知らないとヤバい】成功哲学の王道『7つの習慣』を一言でぶった切る!

そして、相手に愛情をかけ、そのニーズを理解しようとすることって、雑談上手が持つスキル「受け止め力」に他ならない。

下記記事も読んで、ついでに雑談上手にもなってしまおう↓

【雑談上手の特徴がまるわかり】『雑談が上手い人下手な人』 を一言で切ってみた

彼らは、絶対的な存在にネグレクトされたことによる寂しさやストレスといったものを抱えながら、生き続けている。

だから、「反省しろ」「被害者の事を考えろ」と言われても、自分の心が「対処されない悲しみ」満タンの状態なので、新しい気づきや違った価値観が得られる状態にない。

自分自身でさえ大切にできていない者に、他者のことを大切にすることなどできないのである。

だから、まずは自分自身の心にあるものを全部吐き出して、心の底にたまった「悲しみ」に気づいてもらう必要がある。

そして、悲しみが存在するということは、自分が本来そうあってはならない大切な存在なのだと気づいてもらう必要があるのだ。

永山を死刑にした、職務怠慢クソ裁判官

則夫は、法廷で裁判官にやじを飛ばしてして反抗的な態度をとっていた。

すなわち、第一審途中で石川鑑定を経るまでの永山の態度は、

  • 裁判長らの質問に対して投げやりな態度をとったり、怒りだしたり、弁護人に暴行を加えそうになって退廷させられたりしていた。
  • 第一審での死刑判決当日も、「結論を早く言え」などと野次を飛ばし、支援グループの傍聴人2人とともに退廷させられていた。

そして、死刑判決を言い渡した一審判決は、その理由として、

「永山には不幸な生い立ちや事件当時の年齢など同情すべき点もあるが、自分の目的を遂げるため善良な市民を至近距離から狙撃するなど、殺害方法は冷酷・無残だ。京都事件後には兄から自首を勧められてもそれを拒否してさらに犯行を重ねている上、自己の犯罪を『貧困・無知を生み出した社会・国家のせいだ』としており反省の態度が見らない。」

として、永山の反省しない態度を重視している。

しかし、上記のように、自分の心の中が憎しみと悲しみで一杯の則夫の心の中に、他者を想う余裕なんてないから、反省の態度を求めることはムリな話である。

仮に、表面的な反省を引き出せたとしても、それは上っ面の反省であり、憎しみは解消されない。

そればかりか、抑圧を生んでパワーアップさせてしまう。

それは、再犯という形をとって現れるだろう。

たしかに、

  • 話をじっくり聴こうとしても、裁判では十分時間はかけられないから、信頼関係は築くことは難しかもしれない。
  • また、反抗的態度に対して法廷の秩序維持のため退廷させる必要も、あったのかもしれない。

しかし、だからこそ、鑑定という制度があるのである。

少なくとも、永山が心を開き、本音が語られた石川鑑定を最大限尊重すべきであった。

裁判官は、自分が受け持つ時間を、その場限りで「円満解決」できればいいかもしれないが、もっと長いスパンで、そして、国民の権利を保護するための司法ということを考えた時、

  • 鑑定を軽視し、
  • 「法廷での反省の態度」を重視する態度は、

裁判官として職務怠慢である。

かず
かず
則夫を死刑にした裁判官(↓)は、事後、「結論は決まっていた。石川鑑定は排撃するより仕方ない」といけしゃあしゃあと述べている。

③支援者と一緒に「なぜ」を考える

彼らの憎しみを解放し、心の底に溜まっていた「寂しさ」「悲しみ」という基礎にある愛情欲求に気づいてもらったら、

  • 「私が素直さを失った原因」
  • 「本当はどうして欲しかったのか」
  • 「なぜ、自分は問題行動を起こしたのか」

等の質問により、その愛情欲求にさらに多角的に切り込みを入れ、浮彫りにしていく。

その作業は、つら過ぎて抑圧してきた過去を振り返ることになるので、彼は1人で歩いていくことはできない。

だから、安心して対話ができ、思考を促してくれる相手、つまり支援者が必要なのである。

支援者は、彼が自分の「心の鎧」を一枚一枚の脱ぎ捨てていくたび、

  • 「話してくれてありがとう」
  • 「よく話してくれたね」

などのねぎらいの言葉をかける。

そして、何より大事なのは、自分は最後まで決して見捨てないという絶対的な安心感を彼に与え続けることである。

人も自分も傷つける武装錬金「心の鎧」

非行に走る人は、愛不足を克服するために、「男らしくあらねばならない」「負けてはらならない」といった価値観を持つことで、必要以上に自分を強く見せている。

自分を強く見せ「他者に認められること」で自分自身の愛情欲求の埋め合わせをしようとするのだ。

しかし、それらはあくまで「代わりのもの」にすぎず、本当に望んでいる愛情が得られないため、彼はますます「男らしさ」を追い求める生き方を強いて、他者から認められようとする。

自分を慕ってくれている者から助けを求められたりした場合、「断る」という選択肢は彼らの頭にない。

「断ること」は逃げることであり、男らしくない態度であって、人が自分から離れていくと恐れているからである。

だから、暴力団の組員が、自分を唯一拾ってくれた組長の「あいつを殺れ」という命令に従い、鉄砲玉になったりする。

そのようにして彼らは、ジャンクな「愛情らしきもの」に永遠に囚われ、求め続ける。

しかし、それでは真の愛情欲求は満足しないから、そのストレスから逃避するために、たばこやシンナー、覚醒剤などの「埋め合わせ」に手を出してしまうのだ。

則夫も、石川医師が自分のために十分な鑑定時間と集中できる期間を確保して、徹底的に寄り添い、一緒に「なぜ」を考えさせてくれたからこそ、心の鎧と脱いで、自分の「弱さ」、すなわち過去と「さみしさ」をさらけ出せた。

↓の写真は、石川鑑定の終盤、石川が撮った則夫の写真である。

かず
かず
リラックスしているな。

重かったんだろうな。永山の鎧は。

④自然と被害者に共感できるようになる

それまでの彼らは、「人を傷つける」ことへの感覚がマヒしてしまっている。

自分のさみしさというメッセージを長年キャッチしなかった結果、無視することに慣れて、「当たり前」の基準がくるってしまっているのである。

しかし、自分の心の鎧をはいで、身軽になったあとは、他者の事を想像する「スペース」が生まれる。

  • 自分がさみしいなら、自分が傷つけた相手もさみしいはずだ
  • これは、当たり前のことなんかでないんだ

このようにして、自然と心の底から湧き上がる「罪の意識」こそ、本当の反省の土台となるのである。

さらに、対話が背景に広がっていくと、

  • 自分を傷つけた親も、被害者であり、さみしい想いをしていた

ことに気づき、「愛情不足の∞連鎖」というより根本的な問題にたどり着く。

原因がハッキリわかれば、改善策は自然と見えてくる

ここでやっと、彼は、「今後どうすればいいのか」という未来に目を向けていくことができるのである。

かず
かず
このときに親に抱くのは、「許し」というよりも、「受容」という感覚か。

「原因はわかった。後は、前をむいていくしかない」という「前向きなあきらめ」の境地。

則夫は事件当初、母親が面会にきても「俺を捨てた!」と拒絶していたが、
石川から、母ヨシがその親から愛情をかけられず、自分だけで生き抜いてきたこと聞かされた後は、体を気遣ったりする言動をするようになった。

反省文は問題を悪い形で先送りするだけ ~のりピーは復活するか~

学校での非行少年への指導って、反省文を書かせて行うことが多い。

また、芸能人の不祥事でも、あらかじめ考えておいた反省文をマスコミの前で読み上げるという事をする。

引用元:【酒井法子】アノ件で保釈直後の謝罪会見 (ノーカット)

覚せい剤で捕まったのりピーは、「自分の弱さを戒め、反省をし、もう一度生まれ変わった気持ちで」と語った。

しかし、ここまで読んでくれたみなさんなら、非行の原因が「弱さ」それ自体にあるのではなく、「弱さを素直に出せないこと」にあることがわかるだろう。

このように反省文で手っ取り早く済ませる風潮は、彼らが自分の内面と向き合うチャンスを奪っている。

反省文を上手く書ければとりあえず反省したと見なされるため、彼らは感情を押し殺し、「うまく立ち回る」ことを覚える。

すると、常に他者の目や評価を気にする人間になり、「ありのままの自分でいい」という自己肯定感が育たないから、このままでは永遠に幸せになることはできない。

かず
かず
幸せや自信っていうのは、誰かが決めるものでなく、自分自身が感じるものである。

そうすると、彼らの中に溜まったうっぷんはさらに抑圧され、パワーアップし、それは新たな非行を生み出すことは、すでに述べたとおりである。

のりピーも、子供の頃に母親に捨てられていたり、その母親がのりピーの父(山口組組長)に殺されていたり、不遇な幼少期を過ごしている。

逮捕後は福祉の途に進むと宣言したのりピーであったが、早々に撤退してしまった。

自分の「弱さ」に光を当てて、しっかりと見据えない限り、悲しいが、今後の彼女の復活の望みは薄いといえわざるを得ない。

⑤他者と共に生きる

ここまでで彼は、

  • 自分の非行
  • その原因となった親の自分に対する非行
  • その他あらゆる不幸の原因

が「愛情不足の連鎖」にあり、それは人間として不自然な状態であって、変えなければならないと悟ることが出来た。

そうすると、自分が進むべき方向は、「愛で他者と繋がること」にあると思考が進む。

彼らが更生するには、人と繋がって、「幸せにならなければならない」。

幸せになることは、彼らの責務である。

「人を殺しておいて、幸せになるなんてとんでもない」と思う人もいるかもしれない。
ことに、彼の被害者はそうであろう。

しかし、人と繋がって幸せになることは、人の存在の大切さを感じることであり、それは、自分が傷つけてしまった人の命に対する「苦しみ」に繋がる。

幸せに生きるということは、罪から目をそらさず、罰を引き受けるということである。

更生とは、幸せと苦しみの両方を受け入れ、「絶対に自分を許すことがない被害者の存在」を自分自身の命が絶えるときまで忘れずに生き続けていくことなのである。

幸せと苦しみという矛盾した感情をかかえながら、更生の道を歩んでいるものは、「命の重み」を理解する者である。

そういう意味では、彼らこそ、「命の重み」を語れる人間なのである。

かず
かず
岡本はいう。
「彼らには、自分と似た境遇にある者の、支援者になって欲しい。救う側になって欲しい」

そうすることによって、彼らは「生きる価値のある存在」になれる。

真の償いには、終着点がないのだ。

被害者感情と刑罰の根拠論と死刑存廃論の関係

被害に対して報いるのは、正義や公平、被害者感情という観点からは自然である。

このような「応報」に刑罰の根拠を求めるのが、応報刑論という立場である。

これによれば、人と殺した以上、死刑を与えても正義に合致するから、OKということになる。

しかし、以上で述べてきたとおり、

  • 行動には必ず原因があるのであり、彼には「どうしようもなかった」という側面がある
  • 人間は本来的に、罪を背負って「生きる」存在である

ことからすれば、単なる応報だけが刑罰の根拠となるのではなく、刑罰をキッカケにして、その経験を「今後に活かす」ことがベースに据えられなければならない。

それは、

  • 刑罰という威嚇により、「これはしてはいけない行為なんだよ」と一般人に知らしめ、犯罪を思いとどまらせること(一般予防)
  • 加害者に同じ過ちを繰り返させないこと(特別予防)

という形をとる。

このように、刑罰を未来志向で捉える立場を、目的刑論(≒相対的応報刑論)という。

この立場からは、死刑に➀一般予防、②特別予防効果があるかが、死刑廃止か存置かを決める基準となる。

➀について、死刑に一般予防効果があることは実証できていない2

それどころか、死刑は国民を不可逆的に傷つける行為であるから、国民に対して「やられたらやり返せ」というメッセージを伝えることであり、そのような忠臣蔵的国民性を醸成し、逆に犯罪が増えてしまうのではないか、という意見もある。

また、②特別予防については、確かに、死刑は二度と再犯をさせないことになるのであるが、それは上述した『人間は本来的に、罪を背負って「生きる」存在である』という根本思想3に反するものだから、殺すのは行き過ぎである。

特別予防については、本記事で述べた「真の更生」によって実現されなければならない。

そうすると、死刑は刑罰根拠論からは、間違った刑罰であるといえる。

被害者感情も、死刑により一時的に区切りがつけられるように思えても、本来、「罪を背負って生き続ける」ことが人間の本来の姿であるのだから、そのような加害者の姿を感じられない状態は自然とはいえず、逆に行き場のないストレスを抱き続けてしまうと思われる。

起こってしまったことを消すことはできない。

人間は、どこまでも未来に向かって生きる存在なのであり、そこには、加害者だけでなく、被害者も含まれている。

残酷なようなだが、罪を活かす苦しみから逃げては、幸福になれないのである。

則夫と二人三脚で未来に向かい歩いた「妻」ミミの存在

本文で述べた通り、更生の道のり終着点はない。長い道のりである。

対して、人間とは弱い生き物である。

  • 心から反省したといっても、社会復帰後は継続した誘惑にされされ続け、自制心でなんとかするには限界がある
  • 一度非行をしてしまった以上、再犯に対する心理的抵抗が低くなっている

彼らには、継続的な人との繋がりが必要不可欠である。

石川鑑定で更生への道を歩き始めた則夫も、その後の継続的な支援者が必要だったのであるが、神の啓示かな、ベストタイミングにもこれが現れた。

後に則夫と獄中結婚することになる、ミミである。

以下、このミミの生い立ちと、永山と少しばかりだが歩いた、未来への軌跡を紹介しよう。

ミミは、まだアメリカ軍の統治下になる沖縄に生まれた。

引用元:【貴重すぎる】占領時代、米軍の日本での行動が赤裸裸に記録されていた

母は、沖縄に暮らす日本人で、実父はアメリカ海軍に所属するフィリピン人だった。

その父が沖縄を離れて帰国したことで、母は、幼いミミを一人で育てなければならなくなった。

本土復帰前の厳しい時代である。

ミミの母は、裁縫やアメリカ軍人相手のバーなどで働いていたが、女手一つで子供を育てたまま仕事をすることはままならず、ミミは祖母の家に預けられた。

祖母は、どこに行くにもミミを背負い、連れて歩いたという。

幸いにも、その後母親は心優しい白人アメリカ人と再婚したのだが、幸せを束の間、すぐに新しい父はアメリカ本土に転勤することになった。

もちろん、家族みんなでアメリカに渡るのだと思っていたのだが、ミミはパスポートが作れないことが発覚した。

理由は、「戸籍」がなかったからだ。

日本では1984年の国籍法改正までは子の国籍に父の側からだけ認める父系血統主義をとっていたため、基地内で、父と同居している場合は様々な援助が与えられるが、父が基地を離れると軍の援助も停止され、その後、米国に戻った父の所在がわからなくなった場合等、残された母子は社会的にも、経済的にも不安定な状態に置かれ、困窮に陥ることもままあった。

背景として、父が米国に別の家族を持っている場合が多く、沖縄の母子を帰国時、ともに連れて行くことが難しかったという事情もあるが、子どもたちは就学の機会も奪われ、厳しい状況の中で子ども時代を過ごさなければならなかった。

引用元:ある日突然、ほぼ全員が「無戸籍」に…沖縄戦後の驚くべき実態

フィリピン人の父と母は、行きずりの関係だったのだろう。
戸籍のことまでケアされていなかった、

そして、母親は「戸籍のことは弁護士に頼んでおくから」と言い残し、そのまま義父と一緒にアメリカに渡ってしまった。

ミミはこのとき、

  • 母親に「捨てられた
  • 自分は祝福されて生まれたのではない

と思ったという。

その後、ミミは無戸籍であることから不法入国を疑われ、警察に呼び出された。

なぜ、何の罪もない自分がこんな目に遭わなければならないのか。

フィリピン人の血が入った外見を理由にイジめられた。

だが、悲しい気持ちを打ち明けられる両親はいなかった。

ミミは、大人たちを憎んだ。

自分の手にピストルがあれば、間違いなく引き金を引いていた」ミミはそう語る。

これも全部、母のせいだ。生きることに何の意味があるのかと考えるようになった。

それでも、自分の戸籍を作りたい気持ちは、ミミを動かしていた。

「弁護士を雇わきゃ。だけど、お金がいる」

ミミは、覚せい剤をアメリカ軍人に売るビジネスをしようと考えた。

しかし、おばあちゃんの存在が、ギリギリのところで思いとどまらせた

「人様にね、後ろ指を指されるようなことをしなさんな。そんなことをしたらね、私があんたを背負った甲斐がないからね」

ミミはこの言葉を胸に犯罪には手を染めず、やっと20歳のとき、心ある役所の人の働きで、戸籍を取得することができた。

かず
かず
愛のある両親不在でも、たった一人でいいから、真剣に、本気で、自分を愛してくれる人がいれば、その人は救われるのだ。

則夫には、この存在がいなかったことが、ミミと別の運命を歩くことに繋がった。

犯罪を犯すかどうかなんて、自分以外の外部的な要因に大きく左右されてしまうことのだ。

その後、ふとしたきっかけで永山の著書「無知の涙」を読んだミミ。

そこには、自分の分身ともいえる、愛に飢えた過去と、自分が言葉にできなかった心の叫びが記されていた。

その後、ミミは『無知の涙』をバイブルのように大切に、繰り返し読み返し、どうしても永山とコミュニケーションがとりたくなった。

自分の境遇や悩みを封書で送ってみると、なんと返事がかえってきた。

そこには、石川鑑定を経て成長を遂げた則夫の、前向きかつ的確なアドバイスが記されていた。

  • 「絶望があるからこそ、希望も湧き出てくるのです」
  • 「本当の貧しい者の生き方とは、一人の貧しい者を出さないため、その最後の一人がこの地上からいなくなるまで、戦うことだと思います」
  • 「世界の子供たちと知り合いになりたいとのことですが、どこの子も『観光用の握手』はできます。あなたは、その子供たちと、一緒の目線で本物の握手ができる人間になってください」

死刑を言い渡された人から届いたこの手紙に、ミミは「救われた」と感じたという。

ミミは、則夫と文通を重ねるに従い、「一緒に生きたい」と思うようになった。

「自分は愛を求めてばかりいたけど、じゃあ自分は与えられるものを持っているのか」

その問いの答えが、彼と一緒になり、拘置所の外に出れない彼の手足となって、更生の道を歩くことだった。

1980年12月12日、東京拘置所の面会室で、永山とミミは結婚式を挙げた。

控訴審を戦う弁護団は、永山が被害者と向き合い、これからの償いの人生をどう歩んでいくかの決意を明らかにする「生きるための裁判」にするために、ミミの存在位に一縷の望みを抱いていた。

ミミは、その期待に見事にこたえ、何度も被害者の元に足を運び、線香をあげたり、永山が本で稼いだ印税を手渡したりした。

ときには、一緒に食事をさせてもらうこともあったという。

少しずつ、被害者の気持ちも和らいでいった。

則夫の手紙や面会の際の言葉からも、「ありがとう」という言葉が増えた。

1981年8月21日、控訴審の逆転無期懲役判決が下された。

判決は、「一生、生きて償え」。そう言っていた。

2人は、淡々と、「これから、しなくならなくちゃいけないことが増えるね」と確かめ合った。

その後、1990年(平成2年)2月6日、最高裁で再逆転死刑判決が下された。

それをきっかけに、則夫は再び心の鎧を身に着け、人との接触を拒むようになる。

そして、愛情というリボンで結ばれた二人の「三本の足」は、再び二本ずつになった。

あとがき

以上のように、真の更生には、安心して人を頼れる時間、場所、人が必要である。

ホンモノには、それなりのコストがかかるのである。

愛とは、手間、コストをかけることに他ならない。

しかし、今の日本は、

  • 中身よりも外側しか見ず、せかせか忙しない資本主義・競争社会
  • 「申請しないなら保護しない」という投げやり福祉の申請主義
  • 人間の根本的な「在り方」に反する死刑制度

このような制度は、国民への愛のなさから発せられるものである。

日本に、愛のない空気を作っているのって、国である。

国とは、国民の見本である。

国が、「愛こそ全て」である事を示さなければならない。

そのような態度が、愛のある一人一人の国民を生み、憎しみの連鎖を断ち切り、本当に生きやすい毎日を作る。

そして、愛に溢れる国は、愛に溢れるリーダーにより実現される

日本は民主主義。待っていては何も変わらない。

今生きている俺たちが、自力で気づき、動いていかないと。

俺のこの記事が、その一助になれば、生まれてきた甲斐があるというものだ。

参考リンク・動画

事実誤認を理由とする検察官控訴の禁止に関する意見書

永山に死刑判決を下した原因である、検察官上訴。

かずは、下記3つを根拠に、検察官上訴は認めるべきでないと考える。

  • 国家権力という莫大なパワーで訴訟を長期間維持できる検察官と違い、たった一人+弁護人のみで、非常に弱い立場にある被告人サイド。
    →検察官上訴による公判の長期化は、被告人に与える不利益が大きすぎるし、武器対等原則に反する
  • 上記膨大なパワーで、検察官は1審で主張を出し尽くすことが可能
    →手続保障済みであり、不利益は検察官は甘受すべき
  • 裁判員裁判
    →同制度を形骸化させないために、1審理判断を尊重すべき

「少年法」厳罰化に効果はあるか

あなたは、最近の少年は物騒になってきていると思っているかもしれないが、↑を見てもらえばわかる通り、実は、少年事件は減ってきている。

その要因は‥

非行少年の立ち直りを支える保護司や、少年院で面談にあたる篤志面接員の存在が大きいでしょう。

ともに基本的にはボランティアですが、みなさん人生を賭して懸命に取り組んでくださっています。しかも彼らは少年たちに説教をしたり、カウンセリングするだけではない。

九州のある女子少年院ではこんな例がありました。篤志面接員が入所者にコーラス隊を組ませて合唱を教えた。

すると、少女たちが一生懸命に取り組み、目覚ましく更生につながった。「出来過ぎた話だ」と思う人もいるかもしれませんが、実際にこうした独自の取り組みがしっかりと実を結んでいるんです。

引用元:上記リンク先

本記事で紹介した『反省させると…』の著書岡本も、篤志家面接員である。

このような根本にアプローチする手法をより普及させていくことが、犯罪をさらに減少させるポイントである。

罰則の強化は必要ない。

しかし、日本人は厳罰化を望んでいる↓

この「食い違い」の理由は、メディアの影響であると思われる。

すなわち、メディアは少数のショッキングな少年事件を積極的に宣伝する一方、上記のような根本アプローチについては全くといっていいほど報道しない。

視聴率の問題や、規制強化をしたい「上の方の人たち」の影響であろう。

我々一人一人が、「すでに社会から攻撃されている加害者に対してさらに攻撃しかえしても、問題の根本的な解決にならない」ことを知り、それを広めていかないと、傷を渡し合う爆弾ゲームは終わらない。

かず
かず
本記事参考文献や本記事が、その歯止めの一つとして広く認知される必要がある。

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インタビュー記事『反省させると犯罪者になりますよ(kosodate media)

岡本氏の主張がよくわかる、本人へのインタビュー記事。

中田敦彦のYouTube大学 『罪と罰』ドストエフスキー

永山が犯行直前に読んでいたものである。

「天才は罪を犯しても許される」という信念に基づき、完全犯罪を成し遂げたラストーリニコフ。

だが、ライバルの切れ者刑事がいうように、「法律からは逃れられても、自分の罪の意識からは逃れられない。

疑心暗鬼になり、徐々に精神的に追い詰められていくラストーリニコフ。

そんな中、ラストーリニコフは、家族のために娼婦として働くソーニャと出会う。

不遇の中であっても、犯罪なんかに手を染めず、聖書を信じ、精一杯生きるソーニャに、無神論者であったはずのラストーリニコフは「神聖さ」を感じ、思わず跪いてしまう。

完全犯罪が成立し、逃げようと思えば逃げられたのに、ソーニャの勧めもあり、ラストーリニコフは自首する道を選ぶ。

流刑地シベリアで、命を最後まで燃やし、罪を償い続けたラストーリニコフ。

傍にはシベリアまで共に赴いていたソーニャと、聖書があった。

ラストーリニコフはソーニャの大きな愛に触れ、償いの道を歩き、最後には救いがもたらされた。

対して、永山は死刑によりその道半ばで「処理」された。

その無念は、無期懲役→死刑判決後の「生きたいと思ってから殺すのか!」という言葉に現れている。

石川鑑定により、ようやく更生へのスタートラインに立った永山の人生を、強制シャットダウンしてしまう日本の刑事司法。

こんなことが、「個人の尊重」を最高理念とする日本国憲法下で許されていることなのだろうか。

また、そのような矛盾を抱える国家機関は、現に生きている我々を幸福にするような施策を打ち出していけるのだろうか?

かず
かず
日本の刑事司法の人権軽視の姿勢は、俺たちの代で変えなければならない負の遺産である。

参考文献

『永山則夫~封印された鑑定記録~』堀川惠子

 

石川鑑定の過程が詳しく記載されている。

100時間を超える録音テープを聴き込み、則夫と石川の実際の対話のポイント部分を文字起こしした、貴重な資料。

本記事はそのまたさらに一部を俺の主観で切り取って紹介したものであり、語り尽くせてない部分や、文脈がある。

石川鑑定、そして石川のカウンセリングの真実に迫り、それを本気で役立てたいなら、次に紐解くのは本書である。

『反省されると犯罪者になります』岡本茂樹

本記事では、理論部分をピックアップして紹介している。

具体例は永山事件で説明したので、本書で紹介されている、岡本が接した多数の非行少年のケースについて、ほとんど言及することができなかった。

岡本のカウンセリング事例にあたり、永山の更生プロセスとの共通項を確認することで、非行の原因と対策についてさらにハッキリと理解することができる。

『「甘え」の構造』 土居健郎

石川の師匠の代表的著作。

現代に生じている様々な問題の背景には、「甘えたいのに甘えられない」ことのフラストレーションが隠れていると解く。

戦前にあった、家長や天皇などの権威や、専業主婦や大家族による愛情というセーフティーネットの存在が、戦後になって失われてしまった。

昔の日本にあった「大切をモノ」を分析・抽出し、個人主義の現代において活かすことが必要であると気づかせてくれた。

様々な現象と概念を「甘え」と関連付けており、人間の「弱さ」を理解し肯定的にとらえ直すのに、非常に役立った。

ちょっと難しいから、心理学をかじってたり、読書力がある人におすすめ。

『死刑の基準「永山裁判」が遺したもの』堀川惠子

上記『封印された鑑定』は石川鑑定にフォーカスするものであったが、本書は永山の一連の裁判の過程と、裁判官の人となり、ミミとのやりとりについて詳しく述べられている。

特に、無罪判決を下した控訴審の裁判長船田と右陪席(ベテラン)櫛淵の人となりがおもしろい。

  • 船田…若いときに裁判官の違いによって、同じような事件でも他方は死刑が出て、死刑がでなかったという経験をし、それ以降、死刑はそもそも必要なのか、もし死刑にせざるを得ない場合に、いかにして平等な判断とするか、という問題意識を持つようになる。

それが、控訴審判決の理由の以下の部分に現れた。

死刑の運用には慎重な考慮が必要で、仮にある事件について死刑を選択する場合があれば、その事件についてはどの裁判所が審理しても死刑を選択せねばならないほどの情状がある場合でなければならない。
立法論として『死刑宣告には裁判官全員一致の意見によるべきものとすべき』という意見があるが、その精神は現行法の運用にあたっても考慮に値する

最高裁での有名な死刑判決(永山基準)は、このような原則回避・例外死刑という厳格な死刑基準に反発してそれを緩和し、裁量を広げるものであった。

  • 櫛淵…櫛淵性は結婚後のもので、もとは福島。戦国武将「福島正則」の直系の子孫。幼い事から、武士道と陽明学・朱子学・儒教などを叩き込まれた。

控訴審での永山の被告人質問にあたり、西洋哲学傾倒の永山に対して、「全人類愛」を解く老子を勧めるなどした。

多様な背景を持つ裁判官の経験・学び、そして自らの信念に基づく行動が、ヒューマニズムある判断に繋がる。

かず
かず
現代の形式重視・効率重視の路線をひた走る新司法試験・司法行政改革で、そのような多様性をもった裁判官が排出できるのか、大いに疑問である。

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