オス!かずだ!
本問の論点は、
- 危険犯(危険の拡張と限界)
- 不作為犯(行為態様の拡張性と限界)
- 不能犯(行為無価値の拡張と限界)
- 具体的事実の錯誤(故意の拡張と限界)
であり、受験生が「実行行為」「実行の着手」とはそもそも何ぞやってところの一貫した理解を持っているか、様々な角度から試すものとなっている。
行為っているのは、構成要件・違法性・責任の本質論から読み解いていかないと理解できない。
そして、ここは刑法の迷宮である。
だが、克服しなければ未来はない。
俺は本問をクリアするため、信頼できる基本書・判例解説書を一からひっくり返し(↓)、
- 山口厚『刑法』
- 川端 博『刑法総論講義』
- 刑法総論百選
悔しい思いをした平成30年から磨きをかけてきた、法的思考をフル活用した。
その結果、理論的に正しく、かつ司法試験適合性がある「行為」概念について、ようやく完全かつ平易に整理できた(↓)。
このように、最も困難かつ重要問題が本問1だから、本問を完全に理解すれば刑法は勝ったようなもんである。
本記事を最後まで読めば、あなたにも、この安心感を分けてあげられると確信している。
ぜひ、じっくり時間をとって読んでもらいたい。
実際に使った問題用紙・構成用紙
再現答案
合格者の友達に診てもらったから、まずはツッコミ入れながら、リアル答案をみて問題点を把握しよう。
第1. 【設問1】
1 結論
乙には、名誉棄損罪(230条1項)が成立し、その罪責を負う。
2 理由
実務まで、爪を隠しておこう。
(1) 「公然と事実を適示」とは、不特定または多数人に他人の社会的評価を低下させる具体的な事実を告げることを言う。
(2) 本件では、乙が事実を適示した現場には、乙を含む保護者4名とA高校の校長の計5名がいた。
これは、特定された少数人といえる。
したがって、公然と事実を適示したといえないのではないか。
(3) 同条の保護法益は、人の社会的評価である。
そして、人の社会的評価は、特定少数人から不特定多数人に伝播しても害される。
したがって、特定少数人から不特定多数人に伝播可能性があれば、「公然と事実を適示」したといえる。
(4) 本件では、出席した保護者から他の保護者・教員に噂話として伝播するおそれがあった。
実際、乙の発言を受けて、A高校の教員25名全員という不特定多数人に丙が甲に暴力を振るったとのうわさが広まっており、不特定多数人に伝播している。
(5) したがって、「公然と事実を適示」したといえる。
(6) 「名誉を棄損」とは、人の価値に対して与えられている社会的評価が害される危険を生じさせたことを言う。
(7) 本件では、乙は、当分の間、授業を行うことや甲及び乙と接触することを禁止されており、これは乙の発言により丙が暴力を振るった疑いが生じたことに起因するので、丙の社会的評価が害されている。
したがって、「名誉を棄損」したといえる。
(8) 以上から、乙には名誉棄損罪が成立し、その罪責を負う。
採点表を意識し、要件ごとにナンバリングした方が読みやすい
第2. 【設問2】
1 (小問1)
(1) 殺人未遂罪(199条・203条)の客観面
ア 甲が乙の救助を一切行うことなくその場を走り去った行為は、不作為である。
まず、これが実行行為と認められるか。
確かに、殺人罪の構成要件は禁止規範であり、命令規範でないから、命令規範違反を問う不作為で本罪の成立を認めることは、罪刑法定主義に反するとも考えられる。
しかし、命令規範違反は終局的には禁止規範違反となりうるし、命令規範違反に禁止規範違反との等価値性を要求すれば、被告人に不利益とはいえない。
したがって、かかる場合、不作為による実行行為の成立が認められる。
そして、禁止規範違反との等価値性は、①作為義務の存在、②作為が可能かつ容易であること、により判断する。
①の認定は、法令の規定・排他的支配性を考慮して行う。
イ 本件では,①甲は,乙の子であり、民法877条1項により扶養義務を負っている。
また山道わきの駐車場には、街頭がなく、夜になると車や人の出入りがほとんどなかった。
さらに、乙が転倒した場所は、草木に覆われており、賛同及び同駐車場からは倒れている乙が見えなかった。乙を救助できるのはV一人しかいなくなっていたといえる。
したがって,甲に排他的支配領域性は認められる。
以上から,甲には乙を救助する作為義務が認められる。
②そして,甲乙ががけ下に転落することを確実に防止することができたし、甲は、それを容易に行うことができたのであるから,当該作為は可能かつ容易であるといえる。
ウ よって,甲の当該不作為には,禁止規範違反との等価値性が認められ,本罪の実行行為は認められる。
結果の発生と因果関係も認められる。
(2) 主観面
甲に殺意は認められるか。
甲は、崖下の5メートルの距離にある岩場に乙が転落する危険があることを認識していた。
岩に頭など急所をぶつけると死に至る危険が認められる。
そうであるにもかかわらず、甲はその場を立ち去っており、乙が場合によっては死ぬかもしれないという未必の故意を有していたといえる。
したがって、甲に殺意は認められる。
以上から、甲は不作為による殺人未遂罪が成立する。
2 (小問2)
これに対して、保護責任者遺棄致死罪(218条)にとどまるという立場からは、甲に殺意はないという反論をすると考えられる。
すなわち、甲は、バイクから降りて、乙に近づいて乙の様子をみており、乙の怪我が軽傷であることを認識している。
そうであれば、意識を取り戻したときに誤って崖下に落ちるようなことにはならず、自分の足でなんとかその場を離れると思っても不合理ではない。
岩場までの5メートルの距離も、落下により軽傷の者が死亡するほど高いとは言えない。
そして、上記のように、甲には「保護する責任」が認められ、また乙を置き去りにして「生存に必要な保護をしなかった」といえる。因果関係、故意も認められる。
したがって、甲には、保護責任者遺棄致死罪(218条)が成立するにとどまる。
しかし、そんな指示は(少なくとも明示的には)ない。不意打ちである。
これからは、このように異なる立場双方を論じさせる問題が出たときは、特に示されなくても自説を述べるようにしよう。
第3. 【設問3】
1 甲に殺人未遂罪が成立するという立場からは、法定的符合説により以下のような法律構成をすることが考えられる。
確かに、甲は、丁と乙とを誤認しているから、乙に対する殺意が認められないとも考えられる。
しかし、刑法の一般予防機能は、具体的な客体の齟齬を問題としない。
客体を抽象化し、「人」を殺す意思がある限り、その者の処断により一般予防は果たされるのであり、殺意は認められる。
もう一段階抽象度を落した理由づけにする
2 甲は、「人」である乙の怪我の程度を重症と見ており、死んでも構わないと思ってバイクで走り去っていて、未必の故意がある。
そして、実際に結果が生じた丁も「人」である。
従って、甲に「人」を殺す意思がある以上、殺意は認められる。
3 また、甲は上記のように乙に対する扶養義務を負っていて、しかも現場である山道脇は街灯がなく、暗くて他の者の救助は期待できないから、甲に排他的支配領域性が認められる。
したがって、甲には乙を救助する作為義務がある。
4 さらに、甲は、丁を助けるために丁に近づけば、容易に乙を発見することができたのであり、作為の可能性・容易性もある。
5 以上から、甲には殺人未遂罪が成立する。
以上
出題趣旨・採点実感・優秀答案のポイント
ポイントは、3つ。
- 事案の解決に必要な範囲で法解釈を展開する
- 具体的事実を適示し、評価する
- 重要な事項は手厚く、そうでない事項は簡潔は簡潔にし、バランスを考えた構成をする
こと。
2について、以下に掲載されている優秀答案は、想像力豊かに、自分の言葉で事実の評価を行っており、ここが厚くなっていた。
書き直しでは、特にこの部分を意識した。
書き直し答案
設問1
1 乙には、名誉棄損罪(230条1項)が成立しないか。
2(1)「人」とは、特定された個人をいう。
乙の発言のうち、「2年生の数学を担当する教員」という部分についてみると、A高校2年生の数学を担当する教員は丙だけであり、校長やPTA役員であれば丙だと特定できるから、「人」にあたる。
(2)「事実を適示し」人の「名誉を棄損した」とは、人の社会的評価を低下させるに足りる事実を告げることをいう。
教員である丙が生徒である甲の顔を殴ったという事実を告げることは、体罰への見方が厳しくなった今日の社会情勢に照らせば、教員という法的保護に値する職業的地位について、これにふさわしくない人物という評価がされる危険ある行為といえる。
したがって、乙の行為は丙の社会的評価を低下させるに足りる事実を告げるものといえ、「事実を適示し」人の「名誉を棄損した」といえる。
(3)「公然と」とは、上記行為を不特定または多数人に対して行ったことをいう。
本件では、乙が上記事実を適示した現場には、乙を含む保護者4名とA高校の校長の計5名がいた。
これは、特定された少数人といえる。
そうすると、公然と事実を適示したといえないのではないか。
同条の保護法益は、人の社会的評価である。
そして、人の社会的評価は、特定少数人から不特定多数人に伝播しても害される。
したがって、特定少数人から不特定多数人に伝播可能性があれば、「公然と事実を適示」したといえる。
本件についてみると、PTA役員会においては特段の事情の無い限り、その会議内容は外部に秘匿されるものではなく、校長やPTA役員と通じて、同校内の事実調査や噂話により、同高校関係者等の不特定または多数人に伝播する可能性が十分考えられたといえる。
実際、乙の発言を受けて、A高校の教員25名全員という不特定多数人に丙が甲に暴力を振るったとのうわさが広まっており、不特定多数人に伝播している。
したがって、「公然と」を満たす。
(4)故意について、乙は、丙に対する恨みから、丙が甲に暴力を振るったことを多くの人に広めようと考えたのであり、上記危険の発生について認識・認容していたといえる。
3 以上から、乙は丙に対する名誉棄損罪罪責を負う。
設問2
甲が乙を放置して立ち去った行為について殺人未遂罪(203条・199条)、ないし保護責任者遺棄致傷罪(219条・218条)が成立しないか。
1 殺人未遂罪について
(1) 甲が乙の救助を一切行うことなくその場を走り去った行為は、不作為である。
まず、これが実行行為と認められるか。
実行行為とは構成要件的結果発生の現実的危険性を有する行為であるところ、行為とは意思に基づく身体の動静である。
そのため、不作為であっても、このような危険が観念できる場合は、実行行為足りうるが、自由保障機能2から、作為との同視可能性が要請される。
具体的には、①作為義務、その履行可能性を担保する②作為可能性が必要である。
本件についてみると、①甲は,乙の子であり、民法877条1項により扶養義務を負っている。
また、乙は転倒し意識を失った場所のすぐそばは崖となっており、崖から約5メートル下の岩場に乙が転落する危険があった。
額をコンクリートブロック強く打ち付けていた乙が仮に意識を取り戻しても即座に完全に意識が回復するとは考えられず、自力でこの危険な状況から離脱することは困難であるといえる。
他方、山道わきの駐車場には、街頭がなく、夜になると車や人の出入りがほとんどなく、乙が転倒した場所も草木に覆われており、山道及び同駐車場からは倒れている乙が見えなかったのであるから、乙を救助できるのはV一人しかいなかったといえる。
以上から、甲には法令上の保護義務および排他的支配領域性は認められ、乙を救助する作為義務が認められる。
②そして,甲は乙が崖下に転落することを確実に防止することができたし、それを容易に行うことができたのであるから,当該作為は可能かつ容易であるといえる。
したがって,甲の当該不作為には,作為との同価値性が認められる。
そして、当該不作為の危険性は、甲がバイクで同現場から走り去り、上記義務の遂行が不可能となった時点において認められるから、同時点において本罪の実行行為が認められる。
(2) 甲に殺意は認められるか。
甲は、崖下の5メートルの距離にある岩場に乙が転落する危険があることを認識していたところ、岩に頭など急所をぶつけると死に至る危険があるといえる。
そうであるにもかかわらず、甲はその場を立ち去っているのであるから、乙が場合によっては死ぬかもしれないという未必の故意を有していたといえる。
したがって、甲に殺意は認められる。
以上から、甲は不作為による殺人未遂罪が成立する。
2 保護責任者遺棄致傷罪について
同罪にとどまるという立場からは、同罪と不作為による殺人罪とは作為義務違反の点では異なるものではなく、区別は殺意の有無によるところ、甲に殺意はないという反論をすると考えられる。
すなわち、甲は、バイクから降りて、乙に近づいて乙の様子をみており、乙の怪我が軽傷であることを認識している。
そうであれば、意識を取り戻したときに誤って崖下に落ちるようなことにはならず、自分の足でなんとかその場を離れると思っても不合理ではないから、崖下に転落する危険の認識があったとしても、認容していたとまではいえない。
仮に落下への認容があったとしても、岩場までの5メートルの距離は、落下により軽傷の者が死亡するほど高いとは言えず、乙が死ぬことまで認識・認容していたとはいえない。
したがって、甲には、乙への殺意が認められず、保護責任者遺棄致死罪(218条)が成立するにとどまるというべきであり、この立場が妥当であると解する。
採点実感がいうように、➀殺人未遂説→②保護責任者遺棄説→③私見にしようとすると、どうしても➀②で事実や評価の出し渋りが生じる。
それってマッチポンプ3だし、書く分量が増えるから、上記のように最後の②の見解を自説にして、➀を批判したという雰囲気で収めることにした。
これで多少点が伸びなくても、時間をかけないメリットの方がいデカいとの判断。
パレートの法則だな。
憲法では、主張・反論形式は以上のような問題点の自覚されたからか、廃止された。
試験委員には、科目をまたいだ、普遍的な出題形式の問題点のシェアを行ってもらいたい。
設問3
甲が、乙と誤認した丁の救助を一切行うことなく、その場からバイクで立ち去った行為について殺人未遂罪を否定する立場に対し、これを肯定する立場からは、丁・乙について、それぞれ以下のような法律構成により、反論する。
1 丁について
(1)客観面
丁について、不作為による殺人未遂の実行行為が認められるか。
たしかに、甲は丁と無関係であるから、上述の民法877条1項により扶養義務はない。
しかし、上述のように山道わきの駐車場には人通りがほとんどなく、また丁の怪我の程度は重症であり、自力での危険回避が困難な状況になったのであるから、当該状況において唯一丁を発見していた甲には同人への排他的支配が認められる。
したがって、甲には丁を救助する作為義務が認められる。
また、すぐに119番通報を行うなどの、丁を救助する措置をとることを妨げる事情はなく、可能かつ容易であったといえる。
したがって、丁の上記行為は、作為義務違反との同価値性が認められ、実行行為と認められる。
(2)主観面
甲の上記行為に「丁」の生命への具体的危険が認められるとしても、甲は「乙」が死んでも構わないと思っていたのであり、殺意について、客観面との食い違いがある。
しかし、構成要件は一般人への行為規範であり、具体的な客体の食い違いを問題としない。
「人」を殺す意思がある限り、行為規範としての機能は果たされるのであり、殺意は認められる(法定的符合説)。
本件では、甲は「人」である乙の怪我の程度を重症と見ており、死んでも構わないと思ってバイクで走り去っていて、未必の故意がある。
そして、生命への危険が生じた丁も「人」である。
従って、甲に「人」を殺す意思があるのであり、殺意が認められる。
以上から、甲には丁に対する不作為による殺人未遂罪が成立する。
2 乙に対して
(1)客観面
甲の上記行為は、丁に対して法益侵害の危険を生じさせるものであるが、乙に対するものではない。
したがって乙に対する具体的危険を生じさせるものではなく、不能犯となり、同人に対する未遂が成立しないのではないかか問題となる。
この点について、違法性の本質は社会的に許されない侵害行為であるから、社会的に見て結果発生の危険が認められば未遂を認めるべきである(具体的危険説)。
具体的には、行為時に一般人が認識しえた事情及び、行為者が認識していた事情を基礎として、結果発生の危険が認められれば、未遂を認めるべきである。
本件では、甲と同じ立場にいる一般人でも、丁を乙と認識する可能性が十分に存在したのであるから、甲の上記行為は法益侵害の危険を生じさせるものであり、実行行為と認められる。
(2)主観面
甲は、乙が死んでも構わないと思っていたのであるから、同人への殺意が認められる。
もっとも、上述のように丁に対する殺意が認められるから、乙に対する殺意を認定してもよいか、故意の個数が問題となる。
責任主義の観点からは、行為者の認識した人数の責任を負うに留まるべきであるが(38条2項参照4)、いずれの客体に故意を認めるかという困難な問題が生じる。
そこで、複数の故意を認めたうえ、後述のように、54条1項前段により客体の数に応じた責任に限定すべきである(数故意犯説)。
よって、甲は乙に対する殺人未遂罪が成立する。
3 罪数
以上から、甲には丁・乙に対する殺人未遂罪が成立し、これらは一個の行為が二個以上の罪名に触れる場合であるから、観念的競合となる(54条1項前段)。
観念的競合について「?」の人は、下記記事参照。
あとがき
いかがだっただろうか。
実行行為・実行の着手の概念を、様々な角度から浮き彫りにできたと思う。
ここが刑法の核だから、峠は越えた。
この後の勉強は、本記事で挙げた構成要件以外の成立要件を整理しておくことが主となるだろう。
参考文献
- 山口厚『刑法』
- 川端 博『刑法総論講義』
- 刑法総論百選
ここで使った基本書のレビューはこちら↓
コメントを残す