【死を思え】『プラン75』

(2023年3月22日おすすめ作品追記 『へろへろ~雑誌『よれよれ』と「宅老所よりあい」の人々(鹿子裕文))

オス!かずだ!

今日も、俺達を取り巻く重要社会問題に立ち向かう力を得るべく、物語りをシェアする!

俺と一緒に、「この物語りではどんな法則(教訓)が隠れているのか」考えて思考力を高めていこう!

かず
かず
俺の意見は一つの考え方にすぎないから、コメント等でみんなの考えも聞かせてもらい、さまざまな角度から法則を浮き彫りにしていきたい。

一緒に楽しんで学んでこう!

さて、今日のお話は…

作品情報

PLAN 75』(プランななじゅうご)は、2022年6月17日に公開された映画作品。日本・フランス・フィリピン・カタール合作。
75歳以上の高齢者に対して自らの生死の権利を保障し、支援する制度「PLAN 75」の施行に伴う制度の対象者たちや市役所の職員、スタッフの苦悩を描く。
監督は本作が長編映画初監督となる早川千絵、主演は本作が9年ぶりの映画主演作となる倍賞千恵子。

引用:wiki

第95回アカデミー賞(外国語映画賞部門)や第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門など、数々の賞を総なめにしている。

高齢化社会の渦を順調に回る日本の未来を、ここまでかと鋭利に描き出している。

そしてその問題は、高齢化社会そのものの問題というよりも、それを取り巻く日本社会全体の問題にその本質があるように、俺には思えるのだ。

大ヒット公開中|映画『PLAN 75』予告編

ざっくりストーリー

「未来を、守りたいから‥」そんなPR動画が流れる、プラン75の申請会場のイスに、その老女は座っていた。

「プラン75が施行され、さまざまな民間サービスが生まれました。その経済効果は1兆円規模にまで広がり、世界で類を見ない高齢化社会に行きづまりをみせる日本に、明るい未来が差してきたと、専門家は語ります。」

日本では高齢化問題の解決策として、75歳以上の高齢者に「安楽死する権利」が認められた。

思いつめたように重ねた手を見つめ、順番を待つのは、夫と死別してひとり慎ましく暮らしている、角谷ミチ。78歳。

身体は丈夫だし、デジタル機器の使い方も同年代の友達に教えることもできる…のだが、「高齢」を理由にホテルの客室清掃の仕事を突然解雇されてしまった。

ハローワークで就職先を探すも、なしのつぶて。

なんとか貯金でやりくりしなくてはと、安いアパートに引っ越そうとしても、夫に先立だれ、子供も孫もいない彼女に、貸手は見つからない。

不動産屋には生活保護の受給を進められるが、律儀な彼女の口からは、「まだ、がんばれると思います」という言葉が絞り出された。

足が無意識に炊き出しに赴くが、それを受け取ることができない。

見かねたボランティアの人が、彼女に、暖かい豚汁を差し出した。

彼女には、それが彼女に差し出されたものなのか、まだ、わからないように見える。

だがやがて、焦点はそれを捉え、ゆっくりと、少しずつ、そのぬくもりに、近づいていく。

あくる日、病院の窓口で、友と話す。

「こういうとこ来るのも肩身が狭いね。いつまでも長生きしたいみたいで…」

「さびしいだけが人生だ…」

おっと、彼女の順番がまわってきたようだ。

ミチを担当するのは、プラン75推進課に配属されたばかりの新米市役所職員、ヒロム

彼は、課長からの教え通り、微笑みをたたえながら、プラン75の内容を穏やかに説明していった。

  • 他人とまとめて火葬・埋葬されるから、葬式や墓の費用の心配はいらない。
  • 10万円の給付金も出るから、旅行にでも何にでも、好きに使ってよい。
  • 審査も健康診断も、家族の承諾も不要。
かず
かず
財産状況・稼働能力の調査、扶養照会…生活保護とは対照的に、らくちんだな

彼女は、それ以外の選択肢は、考えつかなかった。

プラン75の申請が受理されると、対象者には、“その日”が来る直前までサポートする、コールセンタースタッフがつく。

ミチを担当するのは、まだ20代前半で、この職が社会人初体験となる、ルリ子だった。

プラン75のコールセンタースタッフは、対象者と個人的な接触をすることは禁じられる。

プライベートの話も、あくまで「理解」を示し、プランから離脱しないようにするために聞く…

はずだったのだが、ルリ子はミチに誘われ、一緒にボーリングに行ってしまう。

「どうして会っていけないのかね」

「情が移る…からだと思います」

ミチからは、「来てもらったお礼」として10万円を差し出される。

ルリ子は、恐縮しながらも、どうしてもというミチに押し切られ、それを受け取る。

ボーリングは、昔夫と来たのだという。

一番軽いボールを両手で抱え、放る。

ゆるゆると、だが確実に進むそれは、ピンを音もなく、ドミノのように順番に、倒していく。

隣のカップルと、ハイタッチ!

だが、時は、前に進むのだ。

翌日のプランの最終過程を前に、ミチとルリ子は電話で話す。

「最後にお伝えしたい事がります…

プランの75は、お客様なの申請を受けて、実施されるものです。

翌朝、家を出るときは、鍵を閉めないで出てください。担当の者が伺って、大家さんへの引渡しを行います。」

「最後まで、お世話になりますね」

「こちらからは‥以上になります…」

「いつも、おばあちゃんの長話に付き合ってくれて、本当にありがとうございました。」

「それでは、これで…」

「さようなら」

死に場所の施設で診察台に横たわるミチ。

カーテン越しの隣にも、同じようにプラン75対象者が、幾人も横たわっているようだ。

だが、動くものは何もない。

もう彼らは、旅立ってしまったのだろうか?

彼女の周りには、誰もいない。

こちらからは、彼女を縛るものは、何も無いように見える。

ただあるのは、どこまでも、どこまでも長い静寂。

そして、彼女の口にある、苦痛なく生命を吸い取るガスが出る、マスクだけだ。

かず考察

日本を悩ます少子高齢化問題…

俺が小さい頃からすでに、国際競争力の低下や限界集落1などの問題が提起されて続けているが、日本政府は決定的な打開策を打てない(打たない?)でいる。

そんな中、2023年1月11日に、ツイッターで突然「集団自決」という物騒な単語が「トレンド」入りした。

これは、イェール大助教授で経済学者の成田悠輔氏(38)がの以下の発言が原因だ。

【改造論】成田悠輔「消えるべき人に消えてと言える状況を」ひろゆき「過疎化より無人化の方がマシ」少子化&人口減少前提で考える日本の未来|#アベプラ《アベマで放送中》

この日のテーマは、高齢化や少子化にともなう人口減少の問題で、リモート出演していた成田氏は

「僕はもう唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局高齢者の集団自決、集団切腹みたいなものではないかと…」

と述べた。スタジオは笑いに包まれ、出演していた慶應義塾大学特任准教授でプロデューサーの若新雄純氏から

「今日は言わないかと思っていたけど、生放送で言いやがった」

と笑顔で指摘される中、成田氏は

「やっぱり人間って引き際が重要だと思うんですよ。別に物理的な切腹だけでなくてもよくて、社会的な切腹でもよくて、過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤーで多すぎるというのが、この国の明らかな問題」

などと話した。

   ろれつが回らなかったり、全く会話が成立しなかったりする高齢者が社会の重要なポジションを占めていることを若年層が当然だと受け止めているとして、「すごく危機的な状況」だとも主張。

「消えるべき人に『消えてほしい』と言い続けられるような状況を、もっと作らないといけないのではないか」

と話した。

引用:成田悠輔氏、物議醸す「高齢者は集団自決」発言は持論だった メタファーと説明も…「老害化」社会防ぐ「最強のクールジャパン政策」と直言 JCASTニュース ※太線はかず

【成田悠輔×堀江貴文】高齢者は老害化する前に集団切腹すればいい?成田氏の衝撃発言の真意とは

『1ミリも尊敬できない老害にガンガンプレッシャーをかけて、世代交代を促していき、ゆくゆくは安楽死を解禁し、そして最終的には、「社会保障」という言葉すらもいらないようにしていくべきである。

それが、大義のために死ぬ日本人にふさわしい、最高の「クールジャパン戦略」ではないか。』

これが、彼の主張である。

あなたは、この意見についてどう思う?

反論すべきでああろうか?反論できるだろうか?

人間の価値って何なのか?

お金を稼げること?

子供を産めること?

そういう人以外は、生きてちゃダメなのか?

誰かの悲しさの上に、楽しみは見いだせるのだろうか?

自業自得?

その人のことを、俺達は本当に知っているのだろうか?

俺は、一番身近であるはずの、母親のことも全然知らなかった。

  • 俺が生まれてきたときは、嬉しかったんだって。
  • 俺の幼稚園や習い事のお金が払えるか、いつも心配していたんだって
  • 給食センターのパートのどろどろ人間関係に疲れ、家の改築や父母の集まりや弟の世話が重なって、目の前のことをさばくのに精いっぱいだったんだって。
  • 世界中を放浪する姉ちゃんの尻ぬぐいをさせられ、自分は家に縛られて、うらやましかったんだって。
  • もう一度親父と、今度はもっと正直に、話したいんだって。

話すことは離すこと。

死んじゃったら、もう、遊べないのである。

作品へのリンク

本記事はミチさんに焦点を当てて描き出したが、本編では、

  • フィリピンから幼い娘の手術費用を稼ぐため単身来日した介護職のマリアの、プラン75関連の「ある仕事」への転職
  • ヒロムとその叔父のプラン75申請会場での再会と彼らの行方

という物語も進行する。

果たして、<プラン75>に翻弄される人々が最後に見出した答えとは―――。

そして、あなたなら、どうするだろうか?

その他おすすめ作品

わらってよピッコ(ルイス・ストロボキン作 こみやゆう訳)

かず
かず
図書館で吸い寄せられた!

イタリアの小さな公園に3頭のロバと1頭のポニーがいて、子どもをのせたカートをひいて公園を散歩します。

ピッコという名のポニーはいつもどこか悲しそうです。

そんなピッコを見て、アルフレッドとジーナの兄弟は、ピッコをなんとか元気にしてあげたいと行動を起こしました。

ピッコのために思いつく限りの方法を試して奮闘する兄妹が、健気にかつユーモラスに描かれています。スロボドキンの愛らしい絵とともにお楽しみください。

引用:わらってよピッコ 福音館書館

アルフレッドとジーナは、できるだけピッコのカートには乗らないようにしていた。

だって、ピッコはものスゴイ速さでダッシュし、すぐに公園一周してしまうし、なんだかいつも、かなしげにカートを引いていたので、きのどくになってしまったからだ。

「もしかして、ピッコは、ほしいものがあるのかな?おいしいものとか」

にんじんをあげ、りんごをあげ、果てはおもちゃをあげ、本を読んであげ…

だけど、ピッコはやはり、かなしそうだ。

二日間、二人は考える。

「あぁ、どうやったら、この子を笑顔にしてやれるのかしら?」

そして思いついたのが、なんと、ピッコをカートに乗せて、自分たちがそれを引く、というポジション逆転作戦。

「こ、こら~!何としとるんだ!」ピッコの持ち主のおじさんはおいかけるが、周りの子どもたちからは、大ブーイングが巻き起こる。

「ポニーがカートに乗ったって、いいじゃないか!」

さあ、果たしてアルフレッドとジーナは、ピッコを笑顔にすることができるのか?

かず
かず
二人のハイアーマインドから、われわれ大人たちが取り戻すべき、大切なものが学べるんじゃないだろうか?大人のための教科書である。

【ダークサイドを照らせ!】『愛を実らせる人々』(永田謙一)

へろへろ ~雑誌『よれよれ』と「宅老所よりあい」の人々(鹿子裕文)

福岡の街中に、毅然としてぼけた、ばあさまがいた。

一人のお年寄りが、最期まで自分らしく生きるために、介護施設「よりあい」が始まる。

「自分たちで自分たちの場ちゅうやつを作ったらよかっちゃろうもん!」熱くて型破り、超個性的な人々が、前代未聞の特別養護老人ホームの開設を目指し、あらゆる困難を、笑いと知恵と勇気で乗り越えていく実録痛快エッセイ。

引用:へろへろ 筑摩書房

福岡市中央区地行。

市の中心部にほど近い、歴史のある古い街だ。

大空襲による被害を奇跡的に免れたおかげで、そこかしこに昭和のにおいが残っている。

その歴史のある古い街に、一人の強烈なばあさまが住んでいた。

明治生まれの大場さんは、旦那さんと死にわかれてからというもの、明治女の気骨一本でその後の人生を生き抜いてきた。

しかし、人はぼけるときはぼけるのだ。

糞尿は垂れ流し状態、服も着替えることはなくなった。

伸びに伸びたざんばら頭を振り乱し、ケダモノ臭+アンモニア臭をまき散らしながら、街で暮らすようになった。

完全なる妖怪である。

妖怪はそのうち、ガスコンロで暖をとるようになり、たびたびボヤ騒ぎを起こすようになっていった。

さらには大量の食糧を買い込み、腐らせ、放置して、異臭騒ぎも起こすようになった。

近隣住民からは、「もう生きた心地がしない!どうにかしてくれ!」 の声。

幾人も大場さんを老人ホームに「しまっちゃおう」と説得を試みたが、相手はB29による本土爆撃をくぐり抜けてきた明治女である。

「あたしゃここで野垂れ死ぬ覚悟ばできておる!いらんこったい!」

到底かなわない。

そこで声がかかったのが、下村恵美子、その人だ。

下村恵美子は一風変わった介護専門職だった。

誰もが手を焼く「とてつもないばあさまがいる」と聞くと、小さな目のようなものを輝かせ、胸が高まり、その顔を拝まなくては気が済まないというタイプの社会福祉士だった。

下村恵美子は、大場さんを見て、一瞬にして、ときめいた。

「おぉぉぉ、いいねぇ!」

<一人の困ったお年寄りから始まる>

「宅老所よりあい」という前代未聞の老人介護施設の設立と運営、そして下村恵美子をはじめとする職員とお年寄りとの間で繰り広げられる、ドタバタ大騒動。

本書はそんな空前絶後の大竜巻に巻き込まれてしまった、窓際編集者、鹿子裕文の綴った、無常観あふれる徒然草である。

大場さんをはじめとする困ったお年寄りと遊ぶため、伝照寺という寺の片隅で始めたデイサービスから、それは始まった。

「よりあい」と命名されたそこでは、世の「託」老所がするようなリハビリやお遊戯なんかしない。

よりあいがするのは、「いたらんこと」をしないこと。

一日のプログラムなんてもんはなく、桜が咲いたと聞けば花見に出かけ、暑くてたまらないとなれば博物館のロビーに涼見に行き、お茶がのみたくなったら、喫茶店に押しかけた。

なにも強制されないお年寄りたちは、実にのびのびと振る舞った。

目を離したすきに納骨堂に侵入し、お供物のお菓子をぱくついたり、木魚を勝手に叩いて、違う宗派のお経をあげたりした。

観音菩薩に十字を切って、「アーメン…」と祈りをささげるクリスチャンの人もいた。

鐘をガンガンならす人もいた。

それは鼻血が出るくらい面白い光景であったが、世の中面白ければ何でもよいかというと、必ずしもそうではない。

寛大な住職は大抵のことなら笑って許してくれたが、お年寄りが増えるにつれて、仏事に支障が出るようになった。

もうこれ以上、お寺に迷惑をかけられない。

自分たちの場は、やっぱり、自分たちで作らなければならないのだ。

ここから、特別養護老人ホーム、「宅」老所よりあい設立に向けての、行政、近隣住民をも巻き込んだ大活劇へと、物語りは急展開を迎えるのである。

禅寺の片隅で始めたデイサービスから始まり、その近くのオンボロお化け屋敷の改装、そして木と人のぬくもりが感じられる特別養護老人ホーム建設へ…

お金が足りない、資材が足りない、人手が足りない。

人生、一人じゃうまくいかない。

一人の力じゃ冷蔵庫を動かすのだって大変だ。

だけど、それが三人ならどうだろう。五人ならどうだろう。十人いたらどうだろう。

冷蔵庫は、宙を舞うかもしれないのだ。

何事も、一人でやろうとするからいけないのだ。みんなでやればいいのだ。みんなでやれば楽しくなる。

なるようになるかもしれない。ケ・セラ・セラ。

ペギー葉山はきっと正しい。先のことなど、わからない。

ケ・セラ・セラ(ペギー葉山)1996

下村恵美子たち世話人たちがする資金集め(追いはぎ?)の手法は多岐にわたる。

まずは、「よりあいの森カフェ」。

そこでは、手作りスイーツにカブトムシのように引き寄せられたお年寄り、世話人、そして近隣住民が、カフェと施設をつながぐウッドデッキでともに、お茶なのか、ひなたぼっこなのか、よくわからない行為をする。

そこには線はなく、年齢も、IQも、優しさも、意地の悪さも、命の堆積が織りなしている無限のグラデーションの中に、解消されていく。

また、著者鹿子と同様に、よりあいに巻き込まれてしまった詩人、谷川俊太郎。

チャリティーオークションで競売動産のように詩を叩き売られた挙句、ステージに上げられ、身体拘束のうえ着ていたTシャツを脱がされ、「老詩人の臭いつきTシャツ」としてさばかれて、しぼり尽くされた”にぼし”のようにされてしまうのである。

かず
かず
起訴状にこのまま書けそうである

チャリティー会場では、心無い声も聞こえる。

「そんなはした金あつめたって、どうにもなりゃせん」

「一生行商するつもりか?そんな施設、できたってどうせすぐ潰れるよ」

そんなとき、よりあいに、「よりあいの日常を映像化したい」というドキュメンタリーの取材依頼が来ていた。

テレビでよりあいのことが流れれば、一気に資金集めに勢いがつく。

しかし、下村恵美子は即座に「ダメだ」といった。

「世の中には、もらっていいお金と、もらっちゃいかんお金がある!」

珍しく、厳しい口調だった。

下村恵美子がこうなってしまうと、世話人たちはビアードパパのシュークリームをガラス越しに見つめる子どものように、指をくわえるほかなかった。

かず
かず
なぜ、下村はこんなおいしい話を蹴ったのか。そこには、「いいことをしている」という不自然さへの敏感な肌感覚があったのだと思う。

鹿子は、下村らから資金集めのエースとして託されたよりあい紹介雑誌、『ヨレヨレ』の編集作業する中で、不思議なことに、よりあいのことがより、わからなくなっていった。

始まりは、一人の強烈な、大場ノブヲさんというばあさまだった。

それはわかる。

だが、大場さんの抱えていたものがなんなのか、彼は一度だって想いを巡らせてこなかったのだ。

「野垂れ死ぬ覚悟」とはどのような覚悟なのだろう。

「私がそんなに邪魔ですか?」

聞こえない声が聞こえてくる。

社会から放逐された多くの人間の声だ。

犬が、猫が、そしてあなたにも、今はそうでなくても、いつか聞こえてくるかもしれない声なのだ。

誰の下にも、豊かな魔法の世界が、広がっているのに。

人間は、縦にも横にも、つながっている。

そして、どんな人からも、何かを学びとることができる。

足が弱い、頭が弱い、会話が成り立たない…

  • 用済み
  • 穀つぶし

誰が、どんな基準でそれを決めるのか?

ぼけた人を邪魔にする社会は、遅かれ早かれ、ぼけない人も邪魔にし始める社会なのである。

「野垂れ死ぬ覚悟」とは、おそらく、そういうところからしか聞こえてこない、反逆の覚悟なのだ。

人様からなんと言われようと、それでも生きてやるという宣戦布告だ。

あるときは、したたかに。

またあるときは、笑い飛ばしながら。

おもしろいじゃないか。

痛快じゃないか。

ロックンロール。

「楽しもう。もがきながらも。」

それが、創刊号のキャッチフレーズだった。

※なお、宮崎駿は一切関係ない

平日も、休日もない世話人がそうして集めた、硬貨だらけの重いお金。

これに合わせて必要なのは、行政からの一億二千万の補助金。

これに挑むのは、よりあいの代表である、村瀬孝生の地域住民への、直球激白プレゼンテーションである。

いつも寝ぐせが完璧にセットされている、苦学生風の中年男性からの声は、質問からだった。

「みなさんは、老人ホームに入りたいタイプですか?」

村瀬の問いかけに笑う人もあった。入りたいという人は一人もいなかった。

それでも今すぐではない。どうしても一人で生活できなくなったから、仕方なく入るだろうという人が大半だった。

そして、村瀬は静かに、語りだした。

  • 「だれだって、できれば老人ホームに入らずに、住み慣れた場所で、いつもの生活の延長線上に、最後を迎えたいですよね」
  • 「あの森のような場所に作る老人ホームは、『老人ホームに入らないで済むための老人ホーム』にしようとしているんです」
  • 「みなさん、ぎりぎりまで自宅で暮らす方法が一つだけあるんです。それは自分の時間を誰かのために使う事なんです」
  • 「ただ…人というのは不思議なもので、頭で考えているほど、体は動かない。そこまで崇高にできてない」
  • 「遊び半分でいいんです。興味本位で構いません。あまり深く考えずに、一緒に何かやることを続けてみませんか」
  • 「人と言うのは不思議なものです。そうやって何度も通っているうちに、自然と話の合う友達ができたり、顔見知りになっていったりします。バカ話してゲラゲラ笑えるようになれば、もう腐れ縁になったも同様です。」
  • 「縁を作るには確かに時間がかかります。でも、そういう時間をかけてできた縁というのは、そう易々と切れないものです。そこが、お金で繋がっていないことの良さなのです」
  • 「そうした人たちが老いの時期を迎え、何か不都合な思いをするようになっておきながら、何もしないのかって。言われなくても、僕らは動かざるをえません。なぜなら、僕らにだって、世間体があるからです。不義理をしてうしろめたい気持ちになるのは、やっぱり誰だっていやなもんですよ。」

住民の多くが笑った。

お年寄りに添い寝に来ていた人が、今度は添い寝される側になる老人ホーム。

村瀬孝生は、前編後編2回シリーズの説明会をあちこちで開き、昼の部、夜の部などに分けて、都合9回行った。

参加した住民はのべ248人で、建設反対を唱える意見は、ただのひとつもでなかった。

消防法ぎりぎりをついた木造のシェアハウス風の建物、作っている人の顔が見え、「今日の晩ごはん何?」とヒョイと覗けるるキッチン…

その中には、下村恵美子が支援者から集めた古い時代につくられたアンティークが、それぞれに価値を見出され、飾られ、新しい居場所で輝いている。

下村恵美子は、ダシを最後の一滴まで出し尽くし、よりあいから去っていくときに、「玄関の壁に釘を打って欲しい」と言った。

そこに飾られたのは、この世にひとつしかない、彼女の宝物だった。

よりあいよりあい

谷川俊太郎

よるがちかづくとたましいは

りくつをわすれる

あいのしょっぱさも

いきることのすっぱさも

よけいにあじわえて

りきむことなく

あえかなまどろみに

いいゆめをみて

よれよれのからだも

りすのよう きにかけのぼり

あまいこのみを

いっぱいとってくる

よろこびにはなんの

りゆうもなく

あすはちかくてとおい

いきるだけさ

しぬまでは

引用:本書83頁

画像引用:重なり合って見えた世界観 宅老所よりあいHP

かず
かず

実現不可能と言われてた、奇跡の集いの場。

大丈夫。一番大事なものを見据えて動けば、あとはなるようになる。

ケ・セラ・セラ~

でも、そこをどう見てもらうかなんだよな~

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