オス!かずだ!
楽しく、学びがあるアマプラ映画をどしどしシェアしていくな!
俺と一緒に、「この映画ではどんな法則(教訓)が隠れているのか」考えて思考力を高めていこう!
一緒に楽しんで学んでこう!
Amazonプライム会員だと無料で観れるものが多いから、登録がまだの方は済ませておこう(リンク先の「プライム」をクリックまたはタップ)↓
初回登録者には必ず30日間の無料体験が付与されており、料金の支払いが始まる前にすべてのサービスを実際に利用できる。
さて、今日のお話は…
作品情報
『13デイズ』(サーティーン・デイズ)は、2000年のアメリカ映画であり、1962年のキューバ危機を題材にしたサスペンス映画である。
1962年、米軍偵察機が捉えた衝撃の映像。
それはソ連軍がキューバに配備したと思われる、最強の破壊力を持つ核ミサイルの姿だった。迫りくる第三次世界大戦の危機。
これに真っ向から立ち向かったのは、米国史上最年少の大統領ジョン・F・ケネディ、司法長官ロバート・ケネディ、そして有能と謳われた大統領補佐官ケネス・オドネル。
彼らはいかにしてこの最悪の事態から世界を救ったのか…
引用:Amazonプライム
同じケネディ大統領を扱った映画『JFK』でも主演を務めたケビン・コスナーを、大統領特別補佐官ケネス・オドネル1役として迎えた。
とにかく戦争をしたくてウズウズの軍部の姿をしっかり描いたため、国防省からの協力を得られなかったというエピソードがあり(wiki)、それが本作が真実に迫るものであることを語っている。
ところで、今日は太平洋戦争の終戦記念日、8月15日。
この大戦で、全世界では5000万から8000万人が、日本では310万人以上が死亡したとされる(そのうち広島と長崎への原爆投下で20万人以上の民間人が犠牲となった)。
- 第二次世界大戦の犠牲者 wiki
- 第二次世界大戦における日本の戦力や死者数は?参戦した経緯や影響も解説 REKISIRU
対して、キューバ危機では、1人のアメリカ軍パイロットの犠牲であった。
大戦後の技術進歩により、兵器の殺傷能力が格段に上がっていた時代にあって、なぜ、キューバ危機では1人の犠牲で矛を収めることができたのであろうか。
それは、後世に「偉大なる説得者」として語り継がれる、ケネディ大統領の交渉術に、秘密があるようだ…
終戦記念日であるとともに、お盆でもある今日。
ご先祖様も、遠い家族も帰ってくる。
世間では、先の大戦について多くの特集が組まれ、みんなで一緒に考える機会を設けてくれている。
法的思考力・交渉力を磨いている俺たちとしては、キューバ危機・交渉術という、ちょっと変わった切り口から、考えてみよう。
先の大戦、そしてこれからについて、新たに見えるものがあるはずだ。
ざっくりストーリー
↓のYouTubeチャンネル(ヒストリー・レポート)の動画が、キューバ危機のストーリーを、実際の映像を交えて要点をよくまとめてくれている。
疑問点があったら、wikiで補充しよう↓
かず考察
交渉のパターンとしては、大きく、「駆け引き型」と「法則立脚型」に分けられる。
前者の「駆け引き型交渉」は、当事者の利益を最大化しないバットエンドに終るが、細かく見ると、当事者の特性により、そのパターンが違ってくる。
その特性とは、「ハード型」「ソフト型」である。
引用:『ハーバート流交渉術』ロジャー・フィッシャー&ウイリアム・ユーリー著 ちくま書房
【ウエノvsメンヘラ女弁護士~パワハラ撃退体験記~】『GIVE&TAKE』『孫氏の兵法』から抽出した「勝利の法則エッセンス」を成功体験と共にシェア
では、キューバ危機において、アメリカとソ連が「ハード型」を選択した場合、どうなるだろうか?
アメリカがキューバのミサイル基地を先制攻撃すれば、ソ連はトルコにあるアメリカの核ミサイル基地や、西ベルリンに対して報復に出る。
これに対してさらにアメリカが報復に出れば、ソ連も報復に出る。
相手にナメられないための、終わらない報復合戦。
そのような「ハード型」同士の力の交渉が行き着く先は、核戦争である。
双方の利益を確保するために必要な態度は、「目には目を」ではないのだ。
なので、ケネディは、キューバに向かう船の臨検(海上封鎖)という手段で、これに対抗する道を採ることにした。
そして、彼はそれをテレビ演説で世界に示した。
「我が同胞アメリカ国民よ。我々が今、かつてない危険と困難の状況に直面している事実については一辺の疑いを持つまい。
これから先どんなことが待ち構えているのか、どれだけの犠牲が出るかは誰も予想できない。
絶え間ない脅しと非難が直面する危険を我々に思い起こさせるであろう。
しかし、我々にとって最大の危険は、何もせぬことである。
我々が選んだ道は、無数の障害に満ちている。
しかし、それは我々の国家としての性格と勇気を反映し、世界におけるアメリカのコミットメントを貫き通すものに他ならない。
自由の代償は常に高い。
だが我々アメリカ人は常にそれを支払ってきた。
我々が決して選ばない道がある。それは、従属と降伏の道だ。
我々が目指すのは力の勝利ではなく、正義の擁護であり、自由を犠牲にした平和でもない。
単にこの西半球のみならず、世界中で自由と平和が確立するのが、我々の最終目標である。
その目標が達成されんことを、神に祈ろうではないか。」
ケネディの顔がテレビ・スクリーンから消えた時、私の周囲にいた学生たちが一斉に立ち上がって拍手した。
「We back you Jack!」(ジャック、我々はあなたを支持する!)
ある学生が叫んだ。
いつもはジャック・ケネディをぼろくそに批判している共和党保守本流を自認する学生だった。
引用:『ケネディからの伝言』落合信彦112頁
果たして船は臨検を受け入れるのか…
封鎖ラインにぐんぐん迫る船団…
護衛の潜水艦がいる!
止まらなければ、警告射撃をせざるを得ない。軍事衝突に発展するかもしれない…
日ソ双方が手に汗握る中、船団はゆっくりであるが、方向を変え、Uターンを始めた。
やった!意思の勝利だ!
歓喜の美酒に酔いだすホワイトハウス。
だが、交渉は待ってはくれない。
フルシチョフから届いた書簡により、ケネディ一同は、交渉の次のステージに立たされる…
モスクワのアメリカ大使館から、「フルシチョフ書記長から親書届く」の報告がきて、ホワイトハウスは緊張に包まれました。
親書はテレックスでワシントンに送信されましたが、量が膨大で受信になんと3時間もかかっています(当時はアナログ回線だけでで、今のような光回線や高速モバイル通信はありませんでしたからねぇ)。
「親愛なる大統領閣下
あなたが、本当に平和と貴国の人々の福利に関心がおありなら、私は同様にソ連邦首相として我が国の人々の福利に関心が有ります。さらに、普遍的な平和の維持は両国の共通の関心事であるはずです。
もし戦争が現代の状況下で勃発したら、それは単に両国間の戦争ではなく、悲惨で破壊的な世界規模の戦争となるからです。
(中略)
私の提案はこうです。我々はキューバにこれ以上の兵器は送らないし、キューバにある(攻撃的)兵器は撤収するか破棄する。その代わりに、アメリカはキューバに侵攻しないと約束し、海賊のような臨検行為を中止する。
我々は戦争と我々を結びつけるロープを互いに引き合っているようなものだ。引けば引くほど結び目に固くなり、やがて結んだ当人すら解けなるなるだろう、そうなれば、結び目を断ち切る必要が出るが、それが何を意味するかよくおわかりだろう」引用:激動の20世紀 キューバ危機 12 フルシチョフの親書 鳥です(楽天ブログ)
ハードvsハードが悪手だとしたら、このフルシチョフからのの要求に応じるのは、正しい態度なのではないだろうか?
そうではない。
ハード型の要求に安易に応じて譲歩してしまう「ソフト型」だと、相手はナメてきて、どんどん要求をエスカレートさせていく。
実際、ソ連は、アメリカが上記条件に応じようという素振りを見せたとたん、追加の条件として、アメリカがトルコに設置しているミサイルの撤去を求めてきた。
ハード型にとって、ソフト型は、カモがネギを背負っているのと同じなのである。
脅しに屈して奴隷となってははならない。
真の交渉が目指す平和とは、誰も犠牲にならない、公平・平等な相互依存の世界である。
問題が生じたときに、傷つけ合い、または一方的搾取に至る駆け引き型交渉では、その目的を達成できない。
公平・公正な客観的基準に基づく交渉術でなければ、真の利益最大化は図れないのである。
…
…
では、それを再確認したケネディ率いるアメリカは、今後どんな態度をとっていくのだろうか。
- 人と問題を切り離す
- 立場の裏の利益に着目
- お互いの利益を最大化する複数案の創造
- 法則(公平な客観的基準)に基づく解決にこだわる
- BATNA
…
- 安全保障理事会で「古タヌキ」大使アドレーが見せた、ミサイル設置を否定するソ連に対する、証拠と事実に基づく一歩も引かない追及
- ロバート・ケネディ司法長官の、感情に流されない、お互いの利益を最大化する公平な案を粘り強く議論する姿勢
- そして、ケネディ大統領が一貫して貫いた「あらゆる平和的解決手段を検討したうえでの、真の最終手段としての必要最小限度の武力行使」という態度・リーダーシップ
核の灰塵の世界を、いつも通りの美しくクソな世界に変えたのは、力ではなく、力のこもった言葉であった。
彼の生の言葉を贈ろう。
キューバ危機を乗り越えたケネディが、1963年6月10日に、アメリカン大学の卒業式で語った、「平和のための戦略」という題のスピーチである。
マスコミはあまり関心を示さなかったが、このスピーチこそケネディの世界平和に対する情熱と信念、そして哲学が織り込まれ、冷え切った米ソ関係を変える原動力となった。
なぜなら、このスピーチがフルシチョフの対米観を180度変えるものとなったからだ。
「あまりに多くの人が平和は不可能かつ非現実的と考える。
しかし、それは危険な敗北者的思考と言わねばならない。
なぜなら、それは人間の力の無力さを表し、人類は自分たちでコントロールできない力で抑えつけられており、戦争は避けられず、結局は滅亡するという結論を導くからだ。
この見方を受け入れる必要は全くない。
我々の問題は我々人間が作り出したものである、それゆえ人間が解決できるものなのだ。」
このスピーチから約1ヶ月後の1963年7月25日、核実験禁止条約(リンクはwiki)が米ソ英三か国の間で結ばれた。
条約は大気圏、海中、宇宙での核実験を禁じる部分的なものであり、地下での実験は含まれていなかったが、内容がどうこうではなく、新しい世界を切り開くシンボルとしての重要性があった。
核兵器の無い世界、真のグローバル的な平和…
ケネディ、そして全世界の人々が、夢を現実のものとして描いていたに違いない。
だが、4ヶ月後の1963年11月22日、ケネディは、凶弾に倒れる。
また、ベトナム撤退を表明した彼が進める軍縮を、軍産共同体は面白く思わないだろう
参考:『異説で解き明かす近現代世界史』菊川征司358頁以下
その後、ジョン・ケネディの夢と理想を受け継ぎ、大統領に立候補したロバート・ケネディ。
彼も兄に負けず劣らない。
日々培った豊かな教養、そして欺瞞を貫く真っ直ぐな言葉で、アメリカンスピリットを巻き込んでいった。
身の危険はわかっていた。
「命というのは、意味がある時に使って初めて価値があるのだ。」
1968年6月6日、ロバートは勝利を確信し喜ぶボランティアを労う中、八発の弾丸の雨に濡れ、兄のもとに還る。
その大きく開いた両目は、あたかもこっちに向かって、命というのはものはこう使うのだ、と語りかけているようだった。
言葉の力は、金の力にかなわないのか…
…
…
いや、そうではない。
言葉が先にあった。
言葉は光であり、人は光から生まれた。
人は、光を求めるのである。
誠意ある言葉は、必ず人に響く。
そして、言葉は彼ら一人のものではない。
彼らの言葉は、俺たちの言葉となって、世界に広がっていく。
NOはYESまでの過程であり、世界はNOを潰しながら、YESに向けて進んでいるのだ。
そして、誰もが、本当の自分を探している、人間なのである。
「互いの相違点が存在することは認めよう。
しかし、同時に互いの共通の利益にも目を向け、相違点の解決にも努力しよう。そして、もし今相違点を克服できないとしても、少なくとも多様性を認めるような世界を作る努力は成せる。
なぜなら、最終的には我々の最も基礎的な共通点は、皆この小さな惑星に住、皆同じ空気を吸い、皆子供たちの未来を大切に思っている。
そして、みんな死んでいく身なのだ。」
引用:『ケネディからの伝言』落合信彦128頁 アメリカン大学にて
作品へのリンク
参考文献
『ケネディかからの伝言』(小学館文庫)落合信彦
プロテスタントが圧倒的に多いアメリカにおいて、カトリックでありながら大統領に上りつめ、核から世界を救ったケネディ。
彼が世界を説得した名演説を、その業績と共に振り返る。
著者は、CIAとのパイプを持ち、最強諜報機関イスラエルの「モサド」元トップエージェントのインタビューにも成功した、ほとんどスパイの国際政治ジャーナリスト、落合信彦。
ケネディは今も、俺たちに語ってる。
- 交渉の法則
- 平和への道筋
- 彼の命と理想を守るために、見えていなかった、見るべきであったもの
「私の言うニューフロンティアは、約束ではない。それは挑戦である。
それは私がアメリカ国民に与えるかではなく、何を要求するかということに要約される」(大統領指名受託演説。本書31頁)
耳をすまして、手を伸ばそう。
『異説で解き明かす世界史』(イースト・プレス)菊川征司
日本の真珠湾奇襲攻撃は、本当に奇襲だったのだろうか?
著者菊川は、太平洋戦争は「連合国が全体主義国家を打倒するための戦争」という「通説」に対する、「英米両国金融資本家たちのあくなき利益追求のための戦争」という「異説」を唱える。
菊川 征司(きくかわ せいじ)は、富山県生まれの作家(サイエンスライター)。
観光旅行のつもりで立ち寄ったアメリカ合衆国の自由な雰囲気に魅了され、以来在米生活30年。
アメリカ同時多発テロ事件以降、重苦しい空気へと急速に変化したアメリカ社会の根源を探り、調査を開始。
アメリカの衰退は、国際金融資本家たちの私企業たる連邦準備制度設立に端を発することを知る。
アメリカ国民に警鐘を鳴らしていた本物の政治家たちの遺志を継ぐ。
引用:wiki
当時の米国大統領、フランクリン・ルーズベルト(リンクはwiki)は、
- 日本に対し、ハリマン事件2の恨みがあり、戦いたかった
- だが、英国首相チャーチルとの海上会談で参戦を約束した手前、欧州での戦争に参加してナチス打倒を目指す方が先決であった
- 1年以上の間、ドイツ潜水艦に発砲するなどの挑発を繰り返していたが、なかなか挑発に乗らないヒトラーにやきもきしていた
- 松岡洋右(リンクはwiki)3外相により日独伊三国同盟が独断で締結され、日本に先制攻撃させれば日本とドイツ両方と戦えることになった
つまり、太平洋戦争は、世界戦争を欲する連中(国際金融資本家)の手のひらの上で、ドイツと日本が踊らされていただけなのだ。
これは、以下の事実、資料から基礎づけられる。
- アメリカは真珠湾攻撃を予知していたかのように、空母などの主力を真珠湾から離しており、沈んだのは第一次世界大戦で使っていた老巧化した戦艦であったこと4
- 1940年8月にアメリカは既に日本の暗号解読に成功しており、動きが手に取るようにわかっていたこと5
- 国への最後通告(いわゆる真珠湾攻撃の通告)を遅らせた外交官が2人(井口貞夫・奥村勝蔵
)とも戦後、大出世したこと - 1945年12月、米国駐英大使ジョセフ・ケネディ(ジョン・F・ケネディの父)が「ルーズベルトによる圧力がなかったら英仏ともにドイツに宣戦布告せず、ルーズベルトの介入がなければ、ポーランドをめぐる独ソ間の闘いだけで済んでいた」と海軍長官フォレスタルに語っていること
- 1951年5月、マッカーサーが上院軍事外交合同委員会の公聴会で、日本は連合国による経済制裁等の圧力に対する「主に安全保障上の理由から、戦争に走った」と自らの口で述べたこと
1940年9月の三国同盟締結後、日本に対する経済制裁(資産凍結、鉄・石油の輸出禁止)は強くなり、耐えきれなくなった日本は、1941年12月8日未明、「ニイタカヤマ」に登ることになる。
- このような圧力は、「利益を最大化し公平に分ける」ためのものだったのだろうか?
- そして、日本がこのような圧力を跳ね返すにはどのような方法を採ればよかったのだろうか?
歴史は、勝者が書く。
だから、「事実」についての真実は結局わからないし、だんだん霧散していく。
だが、「原因」という真実は、あらゆる角度を学ぶことで、よく見えてくるはずだ。
原因が見えれば、対策案と、「ニューフロンティア」が見えてくる。
そして、「挑戦」できるのである
それが、法的思考力であり、法則立脚型交渉術なのである。
コメントを残す