こんにちは、こんばんは、癒しの法科大学院院長のかずちゃんこと、かずです。
あなたは、「シンクロニシティ」の意味、知っていますか?
シンクロニシティ(英語:synchronicity)とは、ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では主に「共時性」と訳され、他にも「同時性」もしくは「同時発生」と訳される場合もある。
例えば、虫の知らせのようなもので因果関係がない2つの事象が、類似性と近接性を持つこと。ユングはこれを「非因果的連関の原理」と呼んだユングは様々な著書で、人間の意識同士は実は、集合的無意識(collective unconscious)によって、そもそも交流しているということは述べている。
集合的無意識が、人々の心、人々の主観的な意識に入ってゆく過程を、ユングは「個性化」と名付けた。
またユングは個々の人の意識が集合的無意識へと反映されるプロセスもあるとしている。引用:シンクロニシティ wiki(太線はかずが付した)
「虫の知らせ」って、日本に住んでいれば聞く言葉ですよね。
- なにか身近な小さなできごとが、実はもっと大きなできごとの反映である
- その逆に大きなできごとは、それを構成している小さなできごとの反映である
あなたもそのような体験をしたことがあるのではないでしょうか?
僕も結構これを感じていて、たとえば、
- 別々のジャンルの本を同時並行して毎日読んでいたら、ある日両方、同じ内容について書かれているページぶつかった
- 自分の部屋の掃除が生き届いてないと、なんだか外出た時のパフォーマンスも落ちている
このようなときに、シンクロニシティを感じます。
思えば、戦争も、人の憎しみや儲けたいという気持ちが作り出すものですよね。
あの東日本大震災のときも、そこにいた動物や自然は、いち早く察知していたようです。
各地で報告されている地震前の異変
この項目では、地震発生前に各地で報告された異変について、いくつか取り上げます。
- 陸前高田市では震災の約1ヶ月前から、朝夕にカラスの群れが空を覆っていたが、震災の数日前から突然姿を消した。
- 3月4日夜、茨城県鹿嶋市でクジラ50頭が浜に打ち上げられた
- 3月11日の朝、宮城県塩釜市の神社では、いつもはサビなどで赤褐色に濁っている鉄製の「神釜」の水が普段と異なり澄んでいた。
(出典:毎日新聞掲載記事)
引用:地震に前兆はあるのか?東日本大震災前に各地で報告された現象や前兆の科学的根拠とは good do
たしかに、これらの前兆は科学的根拠がある訳ではありません。
地震と個々の動物の動きの、因果関係を客観的に解明することは、困難です。
しかし、以上のように様々なシンクロニシティが、様々な所から発信されている以上、帰納的にシンクロニシティという現象が存在するという仮説を打ち立てること自体は、それほど現実離れしたことだとは思えません。
そして、その仮説は、さらに多くの事例により補強され、その強靭さを増していくでしょう。
将来的には、あって当然のようになって、その前兆を上手く読み解ける人がそのスキルを職業として活かしていることもあるかもしれません。
本記事は、このシンクロニシティに焦点を当て、心理学、そして錬金術という2冊の本から、その存在と具体的内容を補強していこうとする試みです。
その2冊とは、
- 『幸せな子ども時代を取りもどすのに、遅すぎることはない』チャック・スペザーノ
- 『アルケミスト 夢を旅した少年』パウロ・コエーリョ
です。
この2冊から、シンクロニシティに切り込んでいくことは、大きな意義があると思います。
シンクロニシティとは、単に「危険を事前に察知する」という技術を超えたものであり、
- 自分の好きな相手と一体感を感じて、誰よりも親しくなって、「ベストパートナー」と呼び合える仲になったり、
- どんな困難があってもブレない自分の中の信念ができ、お金の不安や批判される不安がなくなって、自信満々に毎日を送れるようになる
ために必要な概念です。
そして、上記2冊はこのような概念とシンクロニシティとの論理的連関を明らかにする、重要文献なのです。
では、さっそく①の『幸せな子ども時代を取りもどすのに、遅すぎることはない』から紹介しましょう。
著者のチャック・スペザーノ博士は、私が以前働いた、T-ONE HEALING COMMUNITYの社長永田兼一の師匠にあたります。
そしてチャック先生は、私が次に学ぼうとしている、「ビジョン心理学」の創設者です。
ビジョン心理学は、心理学とスピリチュアリティの統合に基づいた実践的・療法的な心理学です。
ハワイ在住のチャック・スペザーノ博士(米国・心理学者)によって1970年代に提唱されました。
その後、レンシー・スペザーノ夫人(1974年に身体障害者などを社会復帰させるリハビリテーション・カウンセリングの分野で修士号を取得)が考案したジョイニング・セッションを取り入れ、大きく発展を遂げています。
創始者は現在も開発を続けており、最先端の心理学といえるでしょう。ビジョン心理学の大きな特徴の1つは、人間の魂の進化を図表に示したことにあります。(Psychology of Vision Model)
人間の意識は「顕在意識」「潜在意識」「無意識」「ハイヤーマインド(高次の意識)」の4層から成り立っていて、
この意識の成長過程を「依存」「自立」相互依存」「霊的依存」の4つの段階に大別して三角形モデルに顕現したのです。
この三角形のモデルによって、それまで不鮮明だった私たちの意識の働き方、慢性的な問題を抜ける道、そしてこれらのワナが隠しているギフトやマインドの領域を視覚的に説明する事が可能になりました。
4層の意識にアプローチすることで、心理的な傷やトラウマの回復に非常に即効的・効果的であり、問題の根源を癒す事ができるのです。ビジョン心理学では個人のビジョンや生きる目的・才能を発見する事が癒しをもたらす重要な要素であると考えており、
- 自ら悪循環のパターンに気づき、困難を乗り越え、
- 新しい生き方や幸せになる方法を探し出し、
- 創造的なリーダーとなること
に主眼をおいています。
文につきビジョン心理学ジャパンより引用。太線・画像などの装飾はかずの責任で付した
本書は、このビジョン心理学の入門書ともいうべき、基本の体系と概念がまとめられているものです。
本書監修者である、ビジョン心理学マスタートレーナー 栗原弘美さんの紹介文を見てみましょう。
チャック・ファンにとっての待望の本がついに出版されます!
チャック・スペザーノ博士の本は今までに ヴォイスより9冊出版されていま すが、スペザーノ夫妻の提唱するビジョン心理学とはどういうものなのかについ て書かれた本はなく、原則についてもっと学びたいという声がよく聞かれていま した。
チャックにこの本の原稿を渡されたときに、私は「これでビジョン心理学のす ばらしさをもっと皆さんに伝えられる」とうれしい気持ちでいっぱいになりました。
出版が決まり監修させていただくことになり、とてもわくわくしています。 こころの成長段階をはっきり知ることができるビジョン心理学の三角形や、男女関係の段階など、これまで断片的に扱われていたものがまとめて書かれているこ の本は、ある意味で入門書としての大切な役割を果たすことになるでしょう。
そしてこれまで出版されている本や、これから続々と出てくる本の内容が、より 深く理解できるようになるにちがいありません。
さらにこの本のタイトルも、私のお気に入りのフレーズです。なぜかという と、本当に癒しを受け取ったときに人がどんな体験をするのかを、これほどシャープに表現している言葉を見たことがないからです。
人はよく、「子どものころはこんなつらい思いをしたけれど、それを乗り越え て今はこんなに成功し、しあわせになっている」と言います。
しかしこれでは、 完全に癒されたとはいえません。癒しが完了すると、あれほどひどいと思ってい た体験がまったくの思いちがいだという感じがしたり、楽しいことしか思い出さ なくなったりするのです。「つらくてみじめな過去」が遠のき、「自分は皆に愛されたハッピーな子どもだった」と心から感じられるようになるから本当に不思議です。
そしてそんな幸せな子どもが、やがて幸せな大人に育っていくのはご くあたりまえのことです。
どうぞ皆さんも、この本から過去を変革するというチャンスを受け取って、祝福された存在としての当然の報いである愛や豊かさにあふれた人生を招き入れてください。
(本書監修者:ビジョン心理学マスタートレーナー 栗原弘美)
引用:Amazon
では、彼の用いるカウンセリング・ヒーリングの手法とは、どのようなものでしょうか。
その本質を示すシンプルなケースが、本書冒頭に挙げられていますので、ご紹介します。
- 親と同じことをしている(どなったり、叱ったり)
- それらの行為は、恐れから生じたものである(心配と不安)
- それらの行為は、「愛していない」という意味ではなく、愛ゆえの行為だった
このようなプロセスで愛を悟ることで、傷(誤解)は癒され、それは現在の問題をも癒すのです。
では、このような癒しのプロセスと、シンクロニシティはどのような関係があるのでしょうか。
愛の深淵への冒険に、一緒に飛び込んでいきましょう。
目次
ビジョン心理学におけるシンクロニシティ「共時性」
本書では、シンクロニシティのことを「共時性」といっています。
そして、この認識に至るまでには、次の3つのステップがあります。
- 現在の亀裂は過去から来ていることを認識する
- 癒しを進めていき「ビジョナリー」になる
- 共時性(シンクロニシティ)の悟り
①現在の亀裂は過去から来ていることを認識する
生まれたての私達は、宇宙がすべて一体になっているような状態でした。そこには唯一、「光」、「愛」、「形のないもの」だけが存在していました。
引用:本書54頁
そこに、あるとき、ビックバンがやってきたのです。
親の歪んだ観念が子の歪んだ観念をつくり、否定的な教訓となり、恐れが生じます。
大きな誤解、大いなる分離という呼び方をしてもいいのですが、いわゆる原罪という幻想への転落がやってきました。
そして私たちは分離体験し始めていきます。
分離が始まったことで、私達は一体感を失いました。
罪悪感や批判、痛みがあると、私達は再びつながることができません。
それらにより攻撃の想念を持つたびに、新しいひび割れが生じます。
そして、それらが内面に引き起こす「いやな感情」から自分を切り離すために、私達はそれを抑圧し、外側に投影し、もともと無形だったものを形にした幻想の世界に変えます。
ところで、重力は、地球の表面に物事を引き寄せるだけではなく、地中に埋もれているものを表面上に押し出します。
毎年、農夫が畑を耕すと、新たな石ころが出てくることに気づきます。
同じように、亀裂や葛藤、古いトラウマもマインドの表面にでてくる仕組みとなっています。
傷ついている過去は現在のものであるかのように見せかけ、癒されることを願って、表面に表れます。
このような傷の移動を、精神医学の用語で、転移といいます。
どんな現在の問題や葛藤にも亀裂があり、どんな亀裂も痛み、罪悪感、恐れがあります。
そしてそのような問題は、ネガティブな自己概念を隠すためのポジティブな振る舞い(補償行為)により生じるのです。
つまり、あなたが傷を守ろうとしてしてしまう防衛行為は、あなたが自分を守ろうとしているまさにその事を起こします。
本書には、地球の重力のたとえで繰り返し問題が生じるメカニズムが説明されています。
しかし、それが人間の心のメカニズムとして、「なぜ」、「どのように」繰り返しのパターンを生じさせるのか、詳しい説明がなされておらず、問題となります。
というのも、繰り返しのパターンには、①本来の自分ではないことから問題が生じるパターン、②本来の自分であることから問題が生じるパターンの二種類があると思われ、その対処法がそれぞれで異なるからです。
1⃣本来の自分ではないことから問題が生じるパターン
補償行為は恐れから出た自己防衛行為であり、それは本来のあなた自身ではないため、上手くいきません。
それは、愛に基づく行為ではないので、相手は受け取れないし、場合によっては意図せず攻撃となってしまいます。
「やりすぎてしまう」のです。
そのようにしてある所で失敗し、またある所に行き、そこでも失敗するというパターンをくりかえします。
傷が癒されない限り、そのように手を変え品を変え、同じパターンが繰り返し生じ、刷り込み続けることになります。
そうして様々な所で同じことを繰り返していくうちに、「いつも同じことやっているな」と、共通のパターンをはっきりと認識するができるようになるのです。
それが、癒しの対象となる傷(ヒーリングポイント)へつながる、入口です。
例えば、僕の場合、人(特に集団が恐く)みんなで一緒に会食するときなどに、ものごいプレッシャーを感じていました。
なんとか会話を続けようとして、質問攻めみたいになってしまい、相手を疲れさせてしまう…
そうすると、また自己嫌悪に陥り、人への苦手意識が上塗りされていく…
それは、自己紹介ページでも書きましたが、幼少期に親戚の家にいったとき、退屈して沈黙していたら、叔母から「もう来なくていい」と言われ、すごく悲しくて恐かった思いをしました。
それがトラウマになり、僕は以降、集団や会食の席が恐くなってしまいました。
その補償行為として、「会話を続けなければいけない」「価値を提供しなければ存在価値はない」という強迫観念となり、上述したような強く不自然な行動となりました。
そしてそれが逆に、自分の本来もっている才能を発揮することを妨げて、価値提供ができなくなってしまいました。
まさに避けようとしていた結果を引き寄せてしまっていたのです。
しかし、今は、その傷に向き合うことによって、「もしかしたら親戚のおばちゃんは、自分のしたいことしてていいよ、来たくなかったら無理してこなくていいんだよ、と気遣ってくれていたのかもしれない」と思うようになり、「ありのままで大丈夫」と悟って、僕は本当の自分でリラックスしつつ、自分と人を楽しませるスタンスを身につけることができました。
今では、僕は飲み会も、会食も、大好きになりました。
自分が話したくなったら、話せばいい。話したいことがなかったら、話さなくていい。好きな事やってていい。行きたくなかったら行かなくていいし、帰りたくなったら、帰ればいい。
このように、①本来の自分ではないことから問題が生じるパターンにおいては、「傷を癒す」ことが、対処方法となります。
2⃣本来の自分であることから問題が生じるパターン
あなたが本来の自分を発揮しているのにも関わらず、なんだか周りと合わないな、と感じる場合です。
それはあなたのしていることに問題があるのではありません。
したがって、場所を変えたり、自分自身で場所を新たに創ったりすることで解決できることです。
しかし、それは外部への責任転嫁ではありません。
「違う場所へ行かない」という選択をした自分に、責任があります(良い悪いの問題ではありません)。
例えば、僕は本来の自分を出すと膨大なパワーを発揮し、ありがたいことに、多くの人に好かれます。
社会の常識なんてなんのその、全力で今を楽しみます。
しかし、それが「我慢している人」からすると、「ズルいことをしている」というふうに捉えられ、妬まれてしまいます。
そして、彼には「排除しよう」という感情が生まれます。
彼はそこから事実を見るので、何か望ましくない結果が起こったとき、その責任を僕に降りけます。
そして、僕はその集団から排除されてしまいます。
イエスがなぜ静かに磔になったのか、考えます
きっと、人々はそうしないと分からないからです
そして、この世界にはまだ、様々な所に様々なイエスがいるのでしょう
そこで、十字架を思い出す時があるはずです
そうでなければ、彼が新しいイエスとなります
そうやって、世界は進んでいるのです pic.twitter.com/k9cOBph9oF
— かず@魅力発見心理コーチ (@Kazu_charmcoach) June 13, 2023
たしかに、彼の責任もあると思いますが、それは彼の問題です。
僕は、僕問題に対処していくことが第一ですし、その責任があります。
僕はもう、逃げません。
僕は、本当の自分で居れる場所へ、自分で動き、そこを自分で創っていきます。
僕はこれまでどこかに楽園があると思って、探し続けてきました
ここぞと思うところもありました
しかし、どこへ行ってもその楽園は、「誰かの庭園」であり、純粋であろうとすると、罰を与えられ、追放されてしまいます
もう、繰り返しはやめます
創れ、と神が言っている気がします
— かず@魅力発見心理コーチ (@Kazu_charmcoach) June 10, 2023
…
ある一つの問題が生じた場合、この①②両者が複雑に絡まり合っていることがあります。
そのため、その大きな問題を細分化し、細分化された小さな問題が①②にどちらに分類されるのか、そしてそれぞれの問題への対処の方向性を、明らかにしていかなければなりません。
そして、大事なのは、究極的には、全て自分が招いている(=自分で解決できる)と認識することです。
「私たちに起こるすべての出来事は、私達の選択の結果」(本書92頁)なのです。
②癒しを進めていき「ビジョナリー」になる
亀裂が癒されると、地面はならされ、耕しても、種まきしても大丈夫になります。
それが心、すなわち人生であれば、簡単に邪魔されることなく進展するよう、道が平らになります。
完全に癒されていると、自分も他の人たちも、責めるべきものはなにもないとわかるのです。
そのような状態になってくると、私たちを取り巻いているエゴの霧が晴れていき、「私たちは本当は誰なのか」わかってきます。
愛と恩恵が私たちを通して輝き、この地上に神の愛を注ぐための純粋な導管という状態になります。
その神の愛こそ、生まれてきた目的、すなわちビジョンであり、ビジョンを生きている人の事を、ビジョナリーといいます。
ビジョナリーに到達した人は、自ら生まれてきた目的を大事に受け止め、自らの偉大さを恐れてはいません。
彼らののビジョンは、自然と他の人たちに与えることを促し、世界にビジョンとポジティブな前進の道を提供します。
真実の目的は、私達によって達成されるのではなく、私達を通して達成されるのです。
では、ビジョナリーになるための、癒しはどのように行われるのでしょうか?
様々な方法があると思いますが、本書では、①愛の道をつくるための質問、②愛の体験「ジョイニング」についてのべられていますので、ご紹介します。
1⃣愛の道をつくるための質問
本書184頁以下「愛の道」単元では、基本となる対話による癒しのプロセスが述べられています。
ビジョン心理学とは、愛の道です。道そのものが愛であり、そのゴールも愛なのです。
すべての幻想を浄化すると、神のように私たちもまた愛であることがわかります。癒しには、愛が究極のリアリティとして認められることが必要不可欠になります。
この単元では、レンシ―・スペザーノ(チャック先生の妻)が行った、ガン末期のアーサー君との対話が紹介されています。
アーサー君の最後の日、それは1982年の素晴らしく晴れた、ある夏の暑い日でした。その日、彼は最高の贈り物を彼女たちにくれたのでした。
彼の物語はそれより3か月前に遡ります。アーサーは自分がガンで、もうすぐ死ぬということに対して、向き合おうとしませんでした。
防衛の壁はあまりにも厚く、高く、だれも、彼の心に触れることができませんでした。
彼は他のこどもたちのサポートに夢中で、彼自身が重い病気だということは誰にも言いませんでした。彼のこうした否認の態度は、時に病院の治療を拒む原因となりました。
入院を余儀なくされたとき、アーサーは家族の見舞いを許しませんでした。
彼の担当医は、そんなアーサーを見かねて、レンシーに助けを求めたのです。
『私はベッド脇に座り、できる限り彼に心を開きました。彼の顔を見つめ、しばらくして彼に尋ねました。「どんな感じ?」このとき始めてお互いの目を見つめ合ったのでした。すると、お互いの心の中で何かが引っ張られるような感じがしました。
それはまるで一枚のベールがハラリと落ちたかのようでした。初めて親密感が二人の間にわき上がったのです。』
このように羽で包み込まれるかのように優しく触れあった二人の心は、対話によって深まり、近づいていきます。
そして、彼が人生で求めているのはたった一つのことであった、すなわちそれは、愛の交流(愛を与え、愛を受け取ること)であるとの認識に達します。
そして、次の一言が、レンシーの胸を刺します。「だから、今ボクはとってもみじめなんだ。ボクは愛を与えてもこなかったし、受け取ることもできずに、ここまで来ちゃった」
そして、ボールがレンシーに渡されたのです。
そこでレンシーが行ったのが、次の「愛の道を作る質問」でした。
- 何歳の時に時に自分が愛されなくても当たり前だと決めたの?
- その場所はどこだった?
- 誰と一緒だったの?
- 何が起きた?
- なんと言われたの?
彼はいとも簡単にその時を思い出し、彼がまだ幼いころ、父親が彼を拒んだと思っていること、そして自分の父親が彼のことを愛していないのであれば、自分は愛されない人間にちがいないのだという結論に至ったのでした。
しかし、19歳の理解力で当時のことを振り返ってみると、アーサーは父親が実際には彼を拒絶したのではないことがよくわかったのです。
父親はちょうど失業したところで、プレッシャーと自分への疑いで混乱状態にいたこと、大家族を養っていけないのではないかと恐れていたこと…
それを押さない息子にぶつけてしまったのは、拒絶ではなく、恐れの誤った表現方法だったのです。
実際には、父親はいつだってアーサーを愛していたのです。
これにより、アーサーは自分が長い間、理由もなく愛に抵抗していたのだと気づきました。
そして誤解が溶けたアーサーは、愛を受け容れました。
彼の眼差しには生気がよみがえり、これまでずっと彼に向けられていた友人たちの愛を全て受け取る用意ができていると彼ははっきり言いました。
彼は目を閉じ、心を開きました。
しばらく静かに横たわったまま、友人たちの愛を感じながら、その体験の甘さや慰めを味わい尽くしました。
平和の静けさが甘い空気をもたらし、部屋は幸せかぐわしい香りで包まれたのでした。
彼の担当医は、彼に最後のさよならを言いたくて、すでに永遠の眠りについた彼のもとを訪れました。
ベッドに眠る少年を見た時、医者は自分の目を信じることができませんでした。
これまでに一度も見たことがない美しい微笑みがそこにあったからです。
胸が張り裂けるほどの喜びとあふれんばかりの豊かさをたたえたアーサーの表情が、彼の死ぬときに体験した変容を物語っていました。
医者は少年の細くなった体を腕に抱き、喪失と喜びと希望の涙を流して泣きました。
対話によるカウンセリングについては、こちらの記事も参照して下さい↓。共通点(=法則)が見つかりますよ!
【死刑囚から学ぶ】『永山則夫~封印された鑑定記録~』&『反省させたら犯罪者になります』で非行の原因と対処法を一言で切る!~後編:更生篇~
2⃣愛の体験「ジョイニング」
たいていの人は実際に愛がどんな感じなのかを体験していません。
愛についての考えや定義は持っているかもしれませんし、あるいは欲求を感じたり、嫉妬を感じたりするかもしれません。
しかし、愛の持つ物理的な温かさや甘い手ごたえともいえる体験はしていないでしょう。
それでも、人への、また人からの愛の流れは私たちの持っている、最もシンプルにして、最もパワフルな癒しの道具なのです。
人に愛が流れると、痛みは立ち去らねばなりません。
いったんハートが開くと、より高い次元の「エネルギーセンター」が次々に開いていきます。
私たちが神の恩恵を体験し、奇跡を受け取ることができるのは、こうしたセンターなのです。
これは、最終的には至福の体験にたどり着きます。
この時点では、すでに私たちのマインドは神の意識に電気プラグのように差し込まれている状態なので、自動的に私たちは笑い始めます。というのも、神のマインドはいつも笑っているものだからです。
霊的神秘主義の世界では、こうした人たちを、「愛に酔っている人」と呼びます。
これが、ジョイニングです。
カウンセリングにおいても、ワークショップにおいても用いることができるものです。
その方法は、
- まず、相手の人(あるいは、グループの人たち)を、その人よりも自分が上であるとか、下であるとかではなく、純粋に対等な水平のつながりとして見ることが必要です。
- そうすると、その人(たち)と、分離がなにもないのだと気づきます。
- そうすると、私たちは一つなのだと気づき、相手の感情も自分の感情として感じることができるようになる
というものです。
このように言葉にすると簡単なように見えますが、本書のレンシーの体験談「長崎の女性」(198頁以降)を観ると、そうでないことがわかります。
相当程度癒しが進んだ人がリーダーシップを取らないと、これを実現するのは難しいでしょう。
セミナールームで会ったその長崎からきた女性は地味で、医師の強そうな顔立ちでした。と同時に感応的な風情もあり、それが彼女を美しく見せていました。原爆で両親を亡くすことは免れましたが、13歳のときに他の悲劇が原因で孤児になりました。それ以来、彼女はずっと働きづめで生きてきました。
賢く、勤勉な彼女は看護師の資格と取り、独立しました。何年もたった今、彼女はひとりぼっちの暮らしに孤独を感じ、心が痛みます。
ある男性に恋をしましたが、自分からアプローチすることができませんでした。誰かと分かち合う生き方がしたい、愛されたい、だれかと二人の関係を築きたいと思っていました。
通訳を通じて、彼女はどうしたいいかと私に尋ねるのでした。
そこで、私は彼女に尋ねました。自分のことを孤児で、見捨てられ、ひとりぼっちの人間だと思い込み、それ以外の自分を想像することができず、自分の方からその男性との関係を打ち消したのではないかと。また、ご両親を亡くしたことをいまだに嘆き悲しんでいるのではないか。そして、恐れや苦痛を未だに感じ尽くしていないのではないか。彼女と幸せの間で壁になっているのは、古い痛みではないかと。
イエス。
打ち捨てられた悲しみを終わらせたいですか。そうすればひとりぼっちだという衝動を終わらせることができますよ。
イエス。
その女性は部屋の前方に出てきて、私の隣に座りました。長い間の苦しみのせいで、目は死んでいました。彼女の悲嘆ははるかかなたに追いやられ、埋め込まれ、切り離され、そしてまったく忘れ去られていました。
私と目を合わせた彼女は、空っぽの抜け殻でしたが、意欲があることは見て取れました。
相手の意思や意欲に反して、真実を暴いていくことはしません。NOが出たら、それが相手の発達過程なのだと尊重します。
癒しとは、相手のものの見方・考え方の変容であり、それは、相手の自由であり、責任だからです。
私は自分の注意をすべて彼女に集中させることによって、彼女を私の全て、私のあらゆるものとして見ます。
つまり、彼女が単に最も大切な人というのではなく、また私より大切な人というのではなく、彼女が存在の全てになったのでした。
この視点からみると、私は自分がこの女性だと気づくことができました。私たちは一つであり、そして私は私自身の事を忘れました。
ただ今ここにいること、彼女になること、さらにいうなら、何になろうと、永遠に意欲を持とうとしているだけでした。
この親密な関わりを通して、私は”彼女に潜り込み”彼女について何かつかみたい、頼りにできること、知るべきこと、体験すべきことを何か感じたいと思っていました。
二分ほど互いに見つめ合い、彼女のハートを探っていました。その他の日本人受講生たちはそれをみていましたが、過去の体験からこれから何が起こるかが分かっていました。
とうとう、私は胸のあたりで、何かの抑圧された人間のざらざらした、分厚い感じを体験することができました。それはまだ無意識層に覆い隠されていて、はっきりと言い表すことのできない感情でした。それがスタートでした。
最初に指をひっかけることができた感情の切れ端でした。ここから、私のハートで彼女のハートを感じ始めることができます。
その時です。あぁ、胸が胸がはちきれるほどの悲しみ、喪失を感じたのは。
長崎の女の人は、崩れるように前かがみになり、顔を手で覆って泣き始めました。
心の中で私は彼女の痛みが凝縮しているところまで行き、光を当てるべく、痛みを引っ張り上げました。
強烈なエネルギーが一気に私の中を貫き、そのあとでインスピレーション、ワイルドな爽快感がやってきました。私たちは生き返ったのです。
生命が、正しくないものはすべて正しく、傷ついたものは全き状態にされるべきだといっています。
彼女は号泣し、私の腕に身を投げ出しました。
私の目はその場のグループの動きをとらえていました。手足を激しく動かし、身体を揺するなどして、他の人たちにも彼らなりの深い癒しが起きていました。
できるだけ早く感情の中に飛び込もうとしているこうした受講生をサポートするために、セミナーのスタッフたちが彼らのところに行きます。
部屋にいるほとんどの人が古い、おそらく生まれる前のものであろう孤独の苦しみが解き放たれるにつれ、涙でぐしゃぐしゃになっていました。
二人の男性が大声でうなっていました。それは美しい音楽のようでした。そして、誕生でした。
感情がジェット気流のように私のハートを吹き抜けました。なんとういう爽快な気分!
まもなくして、感情のバランスにシフトが起き始めたのがわかりました。愛を感じたのです。今度は愛なのです!
とても大きく、終わりがなく、喜びにあふれ、心を満たし、生き生きして、しかも知覚もはっきりしている愛!
…
長崎の人に目をやった時のことです。
地合いが彼女を超えて、ずっと向こうまで差し伸べられているのに気づきました。彼女の見慣れないエキゾチックな表情を通して、私の目はこの地球の数えきれない何千万という子供たちが同じ必要性を持って生きていること、そして彼らのハートが孤独でいること、知ってほしいと渇望しているのが見えたのでした。
私たちはみな一つであり、つながっている!
私たちはただ一つの存在なのだというのが真実なのです。
…
部屋には笑い声が聞こえ始め、私は我に返りました。
見ると、多くの人たちがすでに微笑んでいます。喜びにあふれ、感謝を感じ、祝福し、流れに任せている感じです。
再び女性の方を見ると、彼女の目が驚嘆に満ち溢れているではありませんか。
「ありがとう、ありがとう、今幸せを感じています!」と彼女は英語でいいます。
彼女に変化が起きたのです。彼女は癒され、完全となり、オープンで、生き生きとし、幸せです。
もはや彼女の人生がこれまでと同じでは、ありえません。
二人で笑うと、感謝が上の方から私たちのところに流れ降りてきました。
私たちは承認され、天使たちは踊っていました。
言葉はいらない…
すごい領域ですね!
③共時性(シンクロニシティ)の悟り
チャック先生は、以上のようなセラピーで大切なのは、クライアントの示す問題の”中身”ではなく、むしろ”プロセス”なのだといっています。
つまり、どのように問題が提示され、どのようにクライアントがセラピストと心を通わせるかだというのです。
進化成長し、人と心を通わせることができるようになると、不思議な体験をします。
それが、共時性(シンクロニシティ)です。
222頁以下で述べられています。
ある春の朝、海兵隊のグループとワークをしていた時のことです。一人の兵卒が必死にある軍曹の注目を引こうとするのですが、それがなかなかうまくいかないという状況を私は観察していました。
そこは二回の部屋だったのですが、窓の外を見ると、部屋の脇の木立に鳥の巣があるのが見えました。そこには数羽のひな鳥たちがいたのですが、その中の一羽に私の目がいったのでした。そのひなは母親がくわれている虫を何度も欲しがるのですが、もらおうとするたびに、母親は向こうを向いてしまうので、せっかくの努力も水の泡で、欲求不満です。
部屋に目を戻したとき、この母鳥とひながグループに起きているプロセスを反映しているのだと気づきました。このふたつの出来事がつながっていたのです。私のマインドからベールがハラリと落ちたような感じがしました。
昼食の時間になったとき、私は海へと車を走らせました。今、目撃したことをどのように取り入れたらいいか考えようと思ったのです。ラホーラの入り江に着き、曇りの海を眺めながら、
「全てつながっているのだ!すべてつながっているから、あらゆることがあらゆることの反映なのだ。もしそのサインやシンボルを読み解くことができれば、身の回りで何が起きているのかを一つ残らず知ることができる。全てがプロセスだし、そのプロセスは常に展開しているのだ。単にセラピーのためのグループや個人セッションだけでなく、日常で絶えずプロセスが続いているのだ。あらゆるレベルでずっと止まることなく展開しているのだ」と気づいたのでした。
そう思った瞬間、まるで、その通りと言わんばかりに、雲の間から太陽が顔を出したのでした。それだけではありません。雲という雲が完全に消えてしまったのです。
私はあっけにとられました。マインドが停止し、新たな気づきを開いたのです。世界やそこで起こる出来事に対し、まったく新しい見方が始まったのでした。一部が全体を反映し、世界とそのプロセスは単にホログラフィーであるばかりでなく、相乗的なものなのだというのが、その時の個人的な認識でした。
あらゆることが完璧なタイミングと共時性で起こっているとはっきり感じたのです。
世界を見たときに見えるものは皆この自分であり、自分を外側にいる人や出来事に写し出しているのです。
私たちが知覚するものはなんでも個人的な意味を持ち、私たちの個人的なプロセスを反映しているのです。
私たちと、世界は別々ではなかったのです。
他の人たちの痛みが自分の痛みなのですから、自分自身の内側からその痛みにアクセスし、それがどんな形であろうと、また自分のどんな局面を表そうと、その痛みを癒すことができるのです。
私たちは、自分に見えるものはなんでも、癒す権利をもっているのです。
ところで…僕が本書で共時性について学んでいるとき、平行して読んでいた心理学とはまったく関係ないと思われた「ある本」にも、ちょうど共時性というテーマがでてきて、びっくりしました。
神が、「学べ」といっているようでした。
その本とは…
『アルケミスト』です。
あなたはこの前兆を読み解けるか!?『アルケミスト』(パウロ・コエーリョ)
夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ。夢を旅した少年サンチャゴの物語。世界22カ国で読まれているベストセラー。
羊飼いの少年サンチャゴは、アンダルシアの平原からエジプトのピラミッドに向けて旅に出た。そこに、彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じて。長い時間を共に過ごした羊たちを売り、アフリカの砂漠を越えて少年はピラミッドを目指す。
「何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれる」「前兆に従うこと」少年は、錬金術師の導きと旅のさまざまな出会いと別れのなかで、人生の知恵を学んで行く。
欧米をはじめ世界中でベストセラーとなった夢と勇気の物語。引用:Amazon(太線はかずが付しました)
後に世界各国で大ベストセラーとなり、ビル・クリントン、ウィル・スミス、ブリトニー・スピアーズ、マドンナ,ジュリア・ロバーツ,ラッセル・クロウ, マララ・ユフザイ、バラク・オバマ、ルイス・ハミルトン、大江健三郎、森山未來、戸田恵梨香、中山美穂、元JUDY AND MARYのTAKUYA、サカナクションのボーカル・山口一郎、などなど、多くの著名人が愛読している名著。
パウロ・コエーリョ・作者情報
職業:作詞家、小説家 誕生:1947年8月24日 出身:ブラジル
1988年にブラジルで出版した第2作『アルケミスト – 夢を旅した少年』(Alquimista)は、現在では80か国語以上に翻訳され160か国以上で出版され世界歴代5位の大ベストセラー。
2007年のアンデルセン文学賞など、世界中の国々から様々な文学賞を受賞している。世界中に多くのファンがいるので「文学界のポップスター」とも称される。引用:『アルケミスト 夢を旅した少年』のあらすじと感想|ネタバレあり 小説ダイアリー
物語り全体に星のようにいちばめられている、真理のことば…
そして少年が「宝物」を追い求め錬金術を修得していく過程は、上述したビジョン心理学の愛・共時性に至る進化成長の道と付合するのです。
錬金術とは、ある物質から全く別の物質を作り出す技術です。主に、安い金属を金(ゴールド)など貴金属に変換しようと考えた学者が多いことから、錬「金」術と呼ばれ、その術を使う者を錬金術師(アルケミスト)といいました。
本書では、少年がこの錬金術と愛、そして共時性(本書では「前兆」という言葉で表しています)の関係をいかにつかみ、その流れに乗るかが、物語のキーポイントとなっています。
平凡で優秀な羊飼いとして、一生を終えるはずだったサンチャゴ。
少年には、どの羊が足を引きずっているのか、どの羊が2か月後に子供を産むのか、どの羊が一番怠け者かもわかっていました。少年は毛の刈り方も、殺し方も知っていました。
少年には、アンダルシア平原を覆うようまたたく星々の下で、繰り返し、繰り返し見る夢がありました。
自分の羊たちと遊んでいる幼い子ども…
その子どもは突然サンチャゴの両手をつかむと、彼をエジプトのピラミッドまで連れて行ったのです。
その子どもは、サンチャゴに言いました。「あなたがここに来れば、隠された宝物を発見できるよ」
少年が行けば羊たちは悲しむでしょう。ついこの前知り合った、商人の娘は、少年が急にいなくなったらどう思うのでしょうか?
しかし、少年は旅が大好きだったのです。
父親に神学校に入れてもらい、神父になるべく育てられたはずの少年が羊飼いになったのは、原罪や神を知るより、広い世界がどうしてもみたかったからなのです。
頬をなでる東風…
その風は、砂漠と、ベールをした女性の香りと、未知、金や冒険、そしてピラミッドを探しに行った男たちの、汗や夢を運んできました。
…
次の日、少年は羊をすべて売り払い、アフリカに向かう船のチケットを買っていました。
一度決めると、不思議なことが起こりました。
旅について話した友人が「ちょうど、羊を買いかったところなんだ。これはよい前兆だよ」といって羊を全て買ってくれました。
これまで持ったことのない大金を懐に隠し、少年は港にあるバーに寄りました。
「エジプトまで案内してあげるよ。そこまでの全ての面倒もみる。でも、その前にラクダを二頭、買わなくてはならない」
店の主人がなんだかよくわからい言葉で怒鳴っていましたが、その男はそれを制して少年に言いました。
「この男は、君のお金を狙っているんだよ。港町には泥棒が多い。外に出よう。」
まだ半信半疑でしたが、少年はその男に有り金を全て渡してしまいました。
目を離さないようにしなくては‥
そう思っていた少年でしたが、ふと、露店にあった美しい剣に目が留まって、男から視線を外してしまいました。
我に返って後ろをゆっくり振り向くと…やはり、男はどこにも見当たらなかったのです。
少年は自分が恥ずかしくて、声を上げて泣きました。
「僕は他の人と同じなんだ。本当に起こっていることではなく、自分がみたいように世の中を見ているんだ。」
真理を理解するにつれて、少年の気持ちは落ち着いてきました。
自分はどうしたいのか。
元通り、平凡で優秀な羊飼いとして、一生を送ることができる。
しかし、自分がいつも望んでいたことは、新しい場所を知りたいということだった。
彼は、自分の知っているどの羊飼いよりも、すでにずっと遠くまで旅をしていた。
彼は、自分のことをどろぼうにあった哀れな犠牲者と考えるか、宝物を探し求める冒険家と考えるか、その鳥らかを選ばなければならないことに気づきました。
「僕は、宝物を探している冒険家なんだ」と彼は自分に言いました。
…
これから少年は、
ピラミッドまでの旅費を再度稼ぐために、クリスタル商人の下で新規事業を立ち上げたり、様々な「前兆」を読み取り、運命の流れや危険を察知して、「宝物」が埋まっているはずのピラミッドに近づいていきます。
その旅の過程でさまざまな人々から語られる、真理のことば…
- 「お前は常に、自分が何を欲しているのかを、知らなければならない」67頁
- 「恵みを無視すると、それが災いになる」69頁
- 「自分の物語と世界の歴史が、全て同じものの手によって書かれているとしたら、恐れはなくなる」91頁
- 「そんなにあせることないよ…食べる時には食べる。そして動く時がきたら動くのだ」106頁
- 「傷つくことを恐ることは、実際に傷付くことより辛い。それは、追及の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ」154頁
彼は、どんどんこの世の真理を学んでいきます。
そして、この物語の最大のミステリーである、
- 「錬金術」とはなんなのか?
- 錬金術を修得したうえで少年が到達した、「愛」の定義「大いなる魂を変え、より良いものにする力」(179頁)その意味とは?
- 「宝物」とは何を象徴しているのか、それはどこにあるのか?
…
本記事を読んだあなたなら、その「前兆」を、読み解けるはずです。
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