【嫌いな人が消える…だと!?】ビジョン心理学セミナー「成長の三角形モデル」体験記(前編:俺の罪悪感)

こんにちは、こんばんは、かずです。

先日、ビジョン心理学の「成長の三角形モデル」のセミナーに参加して、驚くべき学びがあったので、その体験をシェアします。

突然ですが、あなたは、嫌いな人はいますか?

あなたがリアル人生ゲームを進めていて、順調順調♪と想っていた矢先、いつも立ちふさがる「そういうタイプの人」…

あなたにもし思い浮かぶ人がいるならば、その「自分の嫌いな人は、実は自分自身である」と言われて、受け入れられますか?

会社や学校のあいつ、恋人やパートナーの「あの」部分、あるいは、父親や母親…。

あなたは、その人みたいにならないように、これまで一生懸命頑張ってきましたよね。だから、そういう部分が自分自身にもあると聞いても、到底受け入れられないのではないでしょうか?

僕も同じでした。

しかし、ビジョン心理学の原則に「世界は自分の心を映す鏡である」というものがあります。

その「嫌い」という現実を創り出したのは、あなた自身の心なのです。これを心理学のことばで、「投影」と言います。

したがって、嫌いな人を許すことは、あなた自身を許す事と同じです。

そして、嫌いな人=自分自身を許せると、人生にミラクルが起こるといいます。

  • 嫌いな人のその嫌いな部分が変わる
  • その人を気にならなくなる
  • 今まで繰り返し現れていた同じような嫌いな人が現れなくなる

嫌いな人がいない状態って、車で走っていて、信号が全部青みたいな感じでしょう。とても爽快だと思いませんか?

でも、許すったって、怒りや憎しみはたしかに感じますよね。そう簡単にいくのでしょうか?

ビジョン心理学には、そのノウハウがありました。それを、今回のセミナーで修得できたのです。

本記事では、僕かずの上記セミナー体験をシェアすることを通じて、

  • 投影が生じるメカニズムや、
  • それをどうやって癒し人生にミラクルを起すかについて、
  • ビジョン心理学の「成長の三角形モデル」を用いて説明

していきます。

そして、セミナー受講後、そのミラクルが僕の人生に実際に生じたのか、その再現性についても、切り込んでいきます。

どうも自分はいつも同じような「嫌いな人」に人生を邪魔されているんだよなぁと感じている人は、本記事はその悪循環を変える大事なきっかけとなりますので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。

ビジョン心理学「成長の三角形モデル」とは

ビジョン心理学は、心理学とスピリチュアリティの統合に基づいた、実践的・療法的な心理学です。ハワイ在中のチャック・スペザーノ博士(米国・心理学者)によって1970年代に提唱されました。

その後、レンシースペザーノ夫人(1974年に身体障碍者などの社会復帰させるリハビリテーション・カウンセリングの分野で修士号を取得)が考案したジョイニング・セッションを取り入れ、大きく発展を遂げています。

創始者たちは現在も開発を続けており、最先端の心理学といえるでしょう。

ビジョン心理学では、私たちの意識の層を4つに分けています。

表面意識、潜在意識、無意識、以上3つを「ロウアーマインド」と呼んでいます。その下にあるのが、4つ目の「ハイアーマインド」(高次の意識)です。

表面意識(顕在意識)は、自分自身で気づいている部分であり、ここで私たちはさまざまな選択をします。しかし、この部分は私たちの心のわずかにすぎません。

その奥にあるのが、②潜在意識です。生まれてから、正確には母親の体内の中で受精してからの全ての体験、セクシュアリティや攻撃性、さらには超能力的才能などがここに抑圧されています。

その奥になるのが、③無意識です。無意識は個人的無意識と集合的無意識に分けれられます。

個人的無意識とは、魂のパターン、ストーリー、先祖代々から伝ってきているものなどです。

集合的無意識とは、人類が始まって以来の全ての体験を指します。神話やおとぎ話、また夢によっても、私たちのそういう部分を知ることができます。

その奥にあるのが、④「ハイアーマインド」(高次の意識)であり、ここは僕たちの中の霊的な部分です。愛と光に満ち溢れた、永遠の存在そのものです。全ての答えを知っている部分であり、神や生きとし生けるもの全てと繋がっている部分です。

私たちはすべからく、肉体に命を宿したその瞬間から、分離とそれによる恐れを経験し、自分は愛されていないのだという幻想に囚われます。

そして、その傷を埋め合わせるために、魂の周りに様々なガラクタを寄せ集め、鎧をつけ始めます。

しかし、その鎧は多くの場合、「過剰防衛」であり、人と親密になり、自分が本来経験できる人生への歩みを阻む、重荷となってしまっているのです。

僕たちの心の成長とは、そのような重荷を手放し、幼子のように軽く、瞬間瞬間を楽む、ハイアーマインドに帰っていくことを意味します(以上の心の構造と成長過程の詳細は、下記記事参照)。

ビジョン心理学と錬金術から【愛とシンクロニシティの関係】について考えよう!

そしてビジョン心理学は、このような心の成長過程を、「依存」「自立」「相互依存」「霊的依存」の4つの段階に大別して、三角形モデルで表しました。

この三角形モデルによって、それまでハッキリしなかった、

  • 私たちの心の働き方、
  • 繰り返し生じる慢性的な問題を抜ける道、
  • そしてこれらの「ワナ」が隠しているギフト(才能)

を視覚的に説明することができるようになったのです。

ビジョン心理学では、個人のビジョンや生きる目的、それを達成するための才能を発見することが癒し1をもたらす重要な要素であると考えており、

  • 自らの悪循環のパターンに気づき、乗り越え、
  • 新しい生き方や幸せになる方法を探し出し、
  • 創造的なリーダーになること

に主眼を置いています。

この三角形モデルは、これを学んだ人々や彼らに接する人々が、各人のビジョンへ到達するうえでの、心のグーグルマップとして機能するのです。

僕の例で説明しましょう。

僕のはまっているワナ「罪悪感」

僕はいままで、自分の罪悪感に苦しめられてきました。

上掲の成長の三角形のモデル図を見返してみてください。「罪悪感」は依存段階の下から3つ目の外側にありますね。

これはどのようなものなのでしょうか?

罪悪感とは

罪悪感とは、「自分が悪かったんだ」「自分には罪がある」「自分が失敗したんだ」という意識です。

この罪悪感があると、人は、

  • 「自分には価値がない」と自分を責めたり、引きこもってしまします。
  • 逆に、自分の罪悪感を他の人に写して人を責める、批判する、反抗するというタイプもいます。

いずれにしても、とても嫌な感情が伴います。

自分が悪い、自分に価値がないという罪悪感があると、自分が悪いのだから自分が犠牲になって、相手に、会社に尽くさなければいけないというという心理的なワナにはまります(補償行為)。

このような自己犠牲的行為は、表面的には「与える」行為ですが、本質的には与えていることにはなりません。

なぜなら、真の与える行為とは、受け取ることとワンセットだからです。

もし、あなたの周りの人が自己犠牲してあなたに何かを与えてくれても、あなたは幸せな気持ちになりませんよね。

心は奥深くで繋がっており、一つです。

したがって、相手にとってあなたは自分自身であり、あなたの損失は、相手の損失なのです。

今まで僕は、人と長い時間を共有したり、集団でいると疲れてしまい、人を避けて一人になりがちでした。

それは、補償行為によって、本来の自分を偽っていたからです。

たとえば、

  • 飲み会の席では、僕は「僕がいると雰囲気を悪くする」「みんなのテンションを盛り下げ葬式のようになる」と感じて、過剰に気を利かせておしぼりを全員に配ったりビールを注いだりしていそいそと働き、座ったと思ったらろくに自己開示せずに人を質問攻めにしてしまったりしていました(男女関係においては、外見に対するコンプレックスも加わっていたと思います)
  • また、僕が弁護士を目指していたのは、「最難関の試験に合格」「最強の資格」というバッチを、自信のなさという穴に「パッチ」のように当てて、認めてくれなかった親や世界に愛されたかったからなのかもしれません。

そのような「偽りのギフト」では、相手も自分も幸せにしませんよね。

では、僕はなぜ罪悪感に陥っていたのでしょうか?

なぜ、罪悪感に陥ったのか

成長の三角形モデルにおいて、罪悪感の前には、「ニーズ」→「ハートブレイク」があります。ここに、僕が罪悪感に陥った理由があるようです。

ニーズ

ニーズとは、欲求・要求のことをいいます。依存の段階の一番初めに位置しており、家庭では赤ちゃんや子どもの段階で、会社などでは新入社員の段階で経験する感情です。

依存段階では、生き方を選ぶ自由がないため、生存や肉体的・精神的に幸福であるかどうかを、親や家族、周りの人に、文字通り依存しています。

そして、私たちが望むような形で大切にしてもらえないと、私たちは愛されていないと誤解し、被害者になります。それが、次のハートブレイクです。

ハートブレイク

ハートブレイクとは、ニーズが報われずに傷ついた感情のことをいいます。

なんとか愛をつかみとろうと必死になります。それは、親を独占しようとしたり、あるいは自分をあえて不幸に陥れることで、親に復讐し、気づかせようとするというような形をとります。

そして、あまりにも傷が痛むため、そのような攻撃が正当なものだと感じています。

しかし、その奥底には、

  • 自分の存在は邪悪である
  • 家族を助けることができなかった

という感情がうごめいています。これが、罪悪感なのです。

僕の場合

僕の場合、母親が親戚などに対する外面はいいのに、家庭では日常的にヒステリックに怒ったり、勉強しなくて叱られたり、父親を嫌悪し夫婦仲が悪かったりして、いつもしかめっ面で幸せそうではありませんでした。

そのため、「自分は生まれてこない方がよかったのではないか」という気持ちが積もっていっていました。その裏には、「無条件で愛されたい」というニーズがありました。

そして、母親に愛されていないと感じた(ハートブレイク)ことにより、その間違いに気づかせようとして、復讐にでました

親戚の家でブスッとつまらなそうにして、「問題児」になり、困らせました。中学生時代に勉強しなくなり、ずっと汚い部屋に引きこもってゲームばっかりしてたのも、復讐だったのかもしれません。

そのようにして、僕は母親を恨み、家庭を壊そうとしました。

しかし、その恨みは今度は罪悪感として顕在化し、自分へ向かうことになります。

これが、僕の罪悪感が生じたメカニズムです。

依存段階の「ニーズ」→「ハートブレイク」→「罪悪感」の流れを分かっていただけましたか?

では、このような罪悪感を持ったまま成長すると、どんなトラブルが生じるのでしょうか?

罪悪感に陥ると、どうなるのか(自立段階)

罪悪感から補償行為をするようになると、心は、自立段階へと歩みを進めます。

  • 「きちんと自分でできるようにならなくてはいけない」
  • 「人に迷惑をかけてはいけない」
  • 「親の期待に応えなければいけない」

というような”枠”に囚われ成長していくことになります。

この自立段階では、自分のニーズや感情を押し殺してしまっているため、相手の感情やニーズにも気づけなくなっています。

いわゆる、「KY」(空気が読めない人)であり、自己の成功のために、悪気なく人を傷つけてしまう加害者になってしまいます。

そのような人が問題の多い状況を扱うときの戦略は、

  • コントロールを握るか、
  • それができなければ、その場を去るか

です。

そのようにして自分の罪悪感を埋めるために頑張るのですが、偽りの力には限界があります。

血の通ったコミュニケーションを図ることができず、人と信頼関係を築くことができないので、プライベートはボロボロ。

仮に一般社会にいわれるような「成功」をおさめていたとしても、自分がニセモノであるという感情がついて回り、内面的な幸福感がついてこないのです。

そして、やがてエネルギーが枯渇し、燃え尽き、死んだようになってしまいます(デットゾーン)。

このように、自立段階の成長の”ワナ”は、「期待」→「コントロール」→「デットゾーン」というように流れます。

現代の多くの人が、このデットゾーンで足止めを食らっている状態です。

自殺大国日本。その原因は?

罪悪感から、期待に応えようとがんばって、ボロボロになる。そのような「デットゾーン」の”ひどい版”が、「うつ」であり、それに起因する自殺でしょう。

 うつ病の人は世界で推計3億2,200万人に上るとする報告書を世界保健機関(WHO)がこのほど公表した。報告書は、うつに苦しむ人が全世界人口の4%を超えながら、その多くは正しい診断や適切な治療を受けられていないと指摘し、早急な対策の必要性を訴えている。

 報告書によると、うつ病の人は2015年時点の世界総数推計で3億2,200万人に達し、05年比で18%以上増加した。地域別分布比ではアジア・太平洋地域で世界全体の約48%を占め、アメリカ地域は約15%、欧州地域は約12%だった。年齢別では55〜74歳の発症率が高かった。女性はどの世代でも男性よりも発症率が高く、特に60〜64歳の女性は全人口比で8%近くがうつに悩まされている。

 国別推計でアジア地域を見ると中国が約5,482万人と際立って多く、次いで日本が約506万人、フィリピンが約330万人だった。推計人数で千万台だったのは、インドの約5,668万人、米国の約1,749万人、ブラジルの約1,155万人など。

人口比率が高かったのは、ウクライナ、エストニア、米国、ブラジル、オーストラリア、ギリシャ、ポルトガルなどでいずれも人口比6%前後。日本と中国はいずれも同約4%だった。

 2015年の世界の自殺者は推計約78万8千人で、15〜29歳の若年層では自殺が死亡原因の2番目を占め、自殺の主要因がうつ病だったという。

引用:うつ病の人は世界で3億2千万人 WHOが推計 Science portal

世界ではうつが増加しているようです。

  • アジアでその割合は高く、日本は自殺者数ではダントツの中国に次いでアジア2位
  • もともと人口爆弾の中国に数ではかないませんが、人口比率では中国と同じ4%
  • そして、なんと世界の若年層では、自殺が死亡原因の2位で、その主要原因がうつ

そして、インドがやっぱり病んでいる。

【情熱で今を焼き尽くせ】『きっと、うまくいく』

もうちょっと詳しく、日本の自殺の現状と、その原因を見てみましょう。

以下、『自己肯定感が「低い日本人」「高いドイツ人」の違い~謙虚で聞き上手な日本人、実は損をしがち?~ 』(東洋経済オンライン)という記事を引用します。

この記事、ゆでたてパキパキのソーセージみたいな自己肯定感を持つドイツ人と、冷蔵庫で一晩寝かせたモヤシ炒めみたいな日本人の違いを、会話や教育スタイルから比較してて、とても面白いです!。

日本は自殺大国です。15~39歳の各世代の死因の第1位は自殺(厚生労働省「2020年版自殺対策白書」より)。

また先進国(G7)の中で、15~34歳の年代で死因の1位が自殺なのは、日本だけ。この世代の自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)は日本が16.3人に対し、フランスは半分以下の7.9人、ドイツは7.5人です。

日本人はどうすれば「自己肯定感の悩み」から解放されるのか? 今回はそれについてじっくりと考えてみましょう。

まず日本だと「聞き上手の人」が評価される傾向にあります。逆に自分の話を延々とする人は「自己中心的」「大人げない」などと批判を集めがちです。

ところがドイツの場合、聞き上手の人はそれほどいません。むしろ、延々と自分の話をする人のほうが多いぐらいです。ドイツでは初対面であっても、身の上話をする人が多いです。

親しい仲であれば、さらに拍車がかかり、自分の家族のことから恋愛のこと、ペットや休暇、果ては政治的立場といったかなり個人的なことまで詳細に話します。自分の話をしているときのドイツ人は決まっていつも嬉しそうな顔をします。

教育の違いも日本人とドイツ人の自己肯定感の差につながっているのかもしれません。日本では、子どもが生まれた夫婦に「将来、どんな子に成長してほしいですか?」と聞くと、「多くは望みません。人に迷惑をかけない子であれば」という答えが返ってくることがあります。

日本ではポピュラーな回答かもしれません。ですがドイツ人からすると、「親が描く子どもの理想像=人に迷惑をかけない子」というのは衝撃的です。

実はドイツでは「人に迷惑をかける・かけない」という概念が浸透していません。当然、日常でこの言い回しが使われることもなく、ドイツ人の親や教師が子どもの行動を注意するときは、「テレビの音が大きすぎるからボリュームを小さくしてほしい」とか、「狭い場所にものを置くとほかの人が使えないので片付けるように」など、できるだけ具体的に伝えます。

もちろん「人に迷惑をかけない」という配慮は素晴らしいことです。ただし、その定義は日本人の中でも漠然としていますし、実際「何がどこまで他人の迷惑になるのか」がえらくわかりづらくもあります。

人に迷惑をかけないようにと育てられた人は、当然そうした行動に敏感になりがちです。それが返って、自己主張が苦手で、自己肯定感の低い日本人にもつながっている気もします。

どれだけ注意しても、誰にだって年に数度は誰かにとって「迷惑な存在」になることがあるはずです。大きな荷物を持ってバスの狭い通路をふさいだり、満員電車の中で子どもが泣き叫んだり、急ぎ足で歩いていたら人にぶつかってしまったり。

誰にも迷惑をかけない生き方なんて、実現不可能な気さえします。

では、自信家の多いドイツの教育はどうでしょうか? 筆者がドイツの幼稚園に通っていたときの記憶はあまりにも楽しく、40年近く経ったいまでも当時のことを鮮明に思い出せるぐらいです。

基本的にドイツの幼稚園には「何時から、皆で一緒に何々をする」といった決まったルールやカリキュラムはありません。

基本的にドイツの幼稚園には「何時から、皆で一緒に何々をする」といった決まったルールやカリキュラムはありません

登園したら園児は自分の好きなことをして自由に遊びます。筆者が通ったミュンヘンのカトリック系の幼稚園には、大きな部屋に人形のコーナーや積み木のコーナー、絵本のコーナー、お絵かきのコーナーなどがありました。

筆者の場合、いつも決まった友人たちとお人形ごっこをするのが日課でした。先生から「ほかのお友達とも遊びましょう」「ほかのコーナーでも遊びなさい」などと注意を受けた記憶はありません。

好みが偏っていたとしても、特に心配や矯正されることもありません。「自分の好きなことを、時間が許す限りやってもいいんだ」ということを幼稚園時代から学べたことは、今も私の生きる支えになっている気もします。

日本とドイツの文化はなにもかも違いますので、一概に「どちらの国のほうが優れている」と評価できるものではありません。ただし、自己肯定感だけにスポットを当てると、聞き上手が美徳とされる日本人よりも、自分の好きなことを好きなだけ話すドイツ人のほうが精神衛生上いい気がします。月並みな言い方になってしまいますが、日本人はもっと自分に自信を持ったほうがいいと思うのです。

内閣府の「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査(平成30年度)」によれば、「自分自身に満足している」と答えた人はドイツ人では81.8%なのに対し、日本人はわずか45.1%。この自信のなさが、冒頭の自殺率の高さにつながっているように思えて仕方ありません。

たしかに、よくコミュニケーション本で「聞き上手になれ」っていわれていますが、よく考えるとずっと聞いてるだけだとフェアじゃないですよね。

自己犠牲的というか、あるいはそのように見せかけて見返りを求めているようにも感じられるのは、僕だけでしょうか?

「聞き上手」に徹して関係性が進んだ経験は、僕にはないですね。

「聞いてればいいんだ」というアドバイスって、そいつをコントロールするための、陰謀のようにも思えてきます2

しかし他方、「自慢話をぶちかませ!ドイツから学んだ俺が最先端だ!」というのも、極端な気がしますし、本質的には、「無思考」という点で共通しています。

大事なのは、本心、そして、情熱。

そこには、”今の自分にとって”、「話したくない事」も含まれているのだと思います。

そこに踏み込めるヤツこそ、芯のある、真のパキパキソーセージ人間なのでしょう。

そして、日本ってそういう奴を折ろうとする空気感じゃないでしょうか?それって嫉妬?

でも、そういう人も、連綿と続く「枠」に苦しめられているのです。

いつから日本ってこうなってしまったんでしょうか?

↓動画はフランスですが、フランス人男性の積極的なアプローチに、自由、平等、博愛の精神を感じます。

チャラい?フランス人との初デート!【国際恋愛出会い】First date in Japan with a French guy

↓「日本人は言いたいことを我慢する。ヨーロッパは何か嫌なことがあると迷わずすぐに言う。関係を良くするために言うから、言われたことに傷ついたりしない。

【国際恋愛Q&A】日本人は何考えてるかよくわからない?🇯🇵🇫🇷話せなくても付き合える?

↓日本人男性のデートは最初から重すぎる。それは前段階が抜けているからでしょう。

正直に話します!フランス人が日本人とのデートで衝撃したこと・ここまで違うの⁉️

僕の場合も、罪悪感を基礎にして、「期待」→「コントロール」「デットゾーン」とワナを引きずってきました。

枠にはめてこようとする母親に反発しながらも、自己を確立し、認められたいという気持ちで弁護士を目指し、法律を学んできたと思います(期待)。

大学では教授の真ん前の席を陣取り、友達もつくらず勉強に没頭しました。

ゼミにも入り、ゼミ長になりましたが、一番を目指し孤独な僕は、ろくに雑談もできず、心のこもった熱い友情やリーダーシップをとることができませんでした(コントロールしようとしたが叶わず離れる)。

大学の卒業式では主席に選ばれ、学術賞も受賞し、メダルを学長から首にかけてもらうという栄誉にあずかりました。

しかし、そこには両親の姿はありませんでした。

僕は、大学に行く前に学費をためるため、陸上自衛隊に2年間所属し、そこで4年分の学費を貯めました。

その貯金と在学中に得た給付型奨学金だけで大学を乗り切ったので、母親にマウントをとるような意地悪な気持ちが生まれ、そんな気持ちで「卒業式あるんだけど、来る?」と誘いました。

母親は、そんな気持ちを感じたのか、「用事があるからいけない」と断りました。

卒業式当日、穏やかな日。メダルを首にかけた僕の周りには、誰もいませんでした。

僕が助けられた人、その人が、暗い気持ちで沈んでいます。僕は式が終わるやいなや、早々に席を立ち、桜舞い散る道を、一人帰路についたのです。

寂しい気持ちを抱えつつ、弁護士になれば全ては変わるはずだと信じ、法科大学院でも勉強を進めました。

法科大学院での生活は、時間に追われ、司法試験という資格試験に向けた予備校のような雰囲気で、事務処理能力が試されていました。

しかし、僕は法的思考力が大事なんだと信じて、じっくり考えるスタイルの勉強法を貫きました。

それでも、キツキツのカリキュラムは待ってはくれません。

自律神経失調症に陥りながら、食らいついていきました。

考えすぎ岡田一志が、自律神経失調症を克服するまでの記録(計画編)

そして、法科大学院卒業。

成績は2番手で、そこそこでした。

しかし、司法試験でまったく結果が振るわなかったのはご存知の通りです。

【司法試験リベンジ計画】平成30年本試験検討~総論~

リベンジも考えました。

しかし、司法試験に受けるには、どうしてもあの、詰め込み職業訓練をしなければなりません。

想像するだけで、ジンマシンができてしまいます。

そんな中、弁護士との訴訟とそれに続く強制執行・財産開示も経験して、最終的には虚偽陳述罪での告訴も検討しましたが、疲弊してしましました(デットゾーン)。

少しずつわかってきました。

僕がやりたかったのは、誰かに取り入るために競争することや、相手を言い負かすことではない。

人を笑顔にすることだ。そういう人間関係を創ることだ。

それって、今持っているリソースでできるんじゃないか?

  • 俺の資質
  • これまでの経験

”究極の予防法務”。

今はそれが、真の自立、すなわち、「相互依存」への道だと思っています。

相互依存に向けて~罪悪感から抜け出るために~

では、僕が、僕の足を引っ張っている罪悪感を解放し、「相互依存」に突入するには、どうすればいいのでしょうか。

まず、相互依存とはなんなのか、見ていきましょう。

相互依存とは、共同創造と言い換えることもでき、お互いに依存し合うのではなく、お互いに個人として十分に成熟し、対等な関係を築いていて、それぞれがその関係に責任を取っているパートナーシップの関係です。

これは、自分で物事をするということから、他の人たちとパートナーシップをとるという、ある種初歩的な段階へ戻ることです。

しかし、このレベルのパートナーシップは、世界を今までとは異なる視点でみます。犠牲やマウントの取り合いが少なくなり、反対に面白さ、楽しさが増し、自分の事を軽く捉え、ユーモアの持つ癒しの威力を思い出すことができます。

また、相互依存に進むと、人間関係の持つ霊的な教えを理解しはじめます。相互依存は悟りへの角へと繋がる道です。

私たちはみな同じ布の一部であり、糸であり、そこにあるすべての状態の一部であると気づくと、そこには、ただ一つの”私”があるだけなのです。

では、この相互依存に突入するためには、どうすればいいのでしょうか。

もう一度三角形モデルを見てください。

いままでは、三角形の外側に書いてある、成長において陥る”ワナ”について、その感情的な流れを説明してきました。

それらのワナを抜け出す指針は、その内側に書いてあります。

三角錐をイメージして下さい。ワンネスがその頂上にあり、成長とは、その山の内側へ、内側へと、ぐるぐると山登りをしている感じです。

依存段階でしたら、「理解」→「受容」→「許し」。

ニーズを人と分かち合って理解を深め、それを受け入れ、自分を罪の意識から解き放つことです。

自立段階でしたら、「手放す」→「信頼」→「コミットメント」です。

”枠”を手放し、自分と周りを信頼し、真に献身的に与えるのです。

すると、人と親密感を感じられるようになり、人と共に成功するようになります。

これが、「幸せな成功者」と言われる、相互依存にいる人の特徴です。

僕は「幸せな成功者」の仲間入りをすべく、今まで繰り返し、繰り返し、自分の罪悪感と向き合って、癒しを進めてきました。

T-ONEのワークショップでは、罪悪感と補償行為の存在、そしてその根本にある母親への愛情欲求を初めて理解し、受け入れ、それが真実ではないと認識できました。

T-ONE 「5days」ワークショップ体験記

母親にも実際に会いにいき、僕にある”あるがまま”を認められなかった悲しさ、そして母親にもあったその感情を理解し、受け止めることができました。

自分のハイアーマインドへの帰路につきはじめ、ステージが変わりました。

続いての癒しは、VDI(ビジョン・ダイナミクス・研究所)です。

【天を味方につける】ビジョン心理学マスタートレーナー栗原弘美による3DAYSセミナー体験記

ここでは、念願のフォーカス・パーソンを通じて、

  • 自分に眠っていたリーダーとしての資質とそれによって得られる真実のパートナーシップという可能性に気づき、
  • その発動を邪魔している母親・戦った弁護士・永田社長に対する恨みを手放すと決断しました。

また、初体験の大笑いにらめっこ、ジョイニングを通じて、曇ってしまっていた母親、そして全生命体への「大好き」と言う気持ちを体に宿すことできました。

ここまできて、もう、だいぶ母親へのネガティブな感情なくなってきたなぁ~と感じていたので、そろそろ僕も人嫌いを克服してパートナーシップをとれるようになるのかなぁと思っていました。

しかしその矢先、まだちょっと自立っぽい行動がでてしまうことに気づきました(コントロール)。

たしかに、僕はADHDで衝動的なところがありますが、純粋に「良くしよう」という気持ちだけであれば、反発は生じないはずです。

しかし、このとき湧き上がってきた感情は、「表面的」という母親に感じたあの嫌悪感でした。

トラブルは、自分の心の癒されていないところを癒すために出てくるのです。

僕の癒されていない部分ってどこなのだろう?

  • 母親への許しがまだ足りないのか?
  • そもそも、「許す」ってそう決断するだけでできているのだろうか?
  • 本当に許すことで現実が変わるのか?(このまま永遠にセミナー受け続けなければならないんじゃないの?)

僕の不安。

しかし、今回のセミナーは、そのエゴの最後のあがきに、トドメを刺した感じでした。

それは、上記のような三角形モデルを使い、罪悪感が生じるメカニズムを論理的に、根本から認識できたことも大きかったですが、

それによって照準をしぼって投下した、「投影の取り戻し」という爆弾ワークが凄かったです。

これについては、後編をこうご期待~

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