経緯~当事者のコミュニケーション不足~
第二次大戦頃の統制経済下、政府は生糸の製造量を統制するにあたり、生糸製造業者の繰糸設備(繰糸釜)使用を、一定の釜数に限るという方針を打ち出した。
これを受けて、全国製糸業組合連合会は、業者が営業を取りやめるなどして繰糸釜を廃棄する者に対しては、組合から1釜あたり200円の補償金を支払うことを取り決めた。
生糸製造販売業者であるXは、自身の生糸製造権を、生糸製造業者訴外A社に譲渡し、その代金1万円を、絹紡原料問屋業者YがXに支払う旨合意した。
Yは、代金をXが生糸製造業の廃止手続を終える日までに支払うこととした(以下「本件契約」という)。
Xは廃止手続を終え、製糸業組合連合会から繰糸釜の廃棄による補償金として10釜分に相当する2000円の補償金交付を受けた。
Yは、期日までに8000円をXに交付したものの、本件契約の代金に補償金が充当されると考えていたため、Xの受け取った補償金2000円分について弁済したものとして扱い、支払わなかった。
そこで、Xは、Yに対して 、残金の支払いを求め提訴した。
しかし、Xはこれを認識しておらず、本件契約について、代金額に補償金が充当されないと考えていた。
裁判所の判断~思考停止で形式を重んじる~
最高裁は、
として、単に両当事者の付与した意味に食い違いがあるだけで、解約の成立を否定してしまった。
しかし、本件は、代金が「1万円」と明確に定まっていて、その内容の理解に食い違いがあっただけなのである。
俺批判~せっかく成立した取引を活かせ!~
民法95条1項1号は、意志不存在の錯誤について、一定の条件の下取り消しうる旨規定している。
もっとも、表意者に重過失がある場合は、法律行為を有効としている(同3項1号)。
第九十五条 意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
2 前項第二号の規定による意思表示の取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。
同規定の趣旨は、錯誤は表意者の一方的な事情であることから、常に取引を取消しうるものとするのは妥当ではなく、表意者に重過失がある場合には、取引を有効として取引の安全を図ることが正当化できる、という点にある。
この趣旨にかんがみれば、当事者双方またはいずれか一方において、内心と表示の不一致が認められる狭義の契約の解釈の場面でも、当事者の内心が一致しないということだけをもって直ちに契約を不成立とするのではなく、
取引の安全の見地から、意思内容の正当性の勘案により取引をできる限り維持する努力がなされなければならない。
つまり、内心の意思の不一致の論点は、錯誤を判断する前提となる。この点で、両者には論理的な前後関係がある。
しかし、両者は内心と表示の食い違いという点では共通しているのである。
そこで、この狭義の契約の解釈をいかなる基準で行うかが問題となる。
この点について、契約が当事者間の自律的な法律関係形成手段であることを踏まえ、
①まず当事者が意思表示に付与した意味を探究したうえで、②そのいずれにより正当性があるかについて判断して決するべきである。
そして、合理的に行動する者は、表示を社会における通常の意味で理解するはずであるから、表示の客観的意味は、正当性判断の強力な手がかりになる。ただし、当事者間において別の意味に理解すべき事情がある場合には、その意味が優先すると解する。
本件について、①まず当事者が表示に現実に付与した意味について検討する。
Xは、生糸製造権譲渡契約の代金に補償金が充当されないという意味を表示に付与している。他方、Yは充当されると捉えており、両者は食い違っている。
そこで、②いずれに正当性があるか、まず表示の客観的意味を考察する。
当時の状況において生糸製造権譲渡契約の代金に補償金が充当される通常であったのであるから、Yの付与した意味は、社会において通用するものといえる。
したがって、表示の客観的意味において、Yに正当性が認められる。
次に、当事者間の個別的な事情を検討する。
この点について、Yにおいて、Xの付与した補償金が充当されないとの意味を知っていたり、知るべきであったとする事情は認められない。
したがって、Yの意味付与に正当性が認められ、補償金2000円は本件契約の売買代金の一部に充当される。
よって、Yの8000円の弁済による債務消滅の反論は認められ、Xの残金支払い請求は認められない。
以上
まとめと錯誤取消しの可否
このように付与意味基準説は、狭義の契約の解釈を、
- 当事者の付与した意味を探究し、意味が合致していれば、その意味で契約を成立させる。
- 他方、意味が食い違っていれば、いずれが正当か問い、正当と判断された意味に基づき契約が成立する。
その正当性の判断は、社会における通常の意味→当事者の特別な事情という順で行う。
というプロセスで行う。
そして、これにより成立した契約に対し、上記で正当性がないとされた当事者による、95条1項による錯誤取消しの可否が問題となるのである。
Xが、生糸製造販売業者であるということを踏まえて、この先の答案の展開を各自考えてみてもらいたい。
参照資料
- 本判決の百選解説
- 佐久間 毅「民法の基礎」
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