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さて、今日のお話は…
作品の評価・ざっくり紹介
第62回アカデミー賞脚本賞受賞作品。
型破りな教員キーティングが、親の意向や学校の規則にがんじがらめにされたエリート生徒たちの、野生を解き放っていく。
- 教育・学びって、「将来」のために今を犠牲にすることなのか?
- そしてその将来って本当に「俺たちのため」を想っていうことなのか?
- 型をはめてくる奴らと、どう折り合いをつければいいのか?
考えさせてくれる。
従うべきか、抗うべきか、はたまた第三の道があるのか…キーティング先生のワイルドな生き方に触れることで、気づきを得られるだろう。
ストーリー
1959年、バーモントの全寮制学院ウェルトン・アカデミーの新学期に、同校のOBである英語教師ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)が赴任してきた。
ノーラン校長(ノーマン・ロイド)の指導の下、厳格な規則に縛られている学生たちに、キーティングは「プリチャードの教科書[3]なんか破り捨てろ」と言い放ち、詩の本当の素晴らしさ、生きることの素晴らしさについて教えようとする。
ある日の授業では、キーティングは突然机の上に立ち、「私はこの机の上に立ち、思い出す。常に物事は別の視点で見なければならないことを! ほら、ここからは世界がまったく違って見える」と話す。
画像引用:IMDb
生徒も机の上に立たせ、降りようとした際には「待て、レミングのように降りるんじゃない! そこから周りをきちんと見渡してみろ」と諭す。
キーティングの風変わりな授業に最初は戸惑う生徒たちだったが、次第に行動力を刺激され、新鮮な考えや、規則や親の期待に縛られない自由な生き方に目覚めていくのだった。
紹介文引用:Wikipedia いまをいきる(太線はかずが付した)
大学進学率を気にする校長の厳格な詰め込み教育、「子供のため」として子供を縛る親。
同学出身の先輩キーティングは、後輩である生徒に、「学びとは、他人のいうことに従うことではない。自分の内側からこみ上げる情熱を解放し、本当の自分に出会うためにするものなんだ」と体を張った詩の講義で伝える。
たとえば、
- 詩の優秀さを数値で表そうとする教科書の記載にキレて、「今すぐ破って捨てちまえ!」と豪語
- サッカーボールを蹴り飛ばしながら、詩を絶叫させる
- 生徒全員を机の上に立たせておいて、自分は帰る…
またあるとき、「処女達へ」と言うタイトルの詩を読ませるのだが、その内容は、
というもの。
キーティングが一連の詩の講義(?)で伝えたかったのは、「我々はすべからく死ぬ運命なのだ。そしてそれは明日来るかもしれない。だから、他人が望む将来のために今の自分を殺してどうする。今を生きるんだ。」というメッセージだった。
…
…
そんなキーティング自身の情熱に触発された生徒たちは、徐々に、自身の足にはめられた鎖を外し、命を解き放っていく。
たとえば、ある生徒の一人ノックスは、心を寄せていた女の子クリスに「死ぬ気」でアタックした。
クリスには暴力的な彼氏がいたのだが、自分の情熱には逆らえない。
ノックスは彼氏に殴られようとも、クリスがその押しの強さにビビろうとも前進し続けた。
画像引用:IMDb
そして、ついに他校のクリスの教室に押しかけ、大勢の生徒の前で自作の詩を朗読し、クリスの気持ちを動かしたのである。
その内に秘めた情熱を、ノックスの情熱が引き出しシナジーを起こしたのだ。
情熱って魅力であり、「その人色」のエネルギーだ。
野生の強さってこういうことだよな。漢!
そして、仲間たちが見守る中、見事に主役を演じ抜き、その輝きで聴衆を魅了したのだ。
画像引用:IMD。
…
…
ところが、このような燃え盛る命の炎に、無知な大人は蓋をする。
ニールの親父は、ニールの演技の輝きを見て見ぬふりし、「今後は演劇を許さない」と終身刑を言い渡す。
「医学部に進むほか、やりたいことはあるのか?」という親父からの問いに、ショックを受けたニールは言い返すことができなかった。
そして、その日の夜、ニールは演劇の衣装に身を包み、親父のピストルを握り、今日の輝きを「永遠に残す道」に進んだのだった。
…
…
ニールの死に動揺を隠せない仲間たち。
追い打ちをかけるように、保身に走る大人たちの、「責任者探し」が始まる。
キーティングも「若者を堕落させた罪」で職を追われることになってしまった。
しかし、キーティングが火をつけた命の炎は、消えることはなかった。
ニールの火を受け継いだ仲間たち。
気がつくと彼らは、しっかりと自分の足で、立っていた。
画像引用:IMDb
考察
困難があっても情熱を貫いたノックスと対照的であり、ここに学びを得るための「モヤモヤ」がある
…
…
子供にとって親ってのは、絶対的な存在。
期待に応えたいと思うものだし、生活の糧も、学びの資も、親が握っている。
ニールは、そんな親に自分の輝きわかってもらおうと必死に表現したし、実際にうまくいったのに、父親は「型」から抜け出すことをせず、その価値を認めなてくれなかった。
だから、彼は絶望してしまったのだ。
しかし、親も他人なのである。
世の中、自分を理解してくれる人ばかりではない。
理解してくれなくともだまっていてくれればいいのだが、それが親のように身近な人であったり、足を引っ張ってしてくる人であることも、避けられないのである。
そんなとき、ニールの得意分野である、「演じる」(=まねる)というスキルが活きてくるのではないか。
あくまで「普通の人」という外面を保ちつつも、内では自分の火を燃やし続ける。
たとえ医学部への進学がやむを得ないものとなっても、隙間時間で内緒で演劇のことを勉強したりしつつ、自分の足で立てるまで時期を伺うという道もあったのではないかと思う。
この秘密の集いも、「演じる」という、ままならない現実の中で自分の炎を育む知恵だったのではないだろうか
もしかしたら、医療を学ぶことで得た知識が、演劇に活きるかもしれない。
医学と漫画を融合させた、手塚治虫先生の「ブラックジャック」みたいに。
学びというのは、何が活きるか後になってからしかわからない。
自分というのは、逃れられないその人の人生の条件の中で、あらゆるものを活用して行う戦いの中で育まれるものなのではないだろうか。
信念がある限り、いつかはそこにたどり着く。
あきらめない。焦らない。
虎視眈々(こしたんたん)と成熟の時を待つのだ。
世界が与えてくれる問題に丁寧に向き合い、ゆっくり進んでいこう!
これって、
- どういう関係にあって、
- どう折り合いをつけていけばいいのか
ニールの悲しみを活かし、さらに詳しく学んでいこう!
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