(2024年1月21日更新:参考映画『日独裁判官物語』)
こんにちは、こんばんは、かずです。
- 仕事が忙しくて、まんぞくに恋愛もできない…
- それでもがんばって恋愛しようとマッチングアプリを始めて、なんとかデートに持ち込んだけど、一回目で終わってしまう…
- 一生懸命仕事をしているのに、収入がなかなか上がらない…
- 仕事が全然楽しくなくて、上司への不満もパンパン…ストレスで毎日がつらい…
こういう方はいらっしゃいませんか?
あなたが恋愛も仕事も伸び悩んでいる原因は、「自己肯定感」が低いことによるのかもしれません。
自己肯定感が低い状態とは、簡単にいうと、ありのままの自分を失っていて、自分には価値がないと感じている状態です。
自己肯定感が低いと、女性からモテません。
心のブレーキが、あなたの魅力をセーブしてしまっているからです(『キング・オブ・デート』恋愛脚本家ジョニー)。
【ご報告:心から幸せにしたいと思える理想の彼女ができました】
相互依存の楽園には、僕の理想の女性がいたんです
上陸直後のビーチで、引き寄せられるように出会いました
どこまでも、どこまでも歩いていきます
あいつの中に、愛の中に pic.twitter.com/GW2m4JCJ3o
— かず@魅力発見心理コーチ (@Kazu_charmcoach) October 19, 2023
さらに、自己肯定感が低いと、お金も入ってきません。
お金とはエネルギーの循環であり、それを回すには、まず一番近くの存在である自分を愛し、その先へエネルギーを飛ばせるようにならなければならないからです(後掲参考文献『マネーセラピー』栗原弘美・鷹野江えみ子)。
上記書籍では、モテ、お金を稼ぐことについて、自己肯定感を高める方法をそれぞれ書いてくれています。
- モテについては、毎日10回自分を褒める、感謝する
- お金稼ぎについては、自分の嫌いなところを受け容れ、許し、自分の好きなところを明確にする
しかし、ここで考えなければならないのは、なぜ、そのようなことをあえてしなければならないのか、ということです。
そもそも日常生活で自分を褒めることや感謝すること、自分を好きでいることが自然にできていれば、このように後から意識的に習慣化する必要はありませんよね。
自己肯定感が「低い」ということは、「通常ではない」ということです。
現在の日本社会に、自己肯定感を下げてる「通常ではない」要因が隠れている、僕はそう踏んでいます。
そこで着目したのが、ドイツであり、今回ご紹介する↓の本です。
目からウロコのドイツ流「最強メンタル術」。
現地在住20年を超える著者が、ドイツで学んだ“ストレスフリー”生活の極意を解き明かす――。
結婚を機に、ドイツへ移住したキューリング恵美子氏は、ドイツと日本の文化・習慣・考え方の違いに触れ、毎日が驚きの連続だったという。
・誰もが自分の意見を自信を持って伝えられる
・他人に振り回されず、相手に「忖度」しない
・時間内に必ず仕事を終え、残業はしない
・上司や同僚に気がねなく、長期休暇を満喫する
・職場でも街中でも、多くの女性がノーメイク
・服装やヘアスタイルの流行を追わない
・サウナは混浴が基本で、裸を見られても平気
・ビールは注がない、気遣いの「おもてなし」はしない etc.そうしたドイツ人の生き方の背景にあるのが、「ありのままの自分」を大切にする「自己肯定感」の高さだと著者はいう。
「自分自身に満足している――日本45・1%/ドイツ81・8%」
内閣府がおこなった若者の意識に関する調査では、「自分自身に満足している」と答えた日本人は4割強で、調査対象となった7か国中で最低だった。対するドイツは、アメリカ、フランスとともに8割を超える高い数字となっている。
また、「自分には長所がある」という質問に対しても、日本人の回答はやはり調査国中で「最低」だったのに対して、ドイツ人は9割以上で「トップ」だった。
なぜドイツ人は「自己肯定感」が高いのか?
どうすれば日本人も「自分自身に満足している」と思えるようになるのか?
もっと自分に自信が持てるようにするにはどうしたらいいのか?日独比較を通じて、“最強のメンタル”を生み出すヒントを探っていく。
引用:Amazonの本書説明(青枠と太線はかずが付した)
ドイツは子作りも経済も、日本より順調です!まず、データで見てみましょう。
目次
数字で見る!日独の性エネルギー&勤労エネルギー
性エネルギー
あなたはモテたいですか?自分の理想のパートナーが欲しいですか?
イエスであれば、上記のような日独双方の社会構造と自己肯定感の関係を、本書において比較という切り口で知ることに大きな価値がありそうですね。
ですがその前に、本書の補足として、もう少し日独のセクシャルパワーの違いについて、数字(統計)で浮彫りにしておきましょう。
ここでみてみるのは、日独の出生率です。
「モテ」とは異性から性的に魅力的だと感じられるエネルギーがあることであり、ある人に性的エネルギーがあればあるほど、必然的にSEXに至り、ひいては出産に至るでしょう。
つまり、より子どもを産んでいる国の方が、「モテ」の要素を備えている(=モテる国民を育む環境がある)ということができそうです。
ここでみるべき統計資料は、「合計特殊出生率」です。
表引用:合計特殊出生率の推移(1980~2021年) 世界経済のネタ帳
合計特殊出生率とは、15~49歳までの既婚・未婚問わない全女性の年齢別出生率を合計したもので、簡単にいうと、女性一人あたり一生で何人子どもを産むのか、という数値です。
青線のドイツの出生数は11年に66万人まで落ち込んでいましたが、それからわずか5年で2割も増えたことになります。
世界ランキングではまだまだですが(最新2021年147位)、上昇傾向にある「出生率発展途上国」といえそうです。
対する赤線の日本は急降下中ですね(世界ランキング183位)。
では、ドイツのこのような出生率の上昇は、自己肯定感と関係があるのでしょうか?
ドイツの出生率の上昇の一番大きな要因は、「移民の増加」だとされています。
全体の出生数のうち、母親が外国人の子どもが4分の1近い18万5千人を占めています。
ドイツは2015年以降、
- 内戦が激化したシリアなどから100万人を超える難民や移民を受け入れ,
- イラクやアフガニスタンからドイツに移り住んだ母親の出生数も急増していて、
- また、ここ数年で目立つ中東からの人だけでなく、その前から労働力不足などを理由に受け入れてきたトルコ、ポーランド、ルーマニアなどの出身者の出生数も高い水準を維持してます。
こうした移民らはドイツ人よりも多くの子どもをもうける傾向があるため、出生率の上昇にもつながります。
これだけ聞くと、ドイツ人の自己肯定感は関係なさそうですね。
しかし、…
以下引用:ベビーブームに沸くドイツ 出生数は5年で2割増 日経新聞
移民や難民だけが出生数の回復した要因ではない。連邦統計庁によると、子育て支援が拡充されたこともあり、ドイツ人女性の30~37歳での出産が増えているという。
かつてドイツの家族政策は児童手当などの現金給付が中心だったが、十分な成果に結びついていないとの批判もあった。
いまでは現金給付だけでなく、託児所の増設や子育てに合わせた働き方の導入などで仕事と家庭の両立を目指しており、成果が表れはじめている。
以下引用:世界の子育て Vol.2 ドイツ編(前編)5年で出生数が2割増!ドイツで今、ベビーブームが起きている理由とは miki HOUSE
――そんな中で妊娠されたんですね?
溝口さん:はい、妊娠に関してはすごく順調だったので、特に大変なことはありませんでした。しかもドイツは医療費が基本的に無料なので、産婦人科での妊娠の診断から産んで退院するまで全くお金がかからないんですよ。
――欧米では赤ちゃんはママ・パパと別の部屋で寝かせると聞きますが、ドイツもそうですか?
溝口さん:そうですね。Vol.1で登場したオランダ在住の吉見さんと同じように、うちにも娘の部屋があって、夜の授乳がなくなった生後7~8か月からはひとりで寝かせています。夜中に目を覚まして泣いたら迎えに行って、ちょっとあやして寝なかったら、私と一緒にベッドで寝ちゃったりすることもあるんですけれど、一応「ひとりで寝てね」ということになっています。そこは日本と違いますよね。
――赤ちゃんをどんどん外に連れ出すということですが、街の人の反応はどうですか? ドイツは子どもに寛容な社会なのでしょうか?
溝口さん:ドイツは社会全体にゆとりがあります。1日きっちり8時間労働の人が多数派で休みも多いので、みんな気持ちに余裕があるからでしょうか。
街のつくりもゆったりしていて、歩道も広いのでベビーカーでのんびりお散歩もできますし、妊婦さんや子どもたちにも温かいまなざしが注がれていると感じます。
もっともドイツが、たとえば東京で働く人くらい忙しくて休みもなく、満員電車が当たり前のストレスフルな社会だったら、そんなに寛容じゃいられないと思いますけどね。――授乳はどうですか? 母乳とミルク、どちらをあげる人が多いのでしょう?
溝口さん:そこは日本と似ています。産科では母乳育児が奨励されているし、母乳をあげて足りない時はミルクで補うというママが多いのではないでしょうか。
ただ良くも悪くも個人主義でよその家庭がどういう育て方をしていようが他人は口を出さないのがドイツ流ですから、どうしても母乳でなければなんてプレッシャーを感じることはありません。――自然体なんですね。
溝口さん:自然体も自然体、カフェや公園のベンチ、バスの停留所みたいなところでも赤ちゃんにおっぱいをあげていたりとか、ドイツのママたちはかなりオープンに授乳しています。それにはちょっと驚かされましたけど(笑)。
難民の「民族性」もあるでしょうが、それが開花するための豊沃な土壌があることが前提です。
ここ最近のドイツの出生率・出生数の増加は、どうも「時間的・金銭的サポートによる余裕のある生活」や「個人が尊重されている」という政治的・社会的要因があるようです。
つまり、上記のような政治的・社会的要因→ドイツ人の自己肯定感(魅力・モテ・性的エネルギー)が高まる1→出生率が増加する、という因果経路をたどっている可能性があります
本書を読み解き、ドイツの社会構造・自己肯定感・出生率の増加の関係を探究していきましょう。
勤労エネルギー
ドイツはEUの中で群を抜く経済のパフォーマンスを示しています。
メディアや専門家の間では「ドイツ一人勝ち」、「一強他弱」などと評されるようになりました。
中には「新たに出現してきたドイツ帝国」などと、脅威論とも言える論調も見受けられます。
EU加盟28か国のうち経済規模で上位にある8か国について、2016年の経常収支を債務対GDP比で比較すると、ドイツはおよそ8%と2番目に高くなりました。
グラフ引用:かつては“欧州の病人”、今や“一人勝ち” その国は?NHK
一方、経常収支を金額で見ると…
黄色のドイツは2015年、EU全体の経常黒字のうちおよそ8割を稼ぎ出しました。
翌2016年には、前年の首位だった中国を抜いてドイツは世界最大の経常黒字国となりました。
対して、日本は‥
財政再建の新指標に「債務残高対GDP比」:研究員の眼 HUFF POST
ドイツと比較するため、2015年と2016年を見てください。ここから、日本は順調に崖を滑り落ちていますよね。
ドイツの方が元気で伸び盛りであり、これからもそんな感じがするのがわかりますね。
実際、最新の世界の経常収支対GDP比ランキング(2022年)では、ドイツがが39位、日本が52位と、日本は水を開けられています。
参考:世界の経常収支(対GDP比)ランキング 世界経済のネタ帳
また、日本の政府部門が抱える債務は世界ワースト水準となっています
政府債務の水準を名目GDP比で国際比較すると、日本は債務危機に陥ったギリシャをも上回り、200%を超えています。
参考:日本の政府債務の水準は世界一 日本生命
性的エネルギーのところで見たように、ドイツ人の労働時間は少ないようです。
にもかかわらず、なぜ、ガンガンお金を稼げているのでしょうか?
本書で述べられる「自己肯定感」と関係があるのでしょうか?
…
以上のように、ドイツでは、モテ(子作り)や経済が日本より順調だといえます。
そしてその秘訣は、本書の主題である「自己肯定感」と言う言葉の中に隠されているかもしれません。
さあ、さっそく本書を読み解いて、触ったらヤケドするほど熱々の、「ゆでたてパキパキソーセージ人間」になっていきましょう。
まず、いきなりざっくり一言で切り込みます!
「モテて金持ちになるドイツ人の心」をざっくり一言で
ドイツ人がモテてお金持ちなのは、自分をはじめとした全ての人を、あるがままで完璧な人間として尊重しているからです。
あなたが自分に対して持っているセルフイメージの通りに、人はあなたを扱います。
あなたの持っているものの見方・考え方のフレーム(観念)が、あなたの行動・ふるまいとなり、それが結果となって世界に結実し、あなたに返ってきます。
- あなたが自分に対して「理想の彼女」を受け容れるのにふさわしくないと思っているならば、それを自分の人生に招き入れることはできないのです。
- あなたが自分に対して「理想の収入」を受け容れるのにふさわしくないと思っているならば、それを自分の人生に招き入れることはできないのです。
「他人の目」や「常識」を振り切り、純粋な果汁100%の自分で願い、受け容れると決断できれば、それは実現するのです。
なぜならば、あらゆる心はその根っこで一つに繋がっているからです。
これは、理想の現実を受け容れることのできないあなたが悪いといっているのではありません。
セルフイメージは、これまでの人生経験の中で培われます。
これまでの人生の中で、あなたはありのままのあなたでいることを許されてこなかったのです。
あなたが心をオープンにしてその人を愛そうとしたのに、その人は気にかけてくれなかったのかもしれません。
あるいはそんなあなたを嘲笑して、その努力に対して罰をもって報いたのかもしれません。
しかし、あなたがそれからの人生を決めたのです。それがどんなに小さな子どもであっても。
あなたはその瞬間に、そのような屈辱から絶対に自分を守ろうと決めたのです。自分を開いて傷つきやすい状態には二度としないと心に決めたのです。
しかし、そうした場合の唯一の問題は、私たちは避けようとしているものを、まさに創造するということです。
あなたの防御はそれに対応する攻撃があるというセルフイメージです。それが、現実となって結実します。
しかし、それは幻想です。
あなた自身の人生を振り返って考えてみてください。
- 今あなたを傷つけているその人は、望んでそれをしたのでしょうか。それとも、自信のなさと恐れによってそれをしたのでしょうか。
- そもそもあなたに「最初の傷」をつけたその人は、望んでそれをしたのでしょうか。それとも、自信のなさと恐れによってそれをしたのでしょうか。
誤解に気づけば、新しい選択をすることができます。
あなたは愛されています。そして、自立した今のあなたなら、その人を助けることができます。
そのままのあなたを世界は望んでいるのです。
あなたの真実のギフト(才能)を磨いた先に、輝く真実のあなたの人生がまっています。
今までの自分のパターンやそれを生み出した環境を変えるには、それが絶対的なものではないと気づくことが第一歩です。
ドイツ人は、自分で考え、それを主張し、他者と意見交換する力を持っています。
自分で自分らしく幸せな人生を選び取る力を持っています。
- ドイツの女性はノーメイクで颯爽と街に出ますし、仕事にも出ます。
- ドイツ人は上司や仕事仲間の目を気にせずに定時で退社し、年間30日以上の有給を100%消化します。
その時間を使って何をするかというと、多くは家族や恋人と旅行にいき、しっかりお金を使い、楽しみます。 - ドイツ人は幼い頃から、自分の特性を大事にされ、自分の意志をしっかり表明するように教えられます。
たしかに、ドイツ人は恵まれているかもしれません。
しかし、あなたも同じ人間なのです。
あなたにはできることがあります。
今の環境は問題ではなく、今の、これからの、あなたの決断が問題なのです。
それが、我々が学ぶでき、ドイツ人の「強さ」です。
日本人であり日本で生まれ育った著者は、その「強さ」に大変な衝撃を受けたようですよ…
著者(キューリング恵美子)について
他人の目ばかりを気にしていた20代
「阿吽の呼吸で場の空気を読み、他者への心配りを第一に考え、気遣いを忘れず、決して出過ぎたマネをしない。
そうすれば、誰にも嫌われないはず…」
著者は、大学卒業後、靴メーカ―の東京本社の営業部に就職しました。
ちょうどその頃(1986年)、男女雇用機会均等法が施行されたこともあって、著者はその頃珍しかった女性外務員として採用されたのです。
しかし、期待に胸を膨らませて入社した20代の著者を待ち受けていたのは、「機会の均等」とはかけ離れた現実でした。
内勤の女性社員と同じように制服を着て、お茶番などの業務をしつつ、外務の仕事がある日は、男性と同じように取引先へと営業に向かっていました。
すると、女性社員からはしだいに距離を置かれ、著者だけが浮いた存在になっていきました。
男性社員からは「女に何ができるんだ」と子ども扱いされ、モヤモヤした違和感を覚えていましたが、それを表明できるような「空気」は会社にはありませんでした。
そんな毎日の中、著者が選択した態度は、「他人に嫌われないように」「みんなとうまくやれるように」専念すること。
しかし、そんな働き方をしていると、しだいに何のために働いているのかわからなくなり、心と体は疲れ果ててしまったのです。
逃げるように退職しましたが、その後も残業続きの毎日で、他人の目ばかりを気にしていました。
著者は20代を振り返って、「ただ仕事に追われて、苦しいばかりの時間を過ごしていた」「自分の楽しみや幸せを感じていた記憶はほとんどなく、他人に怯えるばかりの生活だった」と述懐します。
転機~ドイツ人男性と国際結婚~
そんな著者にも転機が訪れました。
ドイツ人男性と付き合うことになり、ドイツ企業の日本本社に転職後、国際結婚。
ドイツ語の知識はゼロのまま、友人も知人も全くいない、ドイツのミュンヘン近郊に移住することになりました。34歳のときでした。
ドイツで生活をし始めると、ドイツと日本の文化や慣習、考え方や行動の違いに触れ、毎日が驚きの連続でした。
例えばドイツでは、
- 見知らぬ人が、アジア人の著者に気軽に話しかけてくる
- 重い荷物を持っていると、必ず会談やドアの前で知らない人が助けてくれる
- 大きな声でケンカをしているように見えても、ただ話し合っているだけのことが多い
- 日曜日と祝日は、レストラン、カフェ、映画館以外は開いていない
- サウナは混浴が基本で、裸を見られても平気
- ビールは注がない、気遣いの「おもてなし」はしない
- 服装やヘアスタイルの流行を追わない
- 職場でも街中でも、多くの女性がノーメイク
などなど…
中でも著者が一番びっくりしたのが、ノーメイクの女性が多いことでした。
著者は日本で働いていた10年間、一度たりともメイクせずに出社したことはないし、普段の外出時には欠かさなかったといいます。
でも、ドイツ人女性は違っていたのです。
職場だけでなく、道行く人、近所ですれ違う人、多くのドイツ人女性は、ノーメイクで颯爽と歩いていました。その光景が、著者には不思議でならなかったのです。
「日本と違う…」そんなカルチャーショックから始めった、ドイツでの新生活。
なぜ、ドイツ人女性はマイクをしないのでしょうか?
なぜ、ドイツ人女性はメイクをしないのか?
著者は、ドイツ人女性がメイクをしない理由について、20年以上ドイツで暮らし、仕事や子育て、近所付き合い、夫の家族や友人との交流をする中で分かったといいます。
それは、ドイツ人が自己肯定感が高い、ということです。
ドイツ人は、
- 自分が好きなもの、自分にとって大切なものを知っています。
- そして、考えや主張を自信をもって伝えられる人たちです。
つまり、他人に振り回されない「自分軸」を持った人たちなのです。
参考:化粧はマナー!? ヨーロッパ人女性が化粧をしない理由 サンドラがみる女の生き方
ドイツ人は自己肯定感が高いからこそ、「メイクはしたいときにする」「メイクをしたくないときはしない」という、他人に振り回されない生き方ができているのです。
ただし、自己肯定感とは、決して「独りよがり」ではありません。
自分を尊重して大切にしているため、そのぶん、どんな相手にも平等に、相手の立場を尊重できるのです。
たとえば、アジア人の著者に対して、マンションの隣人が突然「卵ないから貸して!」とやってきたかと思えば、その翌日「おかげでいいケーキが焼けたわ」とケーキをプレゼントしてくれたとのことです。
また、スーパーで目当ての商品が見つかれなくて困っていると、「一緒に探しましょう」と声をかけてくれたり、ベビーカーをもって階段を上ろうとすると、必ずと言っていいほど助けてくれるそうです。
このように、ドイツ人は自分を大切にし、同じように価値がある他者も大切にするという信念があるため、世間体や場の空気を気にせず、自分がしたいことができるのです。
女性はデートの時、男性が店員さんやお年寄りといった「弱者」と言われる人へどう接するのかをよく見ています。
参考:
店員への態度でわかる! 別れたほうがいい彼氏の特徴4つ KOIGAKU
人の本質を見抜く!10選 気になったことは調べる!
それは、自他を大切に扱う態度、つまり自己肯定感が高いか否かを見ているのでしょうね。
モテってのは、その人の普段の在り方なのです。
上っ面のテクニックなんてお見通しです
その他、ドイツ人の自己肯定感が高いことがわかる著者の驚きのエピソードを、一部ですが本書からご紹介しましょう。
ドイツ人の自己肯定感の高さ
ドイツ人の「生き方」~自分がどうしたいかが大事~
”すっぴん”という概念はない
著者がドイツ人移住後に、ノーメイクで颯爽と通りを歩く女性に度肝を抜かれたことはお伝えしました。
彼女たちが素の自分のままでいる姿は、とてもカッコよく感じたといいます。
そこで著者は、ドイツ人の友人に、「なぜメイクをしないのか?」と聞きました。
友人の答えは、
「結婚式や特別なパーティーに行くときはきれいにしようかと思うからするけど、普段はする必要ないし…どうしてそんなこと聞くの?」と不思議そうな顔をしていたといいます。
この答えからは、ドイツ人女性の他者の評価や視線を気にせず、媚びない潔さを感じますね。
大切なのは、自分の気持ちであり、ノーメイクだろうと、自分の価値は何も変わらないことを知っているのです。
実際のところ、ドイツ語に「すっぴん」を表す言葉はないようです。
「メイクは常識」という感覚がないため、それに相対する言葉も存在しないのでしょう。
以上のように他者の目を気にしないドイツ人女性と対比しておもしろいのが、日本で最近「メンズメイク」が流行ってることでしょう。
身体的な健全性がどうしても魅力に響いてしまいがちな女性どころか、男性に「自分の素を覆う事」が広まってきているのです。
これが「自分の気持ち」にフォーカスしているものならばいいでしょうが、「女性からモテる外見にしたい」とかなら、仮に付き合えたとしても問題が生じそうです。
自分を偽る関係は長続きしません。痛いほど経験しました。
男性のメイクは、日本男子がナヨナヨもやし人間になっているとか、「イケメンイケメン」うるさい日本女子が悪いとか、そういうことではないと思います。
日本全体の空気が、そうさせているのです。
それを作るのは、過去から続く慣習であり、メディアであり、政治ですよね。
日本には、芯のある真の魅力でたたずむ、新たなリーダーが必要だと思います。
僕はそんな自分になりたいと思って学び続けていますし、それにより今の完璧なパートナーと出会えたんです(後掲参考文献『愛への帰還』『30日間で理想のパートナーを見つける方法』参照)。
僕は変わったんです。すべて自分。
成長すれば成功できます。
ガンになって気づいた~夫婦の基準「自分たちがどうしたいか」~
著者は、ドイツ人の男性と結婚して25年になりますが、そのうち15年以上、全然気づかなかったことがあるといいます。
それは、ドイツ人はパートナーの女性に、「良い妻」になることを求めていない、ということです。
著者は、ドイツ移住後も昔の日本的な「妻のあるべき姿」に疑問を感じることなく、「奥ゆかしい気遣いのできる女性」に憧れ、そうなりたいと実践してきたといいます。
毎朝家族全員の朝食を用意し、家族を送り出した後は掃除・洗濯をこなし、子どもが学校から帰宅したあとの習い事の送迎も、すべて自身でこなしていました。
夫に「良い妻」だと思ってほしかったので、気を使い、顔色を気にしながら生活していたといいます。
そのような自己犠牲的な役割を演じつつ、夫にも日本的な「理想の夫の姿」を投影し、しかもそれをあきらめていました。
当然、欲求不満がっては夫婦生活はうまくいきません。
夫との不和に悩み、無理がたたり、彼女はある日突然体から出血しました。
病院にいくと、診断結果は「ステージ3のがん」。
ドイツ人医師は、患者に対し「思いやりのある共感」などしめしません。
「自業自得」。
なんで脳梗塞になったの?ときいたら、仕事が忙しく、上司とそりが合わず怒りを押し殺しており、そのストレスだと思うとのことでした。
彼女はもうろうとして家に帰り、バスルームでタオルを噛んで声を押さえながら猛泣きしました。
死の誘惑。
しかし、悲しみを出し尽くしたあと、彼女の中からこみ上げてきたのは、子どもたちのためにも「絶対に死ねない」というコミットです。
彼女は手術はもちろん、あらゆる治療を望んで、生き延びることを決めたのでした。
…
異国のドイツでの初めての手術と入院は本当につらいものでした。
自分の方こそ誰かに慰めてもらいたいのに、著者は子どもたちにも年老いた父母にも心配をかけてたくなくて、本当の病名をつたえていなかったのです。
そうしている間にも、夫との不和は続いていました。それでも、治療を継続した結果、著者は奇跡的に生き延びることができたのです。
しかし、がんを克服したにもかかわらず、著者はその後2年以上にわたって、治療の副作用の痛みと闘っていくことになります。
そして、「自分は生きていけない。生き残ったことは間違いだった。」と生きることを何度もやめようと思ったのでした。
葛藤の中、著者は自分の生きる意味や存在について、深く深く考え続けました。その過程で、次第に光が見えてきたのです。
「生まれてからずっと、私は他人の目が気になり、自分の思いや主張を閉じ込めて、まわりのことばかり優先してきた。他人からどう思われるのか恐怖で、自分は間違っているのではないかといつも不安だった。
結局のところ、私は私のものではない『他人の人生』を生きてきたんだ。」
著者は、日本からドイツに移住してからも、病気によって気づかされるまで、「他人」に縛られていたのです。
著者はこのとき、ガンを宣告した医師がいった「自業自得」の意味が分かりました。
それまで著者は、自分に必要な注意をしてくれなかった医師に、責任があると思っていました。
しかし、今は、「自己管理を怠り定期検診に行かなかった自分自身に責任があった」と自覚しているといいます。
今、ここに生きて自分が存在しているのは、自らが選んできた結果の集積です。誰かに無理強いされてここにいるのではありません。
「自分の人生」のこの瞬間を楽しくするのも、苦しくするのも、全てが自分の選択の結果なのです。
【悲劇のストーリーを書き換えろ!】ビジョン心理学セミナー「家族とリーダーシップ」体験記~中編:相互依存への船出「アカウンタビリティとは」~
自分の人生の失敗の責任を、他人がとってはくれません。
まわりを気にしながら選択したり、人の意見をきいて失敗したとしても、それを選んだのは自分です。
だからこそ、
- 自分のための
- 自分が選択した
- 自分で責任がとれる
- 自分の人生
を生きなければならない。著者は、そう気づいたのです。
著者の気づきをさらに促すように、夫から衝撃の言葉が加えられました。
「俺はベビーシッターを雇ったわけじゃない」
そう言い放ったのは、二人の子どもが大きくなり手がかからなくなってからでした。
それまで静かにしていた夫が、「良い妻」「良い母」になろうと努めてきたそれまでの著者のやり方を否定してきたのです。
「2人でいられる時間を大切にしたい」「子どもがいても、ロマンチックな関係でいたい」と。
日本の夫婦の多くは、子どもが生まれると、恋人同士から「お父さん」「お母さん」という役割に変わってしまいます。
しかし、ドイツでは、子どもが生まれてからも恋人同士のように二人の時間を楽しみます。たとえ乳幼児がいても、ベビーシッターをお願いしてまで、二人の時間を作るのです。
そして、ドイツでは常識として刷り込まれた「夫像・妻像」を目指すのではなく、「自分たちはどうしたいか」を基準に、自分たちの好きなやり方で、夫婦関係や親子関係を築いていきます。
そのためには、お互いに思っている気持ちや意見を交換する場を持ち、お互いにどうしたいのかを話し合わなければなりません。
もし、著者がもっと夫に「家事や育児を協力して」とストレートに伝えていたら、もっと自由でありのままの妻や母親として、苦しまずに過ごせたでしょう。
著者が夫と結婚してから15年に渡る気持ちのすれ違い、そしてガンという大病は、「~するべき」「~ねばならない」という固定観念(期待)が生み出していたのです。
期待は知らず知らずのうちに相手に対するプレッシャーとなり(コントロール)、頑張っていればいるほど、理想と現実との間にギャップが生まれ、それは大抵はずれますので、ひどい無力感に襲われる原因となります。
それは自己否定につながり、自己肯定感を著しく下げる原因となります(デットゾーン)。
「阿吽の呼吸」に期待しない
「阿吽の呼吸」「KY」という言葉に代表されるように、日本では「空気が読めない」異分子は嫌われます。
会話の中で、タイミングよく相槌がうてるように、会話にスムーズに乗っていけるように、反対意見を言わず「聞き上手」になれるように、いつもビクビクしていなければなりません。
しかし、ドイツでは会話のときに積極的に自分の話をしないと、相手はこちらの意志をくみ取って理解しようとはしてくれません。それが当たり前なので、最初からお互いに自分の意志を直球で表し話すのが普通です。
そんな日独双方の風土の違いを感じさせる、著者のエピソードがあります。
ある日、子どもの通う幼稚園で、フリーマーケットで売るための小さな人形作りのボランティアに参加したことがあります。
お母さん方と初めて顔合わせをして、まずは挨拶をしたものの、何をしているかまったくわかりません。
だから私は、ひたすら他の人をマネて作業を始めました。そうしていれば、”阿吽の呼吸”でもって、誰かが私に具体的に教えてくれると期待していたのです。
…
でも、だれも私に声をかけてはくれません。いよいよまずいな、と感じた私は、隣に座っている人に、やっとの思いで尋ねました。
「やり方を教えてくれませんか?」
彼女は目を丸くして、私にこう叱責しました。
「知らなかったのなら、なぜ、はじめに聞かなかったの!」
私は恥ずかしくて顔が赤くなり、穴が合ったら入りたい心境になりました。
引用:本書50頁
日本だったら黙っていても手を差し伸べてくれる人がいたかもしれません。
しかし、ここはドイツです。言葉に出して言わなければ、誰にも伝われないのです。
著者は、ドイツの上記のような「言葉にしない」=「存在しない」という風土に気づいて受け入れることで、「心はずっと楽になり、人生のかなりの部分の時間と労力を無駄に消費することはなくな」ったとのことです。
言葉にしないと伝わらないということは、逆にいえば、それ以上の余計な忖度や気遣いは不要だということです。
他方、日本はフランス由来の「意思主義」であり、「売るよ」「買うよ」と意思表示が合致すれば、それだけで権利が移転してしまいます。どっちがいいのか興味がある方は↓を参照して考えてみて下さい。
ドイツ人の「仕事観」~休むために働く~
労働生産性は日本1.5倍
日本では「働き方改革」が叫ばれて久しくなりましたが、以前長時間労働や過労死、ブラック企業などの労働問題は根強く残っています。
経済協力開発機構のデータ(2017年)によると、日本人の年間総労働時間は1710時間、ドイツは1356時間です。
一日の労働時間を8時間とすると、日本人は年間44日もドイツ人より働いていることになります。
これほど勤勉に働いているにもかかわらず、日本人の労働生産性(一人が一時間に生み出すGDP)は、47.5ドル(約5225円)なのに対し、ドイツ人は69.8ドル(約7678円)です。
単純比較すれば、ドイツ人は日本人の約1.5倍労働生産性があることになります。
そして、冒頭で述べたように、ドイツの債務残高の対GDP比は黒字であり、国債すりまくって自転車操業の日本よりだいぶ健全な上り調子です。
このように、ドイツ人の働き方はかなりコスパがいいことがわかります。
効率よく働いて余暇の時間ができれば、有り余るエネルギーを恋人やパートナーとの豊かな時間に充てられるでしょう。
それが、ドイツ人の性的エネルギーの高さと出生率の高さとなって現れているはずです。
なぜ、ドイツ人の働き方はこんなにもコスパがいいのか、詳しくみていきましょう。
ドイツ人はなんのために働くかを知っている
人は目的がしっかり定まっているから、それに向けて行動を最適化することができます。
では、ドイツ人は何のために働いているのか?
その答えを一言で言うと、「休暇のため」です。
著者は移住後、夫が転職したばかりなのに、すぐに1年間の「休暇取得計画」を会社に提出することが義務付けられていたことに驚いたといいます。
- そして初めての夏、7月には義祖父母の「金婚式」を祝うパーティーがあったので、そのために2週間の休暇をとりました。
- また、同じ年の11月には、週末を合わせて3週間の休暇を取得し、日本に一時帰国しました。
- ドイツに戻った後は、すぐクリスマス休暇があり、週末と合せて1週間、義父母の家に滞在しました。
しかも、ドイツでは、仕事が終わったら残業もなく、飲み会や付き合いもなく、すぐに帰宅し趣味や家族との団らんの時間を持つことができます。
そして休暇は、家族とともに、あるいは一人で行きたい場所へ旅行して過ごすのが一般的です。
ドイツ人は倹約家と言われますが、旅行に関しては当てはまらず、そこに大いにお金を費やすのです。
収入がそれほど多くない人も、キャンピングカーに家族と犬と買い込んだ食料をぶち込めば、ホテル・レストラン代0円で、好きな所に行き、好きなものを食べ、好きなことをして過ごせます。
そのようなライフスタイルを実現できる理由は、そのような法制度がしっかり整えられているからです。
ドイツには、「労働時間法」という法律があり、1日の労働時間が原則8時間と定められ、例外的に延長する場合の条件も厳しく定められています。
また、ドイツの労働安全局は、予告なく立ち入り検査を行い、企業が労働時間法に違反していないか厳しくチェックを行っています。
違反が発覚すると、経営者は1万5000ユーロ(約210万円)の罰金が科せられたり、1年間の禁固刑が科されることもあります。
そのため、経営者側は積極的に社員に残業しないように促しているのです。
さらに、ドイツには「連邦休暇法」というものもあり、企業経営者は毎年24日常の有給休暇を与えなければならないと定められています。
著者の夫は、年に30日間の有給休暇をもらい、さらに残業時間をオーバーしてしまった場合などはそれを代休に代えて、年間30日以上の有給休暇を100%消化しているといいます。
さらにさらに、ドイツでは、有給休暇を取得すると「休暇手当」がもらえます。著者の夫の会社では、30日間の有給休暇を消化すると、月額給与の半額が+して支給されるとのことです!
それと比べ、日本は‥
基本は勤続年数によって有給休暇の日数が増えていく制度であり、6年半働いてやっと上限の20日間の有給休暇がもらえます。しかも、その半分以下しか取得できていません。
では、なぜ日本ではこんなに有給が取れないのでしょうか?
そこには、
- 日本人独特の回答として、「人手不足など仕事の都合上難しい」という理由があります。
- また、「有給の取得に罪悪感がある」と答えた人は58%に及び、これは調査国中トップです。
仮に、ドイツ人が「休暇を取得したいけど人手不足だな」と思ったとしても、それは会社が考える問題であって、個人が悩むものではないと考えます。
ましてや、自分が休暇を取ることに罪悪感を抱く意味などわからないでしょう。
会社は社員が休暇を取得できる環境を作る法的な義務があります。
それに対して、ここの社員が気を遣い、休暇を取得しないという考えは起きないのです。
つまり、他人軸で生きているということです。
日本人は、会社や上司などの都合で物事を考える癖がついているから、自分の気持ちや本音を押し殺してしまうのです。
それは日本人が「悪い」と言っているのではなく、そのような「仕組み」になってしまっている、ということです。
しかし、それを放置している「責任」は国民にあるといわなければなりません。
「残業=能力が低い社員」~社長に頼まれた仕事でも断れる~
日本の会社では、今も好ましくない風潮が残っているようです。
たとえ自分の仕事が終わっていても、上司より先に帰宅しにくいですよね。
ドイツでは、残業を毎日ダラダラしている社員がいたら、その社員の評価は確実に下がります。
決められた時間内に仕事をこなすことのできない能力の低い社員だとみなされるのです。
ドイツでは、誰も上司の顔色を気にして仕事をする必要がありません。
人間関係よりも、仕事の成果がそのまま評価になります。
まわりと協力できるか、調和できるかというよりも、まずは成果、結果が重要なのです。
そのため、上司から急遽依頼された仕事があったとしても、重要度と期限を考慮して、自分の業務を優先させることがあります。
「自分の仕事に他の仕事を割り込ませない」という考え方があるのです。
そのような考え方になるのは、ドイツの企業文化は、自分に課せられている業務が明確になっていることによります。
専門性を重んじるドイツでは、学校教育で育んだ専門分野の外への就職は、ペーパー段階ではじかれてしまいますし、入社後の部署移動もありません。
対して、日本では、広く浅くなんでもこなせてしまう人が多くいます2。
ドイツ人は自分が興味をもったことをところん追求していく熱意があります。
たとえば「折り紙」に興味を持つと、日本では誰も見たことがないような斬新な折り紙を折っていたりするのです。
引用: ドイツ折り紙協会の催し物 Ikebana Notiz
ドイツ人は融通は効かないけれど、自分の好きなことや興味を持ったことに関しては追及して専門性を持ち、その能力を伸ばしていきます。
それが、コスパ最強で日本とEU諸国をぶち抜く圧倒的な結果を生み出す秘訣なのです。
必要なのは、自分がメタ化するのではなく、必要な情報をメタ化することです。
専門性を突き詰めるから、一般化できるのです。
それが本当の力です。
家族愛が生産性を生む
以上のように、ドイツでは、メリハリの利いた働き方と休暇の過ごし方ができるような、政治的仕組みを整えられています。
その背景には、ドイツ人の家族との思い出や自分の生活を楽しむために働き、お金を稼ぐという明確な目的意識があるようです。
そして、ドイツは日本よりはるかに仕事時間が短いのに生産性が高い理由は、ここに隠れています。
家族は土台です。家族の一員が飛行機だとしたら、家庭とは飛行機が安心してテイクオフするための、安全基地です。
余暇の時間をキチンと取得し楽しむことで、リフレッシュができ、家族との関係も安定し、家族ともっと楽しい時間を過ごしたいというモチベーションが湧き、その結果、時間当たりの仕事の生産性が上がるのです。
「生産」とは仕事の成果であり、結果ですから、「どれだけ会社にいるか」や「みんなと調和する」ことは無関係です。
自分の得意な専門分野で結果を出せばいいのです。
僕たち日本人は、「他人の目」に縛られて、本質を見失っているのではないでしょうか。
どうして、ドイツ人はこのような愛に溢れるシャープな目的的思考ができるのでしょうか?
それはやはり、教育に秘密があるようです。
ドイツ人の「教育法」~自主性と見守り~
子どもが「死なない」教育
日本の2020年の自殺者は、コロナ禍の影響もあり、2万1081人に及びました。
11年ぶりに増加に転じ、中でも若者の自殺者が増えているようです。
厚生労働省の「2020年版自殺対策白書」によると、15~39歳の各年代の死因の1位が自殺です。
これは、先進国(G7)の中では日本だけです。
この世代の五本の自殺死亡率(人口10万人あたりの自殺者数)は、16.3人に及びます。
対して、ドイツは7.5人です。日本の半分以下ですね。
そして、日本人の20歳未満の自殺の原因を遺書などから推定した結果、「学校問題」が最多で、続いて「健康問題」と「家庭問題」が続きます。
これは、学校及び家庭で自己肯定感が感じられない、ということを意味していると思われます。
なぜなら、自己肯定感とは、自分が生きる意味を感じられていることであり、生きる力そのものだからです。
幼少期から青年期にかけて、子どもはほとんどの時間を学校と家庭で過ごし、そこで様々なことを学び、自分を創り上げていきます。
ドイツでは、そのような子どもの一生を左右する大切な時間を、どのように過ごさせようとしているのでしょうか?
そこに、モテてバリバリ仕事できる人間になる秘密があります。
赤ちゃんとは別の部屋で寝て、「パパ」「ママ」と呼び合わない
ドイツでは子どもは赤ちゃんの時から別の部屋の別のベッドで寝るのが普通です。
赤ちゃんは雑音がない方が眠りやすく、またお母さんたちも”ゆっくりできる”という考え方があるからです。
乳児のときから別室で寝かしつけると一人で就寝する習慣が身につくので、成長してからもスムーズに、夜はベッドに行って眠ってくれるようになります。
このように、ドイツでは子どもが小さくても夫婦の時間を大切にするので、夫婦で「ママ」(お母さん)「パパ」(お父さん)と呼び合いません。
子どもが生まれる前から呼び合っている名前やニックネームで呼び合います。
日本では、子どもが生まれたとたん、子ども最優先になり、夫婦間の呼び名が変わってしまうことが多いでしょう。
それは、言うたびに呪文のように自分を役割に閉じ込め、縛ってしまっているのではないでしょうか?
ドイツ人夫婦の家では、ベビーシッターを頼むことがよくあります。
夕方に夫婦二人で出かけ、コンサートや映画や食事に行ったりと、”子ども抜き”の時間を作っているのです。お金を払ってでも、二人きりの楽しい時間を過ごすことを大切にします。
子どもが中学を卒業すると、家庭によっては、子どもは留守番させて夫婦だけで小旅行をすることもあります。
「他人に迷惑をかけるな!」と叱らない
著者によると、ドイツの家庭での子育ては、日本ほど厳しくはないそうです。
たとえば、公園で遊ばせていても、いちいちお母さんがそばにピッタリくっついていることはせず、子ども同士で自由に遊ばせます。
ひどいけがをしそうな危険なことをしない限り、ほったらかしです。
そのため、雨の日にわざと水たまりにダイブして泥んこになったり、木登りしたりと、かなりワイルドに遊んでいます。
対して、日本では、「電車やバスでは静かにしなさい」とか、「幼稚園で大騒ぎするのやめなさい」「挨拶しなさい」「礼儀た正しくしなさい」など、大人が子どもに強いるのが一般的でしょう。
しかし、そうした注意をすることで、子どもが自分で考え、自分で感じて、自分で選択して行動する機会を奪い、大人になってからからも自分の意見をもって、意思決定し、主張するのが苦手になってしまう大きな原因になっていると思われます。
子どもや大人をみて、それがしたいと思ったら、自然と身に着けていくのです。
なので、ドイツでは子どもを注意するときも、子どもの気持ちを大切にし、「他人に迷惑をかけるから」という理由で叱りません。
たとえば、歩行者は横断歩道を歩かなければならないというルールがあるのに、子どもがそうしようとしないとき、「自分がけがをしてしまうからやめなさい」というように注意をします。
他者を優先する物言いはしないのです。
そして、子どもがやったことに対して、親が良いか悪いかという判断をせずに、どうしてそのようにしたのかを聞いたり、説明させたりして、必ず子どもの気持ちを理解しようとします。
子育てはみんなでするもの
著者の夫はドイツの北部の田舎の出身で、著者夫妻が暮らし始めた南ドイツのミュンヘン近郊には、家族や親戚は誰も住んでいませんでおらず、子育てでちょっと困ったことがあったからと言って、彼らを頼れる状況ではありませんでした。
しかし、最初に住んだマンションには、同じ階に3家族が住んでいて、同じ年生まれの乳幼児がそれぞれいました。
そのため、興奮にも著者は彼女たちとすぐに「ママ友」になることができたのです。
そんなある日突然家のベルが鳴ったので出てみると、隣のシュタインさんが当時1歳半のリサちゃんを抱えて立っていました。
彼女はどうしても用事があり、すぐに出かけなければならないとのこと。
そして、おむつの入ったカバンをリサちゃんとともに著者に手渡してきたのです。
著者は、(いやいや、いくら仲良くなったからと言って、大事なお子さんを突然預かるなんて…)とびっくりしましたが、切羽詰まった様子に断ることができず、リサちゃんを預かりました。
長男と一緒に遊ばせていると、なんとなく、”あの匂い”が漂ってきたので、心の準備もなにもなく、リサちゃんのおむつを交換し、すっきりしたリサちゃんはニコニコ顔に戻ったのです。
もちろん、このような恩恵を受けるのは著者も同じであり、他のママ友から、「いつでも預かるわよ」と言ってもらい、長女を預かってもらったことが何度も合ったと言います。
このように、ドイツには、子どもを預けたり預かったりを気兼ねなくできるご近所つきありがあります。
同じ地域で暮らしている大切な子どもは、お互いが助け合いながら育てるのがごく当然だと思っているのです。
昭和時代の日本にもそんな風潮があったと思いますが、ドイツではそれが今も残っている、ということです。
以下引用:【祖父母世代編】「今と昔、どちらの子育てが大変?」約30年前に子育てをしていた世代にズバリ聞いた!多かった回答は… KUFURA
- 「昔は皆で育てるという感じがあった」(65歳・女性・ 主婦 /子39歳)
- 「むかしは周りの人が少しは、面倒を見てくれるとか温かみがあったような」(57歳・女性・主婦/子34歳・31歳)
- 「今は大変ですよ。核家族で助けてもらえないので」(74歳・男性・その他/子43歳・39歳)
- 「昔のようにおおらかに子どもを育てることができない」(61歳・女性・主婦/子34歳・24歳)
子どもの健やかな成長に大切なのは、子どもと一緒にいるお母さんが元気でいること、そして心に余裕があることです。
お母さんが元気がなくて心に余裕がないと、子どもも安心して暮らすことができません。自分の存在を否定することにも繋がってしまいます。
楽しく自然な愛情で子どもを育てるために、お父さん・お母さんは一人で抱え込まず、できる限り家族、友人、知人、ご近所さんと共にお互い様の関係を持ち、助け合うことが大切ですね。
遊びもケンカも子どもの自由!ワイルドすぎる幼稚園
日本の幼稚園は、年齢によるクラス分けがなされ、先生の目が行き届いていて、園児は安全に過ごせます。毎日カリキュラムが整えられ、一緒に歌を歌ったり、外で遊んだり、お絵かきをしたり…
また、ご飯を食べる前に手を洗うこと、きちんと挨拶をすることなど、集団生活を送るうえで必要なことを教えてもらえます。
一方、ドイツの幼稚園では、決められたカリキュラムはなく、園児を登園したら一人一人が自由に、好きなおもちゃで遊んだり、お絵かきをしたり、絵本を読んだり、外を走り回ったりします。
つまり、子どもの自主性を重んじているのです。
だからといて放任主義ではなく、先生は遠目で見守っている、という姿勢です。
時にはケンカも起きますが、そんな時は先生がケンカをした理由を双方に聞き、それぞれが自分の言葉で話すように促すのです。
また、ドイツの幼稚園では年齢による区分けがなく、年上の園児が困っている年下の園児を助けて教えてあげる、と言う場面もよく目にします。
大人の手を借りずに、子どもだけで問題を解決していくことで、自立心や自主性が育まれていきます。
自分より小さな子や弱い子と同じ時間を共有していくと、自然と人間らしい思いやりの心が芽生えてくるのです。
小学校1年生から留年がある
ドイツで小学校に入学するには、「入学適正試験」をうけなければなりません。
これは、小児科医が発達状態をみるもので、入学して勉強する環境に対応できるのか、身体的・精神的側面を両方チェックするものです。
もし小学校に行くのが早いと診断された場合、授業時間が短く少人数制の「入学準備学校」を勧められます。
この検査によって入学が1年遅れたとしても、保護者の受け止め方は、決してネガティブではありません。むしろ、早く入学して授業についていけないよりは、準備が整ったタイミングで入学する方がよいと考えます。
そのため、ドイツの小学校の入学時に年齢が上の生徒がいることは珍しくありません。
ドイツでは、子ども一人一人の発達状態や学習テンポを重視しているのです。
ですから、入学した後も、年2回出る成績表の結果により、なんと小学校1年生から留年があります。
その逆で、授業が簡単すぎると判断された場合は、期の途中でも飛び級となる場合があります。
10歳時の成績で人生の進路がほぼ決まる
引用:世界が認めるスペシャリストを育てる ドイツのマイスター制度 ドイツニュースダイジェスト
小学校の4年間を終えると、その最終成績により進路は3つに別れます。
- 基幹学校…日本の中学校にあたる。卒業後は職業訓練を受けて働く
- 実科学校…卒業後、職業専門学校などを経て、専門職になるためのコース
- ギムナジウム…大学進学を目指すコース
つまり、10歳の時点で、人生の進路が決まってしまうのです。
途中で進路を変更するには、かなりの努力を必要とします。
あまりに小さいうちに進路が決まってしまうのは、いかがなものなのでしょうか?著者もそう疑問を持ったと言います。
しかし、勉強が得意な子もいれば苦手な子もいるし、誰もが同じレベルで同じものを勉強しなければならないというプレッシャーを受け続けることの方が、当事者である子供にとって苦しいことなのかもしれません。
勉強が苦手でも、絵が上手だったり、手先が器用だったり、人を笑わせるのが得意だったり、動物が好きだったり、コツコツやる作業が好きだったり、困っている人を助けてあげていたり…
子どもたちには、必ず個性があります。
子どもたちが自分の長所を伸ばしていくことこそ、精神的負担を減らし、のびのびとした成長とありのままの自分の肯定ができるのではないでしょうか。
実際、内閣府の「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」(2018年)によると、「あなたは学校生活に満足していますか」という問いに、「満足」と答えた日本人は7か国中最下位、ドイツは1位です。
プレゼンこそドイツ教育の要
今、日本でも徐々にですがプレゼンは大学の講義(ゼミ)、果ては小中学校の教育現場に至るまで行われるようになっています。
プレゼン力とは、自分で考え、それを主張し、意見交換する力です。
今、世界では、すなわちプレゼン力が求められています。
プレゼン教育の重要性が広く認識されるようになった背景には、主に3つのポイントが考えられます。日本社会でもグローバルスタンダードが広く意識されるようになったこと、ビジネスにおける論理的な説明能力の必要性が増したこと、そしてプレゼン力が体系的な教育や経験で身に付くと意識されるようになったことの3点です。
①まずグローバル社会では、暗黙的な理解を求める日本人的なやり方が通用しません。何度も相手と打ち合わせを行って仲良くなり、人間関係や情に訴える作戦で商品を売り込むことは難しいでしょう。世界(特にアメリカ)ではプレゼン教育やスピーチ教育の機会が数多く設けられており、当たり前のようにプレゼンに慣れ親しんでいます。グローバル社会での活躍を意識するなら、語学力に加えてプレゼン力の養成が欠かせません。
②また日本の内外を問わず、ビジネスシーンで論理的な説明能力の必要性が増したと考えられます。明解なメッセージを分かりやすく相手に伝えることこそ、プロジェクトを進めたり、要求をのませたり、商品を売り込んだりするために最も必要な能力です。そのためにも、簡潔かつ理解しやすい資料を作成してメッセージを伝えるプレゼン力が必要となるのです。
③さらに、プレゼン力の身に付け方に対する意識が変わりました。かつてプレゼンの方法論を体系的に身に付ける機会はほとんどなかったため、必要に迫られたビジネスパーソンが上司や先輩などのやり方をまねることしかできませんでした。
そのため、プレゼンの質は生得的なセンス次第であり、教えたり学んだりしにくいと考えられていたのです。最近ではプレゼンが日本でも定着してきたことから、プレゼンのやり方を記載した書籍やインターネット記事も増え、プレゼン力は学べる・教えられるという意識が定着してきたように感じられます。以上3点の理由により、日本でもプレゼン教育の重要性が増していると考えられます。子供の頃にプレゼンの基本的なやり方を学んでしまえば、その後の教育課程や仕事、そしてプライベートで一生役立つスキルになることでしょう。
…
子供たちがプレゼン教育を受けるメリットとして、当然将来の勉強や仕事などで役に立つことが挙げられます。しかし、それ以外にも「論理的思考力」「人前で話せる度胸」「コミュニケーション能力」と、身に付く能力があることを理解しておきたいところです。
引用:プレゼン教育の重要性とは?グローバルで輝ける子供に育てるために WONDER SCHOOL
また、「モテ」においても、自分の意見をしっかりいえることが大事です。
以下引用:そりゃ、好きになるわ。「雰囲気でモテる男性」の特徴5つ モデルプレス
◇(5)周りに流されない自分の軸を持っている
どんな状況においても、周りに流されず、自分の意見をはっきり言える。そんな芯の強さも、モテる雰囲気を持つ男性に見られる特徴であるといえます。
自分の信念や生き方など軸がしっかりしているからこそ、周りの目を気にすることなく、信じた道を進める。そんな頼りがいある一面が、女性を惹きつけることにもつながっているのです。
前述したように、ドイツの幼稚園では、先生は遊んでいる子どもたちを遠くから見守り、細かいことまで声掛けはしません。
それにより、ドイツの子どもは小さい頃から受け身ではなく、自分で考え、それを主張し、意見交換する力がついていきます。
その土台があって、さらに、プレゼンの時間がふんだんに設けられています。
幼児教育でも、月曜に「週末に何をやったか」をみんなで話していく時間が設けらえていて、家族でどこへ出かけた、おばあちゃんの家にいったなど沢山話せる子もいれば、まったく話さない子もいます。
しかし、これを3年間繰り返すと、小学生になったころには、多くの子どもが、自分の言葉で主張できるようになります。
小学校に上がってからも、プレゼンテーションの時間があり、先生がテーマを決め、その中から自分が好きなテーマを選び、自分で調べ、考え、後日その成果を発表し合います。
「自分で選べる」ことで、発表のモチベーションはグンと上がります。
そして、発表を聞く側の生徒も、発表後の意見交換に備えて真剣に聞き、メモをとり、率先して発表の良かった点を話し、自分の感想を述べ、質問しています。
ギムナジウムでも、プレゼンの課題があります。
ドイツの教育方針では、発言すればするほど評価が上がるようになっており、他方、発言できない人間は「弱い人間」と決めつけられてしまいます。
ギムナジウムでのプレゼンでは、限られた時間の中でいかに他の生徒にわかりやすく納得してもらえる主張をすることができるのか、しっかり準備しておかねばなりません。
そうしないと、その後の反対意見に対応し、説得することができなくなってしまうからです。
主張をしていくこと、相手の意見に左右されないことなど、繰り返し練習していけば、当然力がついてきて、それは自己肯定感を高めることに繋がります。
精神的に強くなり、人の意見を鵜呑みにすることはありません。
こうして社会人となったドイツ人は、世界のいかなる場や会議でも、物怖じすることなく堂々と自信を持って意見を主張することができます。
このように、プレゼンは、ドイツの教育の要になっています。
ドイツの学校は金曜日に宿題を出さない
ここでも、メリハリが効いています。
ドイツの学校は金曜日に宿題を出しません。そして、週明けの月曜にはテストがないことになっています。
そして、親が働いている職場もそんな感じなので、週末は子どもとの時間を豊富にもてます。
サッカーをやる子は土日にゲームが行われるので、家族ぐるみで応援です。
週末に何も予定がなければ、サイクリングやハイキング、散歩、湖へのドライブなどにでかけます。
そして、その中では家族との対話が行われ、子どもは培ったプレゼン力を家族に対して披露し実践します。
そのような家族との豊かな時間を満喫するため、家事や育児で大変なときは、家事を外注します。
時間に追われ、ストレスを抱えたまま育児をするのは、子どもにも悪い影響が及びます。
そのような罪悪感を与えてしまうのです。
それを避けるためにも、両親はできるだけ子どもと触れ合う時間をとって、子どもの話しに真摯に耳を傾け、「あなたの事を大事にしている」ことを態度で伝えなければなりません。
家族みんなが誰も犠牲にならないからこそ、子どもも安心して、のびのびと成長していけるのです。
ではまとめとして、自己肯定感について定義しておきましょう。
自己肯定感とは何か
自己肯定感という言葉は、もともとは立命館大名誉教授で臨床心理学者の高垣忠一郎氏が、没個性化が進んでいた日本の子どもたちの状況を説明する際の用語として使い始めたものです。
現在、研究者によってさまざまな定義がされていますが、『自己肯定感の教科書』(中島輝 著)によれば、自己肯定感について考えるとき、次の「6つの感覚」がキーワードとされています。
- 自尊感情…自分には価値があるという感覚
- 自己受容感…ありのままの自分を認める感覚
- 自己効力感…自分にはできるという感覚
- 自己信頼感…自分を信じられる感覚
- 自己決定感…自分で決定できるという感覚
- 自己有用感…自分は何かの役に立っているという感覚
これらの6つの感覚は、どれも影響を及ぼし合っていて、それぞれの感覚がバランスよく充実していることが、「自己肯定感が高い」ということに繋がります。
これらと以上までの説明を踏まえると、「自己肯定感が高い」状態とは自分をはじめとした全ての人を、あるがままで完璧な人間として尊重している状態といえるでしょう。
自己肯定感が高いと、そのような自分にふさわしい理想の状態を罪悪感なく受け容れることができるで、「理想の彼女」や「理想の収入」が手に入るのです。
そして、ここまで読んでくれたあなたには、
- 日本人は自己肯定感は低いこと、それによりモテにくく金持ちになりにくいこと、日本はそうならざるを得ない環境であり法制度であること、
- 対して、ドイツ人は自己肯定感が高いこと、それはモテて金持ちになりやすいこと、ドイツはそのような環境や雰囲気を法制度でマネジメントしていること
をわかってもらえたと思います。
- 日本では、小さい頃から「礼儀正しくしなさい」「人に迷惑をかけないようにしなさい」「相手に思いやりを持ちましょう」と教え込まれます。
- 我慢や忍耐を美徳としたり、「阿吽の呼吸」「KY」という言葉に現れるように、個性を出すよりみんなと調和することが重視されたりしています。
- 競争社会において常に人と比べられる状況にもさらされています。
上から抑え込むような日本のトップダウンの躾けは、子どもを不安にし、自信を持ちにくくさせるので、必然的に自己肯定感が低くなります。
そして、それはそのまま、大人の自己肯定感の低さにつながっているのです。
もしあなたが仕事や子育てや人生に疲れているなら、かつての著者のように、上記のような刷り込みに気づかずに、漠然とした生きづらさを感じているのではないでしょうか。
ですが、本記事・本書にてドイツとの比較でそれに気づいたことが大事です。
自分の今までの習慣が絶対的なものではないという気づきさええられれば、少しずつでも、本当の自分の気持ちや感情を肯定できるようになっていくはずです。
そうすると、次のステップ「新しい選択」ができるようになります。
日本にいて自己肯定感を高めるにはどうすればいいのか
本書ではそんなあなたに向け、著者が20年以上ドイツに在住し、身をもって学んだ「生き方のコツ」がシェアされていています。
まとめとして、最後にそれをお伝えしましょう。
- 自分のために生き、そのままの自分を受け容れて、自分を大切にする
- 自分に自信を持ち、自分の意見をしっかりと持つ
- 自分が居心地よく、楽しく過ごせるように心がける
- 仕事、お金より自分や家族の時間を優先する
- 他人と自分を比べない
あなたが、ドイツ人の「生き方のコツ」を自分のものにできれば、自然と自己肯定感は高くなるでしょう。
そうすれば、今の疲れや苦しみから逃れられ、きっと他人に振り回されず、あなたとその人生はもっと輝くでしょう。
本記事で紹介できた本書の内容は一部です。本書ではまだまだ、例えば以下のようなことに言及されています。
- お客様は神様!?違う!「〇〇〇〇」だ!
- 「なぜ体を隠す必要がある?」老若男女まじりあうサウナ
- 最高!上司にタメ口で楯突いてOKだと?
- 日本にいながら有休を100%取得する画期的な方法「休暇〇〇」を作る
- ドイツの誕生日パーティーは子どもが企画する?常識崩壊のそのバリエーションとは?
- 優しさは無限大!ドイツでは庭の木を勝手に切れない!?
あなたが本書を手に取って熟読すれば、気づきが深まり、ドイツ人みたいな、朝に屹立するアレみたいな、ゆでたてパキパキソーセージ人間になることができるようになるでしょう。
さらに本書の内容を掘り下げたい熱意あふれるモテ男のあなたは、以下の参考文献・映画・リンク先に飛び込むことで、その成長速度を加速させることができるでしょう。
その他参考文献・映画・リンク
映画『ハンナ・アーレント』
『ハンナ・アーレント』(独: Hannah Arendt)は、2012年のドイツ・ルクセンブルク・フランス合作の伝記ドラマ映画。ドイツ系ユダヤ人の哲学者であり政治理論家であったハンナ・アーレントを描いている
ストーリー
哲学者ハンナ・アーレントはかつてドイツに生まれ育ち、今でも仲間との会話はドイツ語で行うほどであるが、ナチスの政権獲得とともにフランスに亡命、親独のヴィシー政権によって抑留され、間一髪で脱走、米国に亡命した過去を持っていた。現在はニューヨークで大学教授として、最愛の夫ハインリッヒ、友人で作家のメアリー・マッカーシーらと穏やかな日を送っていた。
1960年ブエノスアイレスで亡命生活を送っていたナチ高官のアイヒマンがモサドによって誘拐され、エルサレムで裁判を受けることとなり、ハンナは「ニューヨーカー」誌の特派員として、裁判を傍聴することを志願する。
自らの過去と向き合う苦痛を耐えてまで傍聴した裁判であったが、被告アイヒマンの大量殺人を指揮したとは思えぬ凡庸さに当惑する。
一方で裁判での証言から、当時のユダヤ人社会の指導者たちが、消極的にではあるがナチの政策に協力していたことまで明らかになってゆく。
帰国したハンナは、膨大な裁判資料と向き合いながら、鬼畜のようなナチ高官と思われていたアイヒマンは、自らの役職を忠実に果たすことを自らに課していたに過ぎない小役人であること、一方でユダヤ人社会でも抵抗をあきらめたことで被害を拡大したこと、アイヒマンの行為は非難されるべきだが、そもそもアイヒマンを裁く刑法的な根拠は存在しないこと等をニューヨーカーの連載記事として掲載する。
記事はユダヤ人社会の感情的な反発を招き、論文を読んだことすらないものまで「ナチスを擁護するものだ」と激烈な批判を寄せ、ハンナは大学から辞職勧告まで受ける。誤解を解き、自説を明らかにするため、ハンナは特別講義を行う。
「アイヒマンは、ただ命令に従っただけだと弁明した。彼は、考えることをせず、ただ忠実に命令を実行した。そこには動機も善悪もない。思考をやめたとき、人間はいとも簡単に残虐な行為を行う。思考をやめたものは人間であることを拒絶したものだ。
私が望むのは考えることで人間が強くなることだ」講義は学生たちの熱狂的な支持を得るが、一方で、古い友人たち(特にハンス・ヨナス)は、それでも彼女に背を向け、教室を後にするのだった。
引用:ハンナ・アーレント (映画)wiki
人間の行為はなにゆえ非難されるのか?
法律(命令)に背いているのならそれは明確ですが、アイヒマンは忠実にナチにより定められた法律に則って行動したのです。
だからといって、大量虐殺への加担行為が真っ白だというのも、抵抗を感じますよね。
ハンナが辿り着いた答えは、「人間性」の放棄です。
ハンナがいう人間性とは、以下の2つを要素としているようです。
参考:哲学者ハンナ・アーレントの名言に見る「思考し続ける大切さ」:あなたと隣り合わせの「凡庸なる悪」:UーNOTE
- 考え続けること
- 人間同士が互いに異なった個性をもつ人間である事を認めあうこと
アイヒマンは、「ナチの法律」に忠実に「反応」することで考えることを放棄し、それによりユダヤ人という存在を否定したのです。
これが、ハンナが提示した、アイヒマンの帰責根拠となる「人間性の放棄」です。
このような規範は、ホロコーストの中でナチに服従したユダヤ人指導者をも補足するものであったため、ハンナは、「同胞」であるはずのユダヤ人から非難・迫害を受けることになります。
しかし、彼女は折れませんでした。
なぜでしょうか?
それは、そのような圧力に屈して自説を曲げることこそ、人間性を放棄することに他ならないからです。
彼女は自分の信念を貫き、「人間」として生涯を終えました。
ハンナは言います。
私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状態にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬよう。
強い人間…
まるで本書で示したドイツ国民のようですね。
真実はいつも一つ。そこに、国境も人種も、加害者も被害者もないのです。
彼女が貫いた「選択の自由」(レスポンシビリティ)は、全ての恐れを駆逐します。
そして、強い人間と、強い人間が創り出す人生は、美しいんです。
↓ラストシーンの、彼女の演説、かっこよすぎです!
『「好きなこと」だけして生きていく』(心屋仁之助)
「好きなことだけして生きていく」
そう言い放ち、素人のくせに大舞台でギターを弾いて、歌を歌うリサイタルをやってのける。
彼は、来てくれたお客さんを楽しませるためにそれをしているのではありません。
自分が楽しみ、自分が幸せに生きるために、まるで福山雅治のコンサートみたいな本格的なステージを作ってもらって、勝手に歌って気持ちよくなっているのです。
それが、心理カウンセラー、心屋仁之助その人です(今はカウンセラーは卒業して音楽活動にフルコミしてるみたいです↓自由w)。
引用:心屋
彼が「したい」というと、なぜか周りの人が助けてくれ、お金も入ってくるといいます。
にわかに信じがたいですが、それを本人と彼のメソッドを学んだ方々が実現してしまうから、「心屋マジック」なのです。
もっとも、彼は最初からこんな「能天気マジシャンおやじ」ではありませんでした。
佐川急便にいた彼は、早朝から夜遅くまで、文字通り身を粉にして働きました。
しかし、評価されない、恵まれない、楽しくない…不平不満の塊でした。
そしてそんな自分を「車好きだから」とごまかして、頑張っていたのです。
会社から脱出して心理カウンセラーになっても、また頑張ってしまい、お客さんのために京都から東京まで出向いたり、セミナーの受講料を安く設定してみたり…
しかし、人は来てくれませんでした。
なぜなら、それは「自分には価値がない」と公言しているようなものだからです。
人は、自分が思っているように自分を扱うのです。
自分に価値がないというのは、あなたが「そう信じている」からにすぎません。
僕たちはみんな素粒子でできています。あの子も、あの人も、あの嫌なアイツも、そして神様も、素粒子でできているのです。
あなたは神様です。それを思い出すか否かは、完全にあなたの選択に任されています。
心屋は「自分には価値がある」と信じることを選択しました。
「自分には、才能も、徳も、魅力もある!」
そして、死ぬほど怖かったですが、「セミナー受けたかったら京都に来い!」というスタンスで、料金もグイっと引き上げました。
すると、なんということでしょう!彼の周りには人とお金が集まってきたのです。
頑張らなくていい。人に任せていい。
頑張って自分を大きく見せようとする人と、自然体で楽しんでいる人だったら、あなたはどちらに魅力を感じますか?
後者ではないでしょうか。
自分がつらいと思うことが罰だとすれば、それは好きなことをしていないときにやってくるはずです。
そうは言われても、あなたは「好きなことをして生きていく」のが怖いのではないでしょうか?
心屋もそこは正直です。
「好きなことをして生きていくには、一番好きじゃないことをする必要がある」
これはどういう事でしょうか?
誰だって「好きなことして生きていきたい」と思っているはずです。
しかし、それができている人とできていない人に別れるのは、なぜでしょうか?
それは、目の前の「嫌われる」という一番大きな問題を乗り越えられないからです。
その壁の手前で、「これでいいや」って我慢して生きているからです。
好きなことをしていると、批判や非難や不安定さもやってきます。
窓を開ければ、さややかな風とともに、虫も入ってくるのと同じです。
美味しいフランス料理を食べれば、ウンコが出るのと同じです。
この虫やウンコが何かと言えば、「好きなことしやがって」という妬みです。
しかし、豊かさを自分に招き入れるには、「嫌な虫もこい!」と心の窓を全開にし、たとえ清純派アイドルであっても「うんこ来い!」と言う覚悟が必要なのです。
本記事で述べたように、日本はもしかしたら、「虫」や「うんこ」が多いかもしれません。
だけど、だからこそ、高らかに歌うのです。
大丈夫だ…大丈夫だ…
怒られても大丈夫だ…失敗しても大丈夫だ…
絶望しても大丈夫だ…不安なままでも大丈夫だ…
志村けんではないけど大丈夫だ…宗教みたいだけど大丈夫だ…
なんなら、死んでも大丈夫だ…
俺に出会ったのだから…
『そうだったんだ!!心理的安全性』(監修:山口裕之)
本記事で紹介したように、個人が自分の意見をしっかり持ち、しっかりプレゼンできるようになることが、自分の専門性・思考力・コミュニケーション能力を高め、国際社会で通用する「強い人間」になるために必要です。
なぜ、世界でそのような人材が求められるようになったかというと、現代は「VUCA」の時代と言われ、環境がめまぐるしく変化し、予測することが難しい時代だからです。
- Volatility(変動性)…IT技術の急速な進歩により、社会やビジネスの仕組み、消費者のニーズなどが急速に変化している
- Uncertainty(不確実性)…地球温暖化にともなう気候変動、新型コロナウイルスによるパンデミック、物価上昇など不確実な要素が増えている
- Complexity(複雑性)…グローバル化により経済が複雑化しており、SDGsやダイバーシティなどへの国際社会共通の目標への対応も求められる
- Ambiguiy(曖昧性)…SNSの普及などの情報化の進展により人々の価値観が多様化し、「正解」を絞り込むのが難しくなっている
このような時代における問題解決において重要なのは、それをキャッチできる懐の深さ、すなわち「多様性」を確保することです。
googleが2012年から4年間に渡って、生産性の高いチームを作る方法を見つけることを目的として180ものチームを分析し調査・研究を行った「プロジェクト・アリストテレス」というものがありました。
そこで導かれたのは、生産性が高いチームの特徴は、「チームに突出した優秀なメンバーがいる」ことではなく、「チームメンバー同士がいかに協力し合うか」だったのです。
したがって、メンバー一人一人の率直な意見は、このようなカオスな時代を生き残るために欠かすことのできない武器だといえます。
しかし、日本の職場では、自分の意見を発信すると、
- 無知だと思われる
- 無能だと思われる
- ネガティブだと思われる
- 邪魔をする人だと思われる
と自分の評価が下がることに委縮して、意見を飲み込んでしまうことが多く見受けられます。
これが、「恐れのあるチーム」であり、多様性が確保できないばかりではなく、個人の自己肯定感も低下し、生産性は上がりません。
心理的安全性が、チームとしての意思決定の質を高め、個人のやる気を引き出し、生産性を高める最大の要因なのです。
「恐れのあるチーム」と反対の概念が、「心理的安全性のあるチーム」です。
心理的安全性とは、「このチームの中では、誰もが気兼ねなく自分の意見を発信でき、話し合えるという確信を皆で共有している状態」と定義されます。
それは、メンバー各人が、自分の発言が組織の変革を目指したものであれば叱責や非難の対象とならないという信念を持っている状態です。
「安全性」ときくと、ただダラダラできる「快適な環境」をイメージしてしまいがちですが、そうではありません。
心理的安全性は、目的・目標設定とそこに向けた相互協力による果敢なチャレンジを実現するための、「挑戦できる環境」を作るための概念なのです。
心理的安全性を高める基本要素として、以下の4つが挙げられます。
- 透明性…人は不確実で不透明なものに不安を感じる。メンバーには情報をオープンにし、守るべきルールを明確に定める必要がある。
- 尊重…人は尊重されていないと感じると居場所がないと感じ、発言も控えるようになる。相手の意見は宝物なのだと認識すべきである。
- 主体性…人は「押し付け」に抵抗を覚える。チームとしての意思決定にあたっては、あくまで自らの選択なのだと認識してもらうよう、プロセスを組むべきである。
- 公平性…率直な発言を促すには、チーム内の公平性・平等性を確保する必要がある。なぜなら、人は不公平に扱われるとモチベーションが下がるからである。
本書では、以上のような心理的安全性を高める4つの要素それぞれを実現するための具体的な方法が、ふんだんに述べられています。
その中で僕がもっとも重要なポイントだと思ったことがあります。
それは、メンバー全員が、自分と反対の意見や「違和感」を覚える意見が出たときに、それが人格攻撃ではなくチームやその構成員の向上を目的とするものである場合には、相手の話を途中で遮ったり否定したりせず、最後まで受け入れる姿勢でいることです。
それはイエスマンになれということではありません。
それを検証のための俎上にあげるのです。
自分の”枠”を揺るがせる意見に対して、「なぜそう思うのか」「なぜそれが大事なのか」を質問し、理由を問うのです。
問題を引き起こしているのは、いつだって、今の、自分の固定観念です。いくら相手にも責任があるからといって、あなたには学ぶべきことがあります。
これが、雑談上手(=積極的に動き、雑談の場を創り上げていくリーダー)が持っている「受け止め力」です。
相手の勇気ある発言に「ありがとう」と敬意を払い、自分を省みる。そういう姿勢が自らのレベルアップとチームの心理的安全性を高めます。
それを繰り返すことで、チームメンバーあるいはチーム自体の固定観念がどんどん融解して再構築され、この時代の荒波に変幻自在に対応する魔法の船と化すのです。
本書ではこの他、
- 風通しの良い職場環境とミーティングを行うための超具体的な方法
- あなたのチームは!?心理的安全性があるチームの特徴4選
- 心理的安全性があるチームにするためのリーダーの役割「人の〇〇を高める」
- メンバーの安全基地を作る「セキュアベース型リーダーシップ」にとって必要な2つの軸と10の行動
- アイスブレイク2の重要性とその具体的な方法
- 相手のの意見を受け容れつつ自分の意見もしっかり主張する「アサーティブ」なコミュニケーションとは?
30分ですばやく全体像をつかめし、イラスト満載で読みやすく、仕事でリーダー的地位にいる人におすすめです。
また、心理的安全性は、男女のパートナーシップにおいて率直に意見を言い合える雰囲気を作り出し、コミュニケーション不足による別れを回避し、関係を深めるのに役立ちます(告白や結婚などのコミットメントは、この心理的安全性を高める意味があると思っています)。
全ての恋する人たちにとっても重要な概念ですので、上記のようなとっつきやすい特徴を持つ本書は、導入としておススメです。
『失敗の本質』(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎)
モンゴル平原に、かつてノモンハンと言われた場所があります。
手の甲に浮き出る静脈のように今もなお残された、全長100キロメートルにもわたる塹壕の跡…
その緑のキャンパスの上に風雨に削られながらも真っ白く乾き、点々と光る人間の骨…
ここノモンハンは、関東軍主力の8割を失う陸軍最大の失策として語り継がれている、「ノモンハン事件」が起こった場所です。
ノモンハン事件(ノモンハンじけん)は、1939年5月から同年9月にかけて、満洲国とモンゴル人民共和国の間の国境線を巡って発生した紛争。
1930年代に、満洲国、後に日本(大日本帝国)と、満洲国と国境を接するモンゴルを衛星国にしていたソビエト連邦の間で断続的に発生した日ソ国境紛争(満蒙国境紛争)の一つ。
第一次(1939年5月 – 6月)と第二次(同年7月 – 9月)の二期に分かれる。
満洲国とモンゴル人民共和国の国境紛争から、両国の後ろ盾となった大日本帝国陸軍とソビエト赤軍の武力衝突に発展し[、一連の日ソ国境紛争の中でも最大規模の軍事衝突となった。引用:wiki
「やってみなければわからない。なんとかなる」。
楽天主義に支えられていた日本軍に対して、ソ連軍は物量で圧倒し、「動く鉄の家」のようなソ連軍の重戦車に対し、三八式歩兵銃や火炎瓶や対戦車地雷の肉弾突撃などで挑む日本兵のさまは、まさに「無謀」という言葉にふさわしいものでした。
ここで早くも、日本軍の、
- 過度な精神主義
- 上層部の曖昧な意思下達
- 下部組織の独断専行
といった組織的欠陥があらわになったのですが、これは改められることなく、その2年後に始まった大東亜戦争2にも引き継がれます。
そして、「生きて虜囚の辱めを受けず」の精神は、軍属だけでなく集団自決に象徴的に現れるように一般国民をも侵していき、軍民合せ約310万人もの死傷者を生み出すこととなりました3。
このような悲惨な失敗を味わった日本が、戦後、なぜ負けたのかを自問するのは、いわば当然です。
実際、開戦前の状況についての真相が明らかになるにつれ、国力に大差ある国々を相手とした大東亜戦争を「負けるべき戦争」とし、日本は「なぜ、負けるべき戦争に訴えたのか」という問いを立て、これに歴史学や文明史・精神史の立場からさまざまな回答・説明が与えられました2。
しかし、本書はこのような戦争発生原因の究明を目的とするものではなく、開戦した後の日本軍の「戦い方」「負け方」を研究対象に絞るものです。
そして、日本軍の大東亜戦争における諸作戦の失敗を、現代の組織にとっての教訓、あるいは反面教師として活用しようとする、一歩進んだ画期的な書です。
「戦争するか否か」という選択において「開戦」という非合理な決定がされていたとしても、その中でそれなりの戦い方はできるのです。
しかし、「大東亜戦争での日本軍は、どうひいきめに見ても、すぐれた戦い方をしたとはいえません」2。
暗黒のベールに包まれた「お上」「天さん」の判断の合理性を問うよりも、多くの資料が残り分析可能な「戦い方」を研究対象とした方が、犠牲者の悲しみを、現代のわれわれの滋養へと転化することができるでしょう。
本書は、上記のような方針のもと、大東亜戦争の中から、
- ノモンハン事件
- ミッドウェー海戦
- ガダルカナル作戦
- インパール作戦
- レイテ開戦
- 沖縄戦
という主要な戦闘をピックアップし、政治外交・戦史・軍事史研究者2に組織論研究者2をぶち込んでミックスし創造されたものです。
本書がわれわれに提供する価値は、日本軍のいくたの将兵の鮮血から抽出された、黄金色に輝く「成功」という名のエッセンス・オイルです。
参考:組織の定義とは?目標や目的、良い組織を作るポイントを詳しく紹介します Resiiy
その一端をご紹介しようとする本記事では、上記のような大東亜戦争における日本軍の一連の失敗の嚆矢となっていて象徴的な、「ノモンハン事件」を取り上げることにしました。
その現実について、貴重な生存者の肉声が受け継がれています↓。
本来風の音しか聞こえないはずのノモンハンの草原には、唸るようなエンジンの爆音と、空気を切り裂く大小の破裂音が轟き渡っています。
あなたにはわかります。それはハッキリと「私」を殺すことを意図して、迫ってきているのです
あなたは小銃を手にして青い草の中に伏せています。姿をさらせば命の保証はありません。
しかし、背後からの命令と仲間が創り出す押し出すような見えない流れは、私をそこに留まらせることを許しはくれません。
私と彼らの胸には、捕虜になった際には自殺するようにと託された、固く冷たい手りゅう弾が一つ、秘められているのです。
流れに誘われて、思わず立ち上がった瞬間…
「一番前の奴の首がバッと飛んだ、その次の奴は腕がボーンと飛んだ」
〈10日あまりの戦いで、ノモンハン事件の帰趨は決した。関東軍第二十三師団はその7割が損耗し、事実上、壊滅した。ソ連側の死傷者数は2万5000人、一方、日本側は2万人。
死傷者数ではソ連の被害が甚大だが、作戦目的を達したのはソ連だった。関東軍はソ連・モンゴルの主張する国境線の外に完全に追いやられたのである。〉
引用:大量の自殺者を出した「ノモンハン事件」敗北のヤバイ真相 講談社HP(佐藤優)
ソ連軍司令官ジェーコフは、日本軍について問うスターリンに対して、こう答えています。
「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」
ノモンハン事件当時における日本軍は、
- 陸軍大学校で培養した「若年エリート」を登用・重用・長用するシステムであり、
- そのような者たちの「情」というネットワークを作戦の合理性よりも重視する風潮
がありました。
そのシステムが生み出したのが、後に「悪魔のエリート参謀」「日本陸軍の腐ったリンゴ」と称される、当時関東軍作戦参謀の辻少佐です。
参考:『日本陸軍の腐ったリンゴ~エリート参謀、辻政信「悪魔の正体」』講談社HP 魚住 昭
彼は、
- ソ連軍がノモンハンに向けて戦車などの戦闘物資を大量に輸送しているという駐ソ大使事による事前の情報を「作戦に悪影響」として無視し脅迫したり、2、
- 東京の参謀本部の意向を無視してソ連軍基地の空爆を強行し、さらに、現地師団長の指揮権を無視して勝手に部隊を動かしたり、
- 撤退したり捕虜になったりして生き残った将兵に負けた責任をなすりつけ、自決を強要して大切な改善の機会を自ら断ってしまったり、
しました。
これは、本記事で述べた、
- 全ての人間を才能ある完璧な存在として尊重し、適材適所に贈り届ける
- そのような人たちがする忌憚のない議論による合理的意思決定の追求
という現在のドイツやドイツ人の特性とは真逆ですよね。
辻少佐は、遺書でこのように述べています。
「断じて負けとらん」
- なぜ、このような非合理な「観念」を日本のリーダー、そして日本軍は持つようになったのでしょうか?
- チームメンバーを幸福に導くリーダー、そしてその者が創り出す組織とは、どのようなものなのでしょうか?
リーダーシップは多くの人の命を左右しかねない重要なテーマであり、ここで述べるには狭すぎるので、その考察は次の記事で行いたいと思います。
次に、リーダーシップの成功例を見てみましょうhttps://t.co/UdIbhmBbGX
マック売上予想システムを凌駕し続けた、伝説のスーパーバイザー鴨さんのお話しです
彼も常識はずれのビジョンをぶち上げた点では、牟田口中将と同じです
しかし、鴨さんはそれを現実にしました
その要因は何でしょうか? https://t.co/ZE9vEV9bGE
— かず@魅力発見心理コーチ (@Kazu_charmcoach) January 8, 2024
ぜひ、予習しておいてください↓
映画『日独裁判官物語」』(制作・普及100人委員会)
「市民の名において判断します」
そう宣言してから判決文を読み上げるドイツの裁判官。
50ccのスクーターを駆けて通勤する「裁判所」は、駅から徒歩3分の光が差し込む「オフィス」です。
裁判所が「国家意思の最終実現機関」とならずに、「人権保障の最後の砦」として公正な判断をするためには、なによりもその構成員たる裁判官の、市民的自由が保障されていなければなりません。
そもそも国家とは、市民の意思の集合体です。
一人一人の市民の持つ自由の恩恵を味わい、体に刻んでいることが、憲法遵守、自由の保障という目的意識を確たるものにするのです。
現在のドイツの裁判官は、
- 政党に所属したり座り込みデモに参加して反核活動を行い、
- 意思に反する転勤はなく、裁判所で演劇を催して市民とビールを飲み交わし交流を深めたり、
- 学校で子どもたちに法教育をしたり、
- 市民の法律扶助相談を受けたり、
- 法律以外の教養を身に着けることができる研修所が完備されていて、数週間の長期休暇を利用して学んだり、
しています。
対して、同じく「失敗」から学んでいるはずの、日本の裁判所、そして裁判官はどうでしょう?
一人で数百件もの膨大な事件を抱え、法廷にいない時間は一日中団地みたいな官舎に引きこもり、平日休日の区別もなく、左遷に怯えながら「お上」の逆鱗に触れないよう当たり障りのない判決を書く毎日…
日弁連によれば、日本の裁判官の労働時間は、週80時間を超えるとされています。
では、ドイツと日本の裁判官の持つ市民的自由に、どうしてこれほどの違いがあるのでしょうか?
同じ穴のムジナであった二国の司法制度は、どこから袂を分かったのでしょうか?
上記動画の40分50秒あたりから述べられています。
1960年代、ドイツでは革新的な裁判官が、最高裁判所から圧力の存在に気づき、ナチズムを引き継ぐ保守的な裁判官と対立していきます。
そして1980年代以降、革新的裁判官の数は急増し、特に政治的発言の制限に対し、積極的な批判を行いました。
ハンブルグで行われた反核運動と軍縮集会には、市民団体に交じって裁判官と検察官からなるグループも参加しました。また、新聞に反核軍縮を訴える広告を裁判官の名で掲載したり、NATO軍の核弾頭配備に反対し、アメリカ軍基地前に座り込みデモを行ったりもしました。
そのような異端児は通常、既得権益を吸っている保守派にペチャンコにされてしまうのが世の常ですが、ドイツの革新的裁判官は守られていました。
主権者たる市民の声が、それをさせなかったのです(市民との連帯)。
その後、「開かれた司法」をテーマにする運動が始まり、裁判所を市民に開放して詩の朗読会や芸術作品の展覧会が行われたり、交流会を催して裁判官と市民はビールを酌み交わすようになります。
このようにして、ドイツにおいては、市民と裁判官の境目は融解していったのです。
対して日本はというと、第5代の石田和外長官時代の「ブルーパージ」から最高裁の暴走が始まりだし、それが是正されることは今日までありませんでした。
最高裁長官が政府寄りの姿勢を強めたのは、第5代の石田和外長官時代からだったことが分かる。
北海道長沼町の住民が起こした「長沼ナイキ基地訴訟」で、札幌地裁の福島重雄裁判長は、国の主張を全面的に退ける決定を下した。
この決定の直前、札幌地裁の平賀健太所長が福島裁判長に、住民側の訴えを退け、国側の主張を認めるように求める書簡を届け、外部に流出する「平賀書簡問題」が起きた。
裁判への干渉にほかならず、札幌地裁の裁判官会議で平賀所長への非難決議がされた。石田長官は書簡流出を問題視し、福島裁判長が所属していた青年法律家協会(青法協)メンバーをパージする。
その第一のターゲットとされたのが、流出の犯人とされ、青法協の中心メンバーだった熊本地裁の宮本康昭判事補だった。
最高裁の臨時裁判官会議は、宮本判事補を不適格とし、再任を拒否された。青法協にひっかけて「ブルーパージ」と呼ばれた。
引用:最高裁も気づかなかった裁判員裁判の本当の狙い BOOK WATHC
青法協では会員弁護士の支援のもとで勉強会や勉強旅行で貴重な経験をさせてただきました。
しかし、青法協に所属していることを、なんだか周囲の学友たちに堂々と言えないような、悪い事しているような空気を感じました。
直近では、戦うパンツ判事、岡口基一裁判官のSNS投稿に対して弾劾裁判が行われている最中です。
また、女子高生殺害事件の判決文URLを紹介する投稿について、遺族による不法行為に基づく損害賠償請求も提起されています。
仙台高裁の岡口基一裁判官(職務停止中)のネット投稿をめぐる訴訟の控訴審判決で、東京高裁は1月17日、女子高生殺害事件の判決文URLを紹介する投稿について、一審とは異なり不法行為と認定した。
一審判決は投稿について、裁判官として不適切としつつも、表現の自由や、投稿内容がほぼ判決文から抜き出したものだったことなどを挙げ、違法とまでは言えないと判断していた。
当該投稿は、今回の岡口判事と遺族側の民事訴訟だけでなく、弾劾裁判の発端にもなっている。
●一審判決のポイントは?
控訴審で新たに違法と判断された投稿は、2017年12月15日にツイッター(現・X)とフェイスブックに投稿されたもの。
女子高生殺害事件の控訴審判決が掲載された裁判所ウェブサイトのURLとともに、次のように書かれていた。
+—————————+
「首を絞められて苦しむ女性の姿に性的興奮を覚える性癖を持った男 そんな男に、無惨にも殺されてしまった17歳の女性」
+—————————+
この投稿について一審は、「異常な性癖や犯行の猟奇性に着目した表現」で遺族の心情を深く傷つけるなどとして、「現職裁判官に課せられた義務に違反する不適切な行為」だと指摘した。
一方で、次の理由などから不法行為とまでは言えないと判断していた。
- 裁判例を紹介するツイートも表現の自由の保障を受けること
- 被害者の名前が広く実名で報道されていたこと
- ツイートの文章の一部については判決文でもほぼ同一の表現が用いられていたこと
- リンク先の判決文が仮名処理されていたこと
- 当時、岡口判事のSNS投稿の大半は、法律や司法、時事問題にかかわるものだったこと
●控訴審判決「遺族の心情は保護に値する人格的利益」
これに対し控訴審判決は、岡口判事が以前からツイッターに自身の半裸の写真などを投稿し、裁判所から厳重注意処分を受けて以降も同様の投稿がなくならなかったことや、司法関連の記事の紹介で関係者を揶揄する投稿があったことなどから、SNSの運用について「好奇の目を集める実態があったことは否定できない」と指摘。
約4万フォロワーと大きな影響力を持つ岡口判事から、「異常な性癖や犯行の猟奇性に着目した表現で、閲覧者の性的好奇心に訴え掛けて判決を閲覧するよう誘導しようとする投稿」をされたことで、遺族の心情がひどく傷つけられ、少なからぬ精神的苦痛を受けたと認定した。
判決は、亡くなった娘の尊厳がこれ以上傷つけられないよう願う遺族の心情は保護に値する人格的利益であると判示。重大事件に関する記事を紹介することが表現の自由の保障を受けることを考慮しても、岡口判事の投稿は社会通念上受忍すべき限度を超えて、犯罪被害者等として認められる人格的利益を侵害したとして、不法行為を構成すると判断した。
ただし、遺族が投稿翌日の2017年12月16日に抗議したのに対し、提訴は2021年3月29日だったことから、3年の消滅時効期間がすでに経過しているとして、遺族側の請求権は消滅しているとした。
引用:岡口判事の「判決URL紹介」ツイート、高裁で一転「違法」認定された背景 弁護士ドットコムニュース
動き出した質量の大きなものは、時間がたつにつれて、止めがたくなっていきます(慣性の法則、エネルギー保存の法則)。
そして人間は自分の目の前の生活が第一です。その車輪の中で走り続けなければなりません。
幸運にも時間に恵まれた一部の人が車輪の外に出て、それを止める必要があると気づいても、あまりに大きすぎて、速すぎて、絶望してしまう。
その気持ちもわかります。程度問題で、僕もその一人でしょう。
しかし、本記事で繰り返し述べたように、人間には選択の自由があります。
目を背けて幻想の世界で生き続けるのか、それとも真実に立ち向かい続けるのか。
どちらにもそれぞれの苦しみはあるでしょう。奴隷か、異端審問です。
どうやら僕は、その雲の隙間からたまに垣間見える、天上の世界の美しさに魅せられてしまったようです。
一時的にショックを受けましたが、経験から成長している証だとわかってるんで、すぐ回復できました!
先輩のお陰です。
不安になったときは、本記事を読みなおし、パキパキのドイツ人や「イカれた人たち」を思い出してください。
イカしていませんか?
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