【足元にある宝物】『友だちのうちはどこ?』(無料)

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俺と一緒に、「この映画ではどんな法則(教訓)が隠れているのか」考えて思考力を高めていこう!

かず
かず
俺の意見は一つの考え方にすぎないから、コメント等でみんなの考えも聞かせてもらい、さまざまな角度から法則を浮き彫りにしていきたい。

一緒に楽しんで学んでこう!

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さて、今日のお話は…

作品情報

イランの名匠、キアロスタミ監督が俺たちに遺した3つの宿題、『ジグザグ道三部作』の、最初の一つ。

それが、本作『友達の家はどこ』だ。

Where Is The Friend's House? Trailer | Khane-ye doust kodjast? | Abbas Kiarostami

➀『友達の家はどこ』は、間違って友だちのノートを家に持ち帰った少年が、その日のうちにノートを返そうと、隣村まで友だちの家を探し歩く物語。
イラン北部の小さな村、コケールとポシュテで撮られた。

②数年後、その地方を大地震が襲う。
村人たちの安否を確認しに監督と息子が村を訪れる、という設定の物語が『そして人生はつづく』だ。

③その中に、地震の数日後に結婚したエピソードを話す青年が登場する。今度は彼を主人公にして、実は妻役の娘にプロポーズしたが断られていた、という話が展開するのが、『オリーブの林をぬけて』(94)。

引用:キアロスタミさんの思い出:日本における「イラン映画の母」が語る巨匠の素顔 (Nipponn.com)
※太線と番号はかずが付した

『友達の家はどこ』は、

  • ファジル国際映画祭で最優秀監督賞、審査員特別賞
  • ロカルノ国際映画祭で銅豹賞、FIPRESCI賞特別賞、エキュメリック審査員賞特別賞
  • 日本では、1993年10月23日に公開され、同年度のキネマ旬報ベストテンで、第8位となった
かず
かず
イラン映画って初めてだったのだが、面白い。謎がいっぱい隠してあって、謎解きゲームのような「ハッ」とする閃きの快感が味わえる。

ざっくりストーリー

舞台はイラン北部のコケールという村である。

小学校のあるクラスで、ネマツァデが先生にひどく叱責されている。

宿題をノートではない紙に書いてきたからだ。
「同じことをもう一度やったら退学だ」と。

授業が終わり、ネマツァデの隣に座っていたアハマッド(注:主人公)が家に帰って宿題をやろうとすると、ネマツァデのノートを持って帰ってきてしまったのに気づく。

これではネマツァデは退学になってしまう

返しに行こうとすると母さんが「宿題をやってからじゃないと遊びに行ってはいけないよ」と言う。

でも、ノートがないとネマツァデは退学なのだ。

アハマッドの説明を母さんは聞いてくれない。

宿題をやろうにも気になってしかたがない。

引用:Wikipedia

※太線と注はかずが付した

私語厳禁、指定ノート以外でやってきた宿題は認めない、頭カチコチ先生。

ノートを返しに行きたいと訴えても、「まず先に自分の宿題を」を曲げない、頭カチコチの母。

大人たちは、自分の「仕事」をこなすので手いっぱいで、ネマツァデの言うことになんか耳を貸してくれない。

見えない傷蓄え続けるアハマッド。

だが、ついに胸の中の「何か」に突き動かされ、ネマツァデのノートを携え、家を出る。

ネマツァデの家の場所も知らずに飛び出し始まった、ジグザグロード。

その道中も、虚ろな目をした大人たちが、アハマッドの心に傷を残していくことになる。

だが、今の彼の心には、そんな未来が映り込むスペースなど、なかったのだ。

最初に出くわしたアハマッドのおじいちゃんは、タバコを持っているにもかかわらず、「家からタバコ持ってこい」とアハマッドに命令する。

(急いでいるのに…日が暮れちゃう!)

しかたなく、意に従うアハマッド。

このおじいさん、本当はタバコを持っていたのだ。

命令は、単にアハマッドを「躾ける」ために行われたものだった。

「1度で済むことを2度やるやつは、半分の給料だ」

「それをわからせるため、1度でできても、”げんこつ”だけは忘れない」

その後に出会ったのが、ドア職人

「木のドアなんかすぐ壊れちまう。鉄のドアに変えればずっと残るぜ。死んだ後もね」

彼はそのような謳い文句で、周りの大人たちに売り込みを行っていた。

ある一人と契約を成立させた彼は、領収書を渡すため、紙を探した。

しかし、あいにく持ち合わせていない。

ふと目に留まったのが、アハマッドが持つノート。

職人は、拒むアハマッドからノートをふんだくり、1枚破って金額を書き入れていく…

日が沈んでいく。

ネマツァデの「処刑」の時刻は迫る。

焦るアハマッド。

そんなとき、ヨボヨボの老人に出会う。

老人は、友達の家を探しているというアハマッドの話をきき、「それなら知っているよ。わしが一緒にいってあげよう」といってくれた。

かず
かず
やっと親切な人に出会えたか、よかったね!

と安心できると思いきや、この老人、とんでもないマイペースじいさん

「寒くないかね、わしの上着をかしてやろう」などと気遣ってくれるのはいいのだが、とにかくゆっくり歩き、ゆっくり話し、ゆっくり水を飲む。

挙句の果てには、「ワシ、話さなければもっと早く歩ける」と謎の元気アピールをしてくる始末…

(なら黙って歩けよ)

を飲み込む、大人な少年、マホメットであった。

少々だいぶ頼りない老人に導かれ、マホメットは話を聞きつつ歩き続ける。

老人は、昔ドア職人をしていたらしく、この辺の家の木のドアは、みんな彼が作ったとのことだった。

あのドアも、このドアも、私が作った。だけどいまは、みんな町にいき、鉄のドアにしてしまった…

そして老人は、道端に咲く一凛の小さなを摘み、少年にプレゼントする。

「そのノートにでも挟んでおきなさい」

ゆっくり、ゆっくり、二人の時間は過ぎていくのだった。

気が付くと、日は暮れていた。

だけど、ネマツァデの家は結局見つからず、終わってみれば、グルグル歩いて結局家に帰ってきただけだった。

老人と別れ、肩を落として自宅に帰りついたアハマッド。

ネマツァデの事が心配で、食事ものどを通らない。

そんなとき、ふいの突風が吹き、目の前のドアが壊れ開け放たれた

そこでアハマッドが見たのは、突風に飛ばされそうな洗濯物を、必死で取り込む母親の姿だった。

アハマッドは、そんな母親の姿を、しばらく、呆然と見ていた。

はっと我に返ったアハマッド。

自分のノートで宿題を済ませ、さらにネマツァデのノートにも手を伸す…

翌日の学校。

アハマッドは、ネマツァデの宿題の「検閲」の直前に、なんとかノートを彼に手渡せた。

「よし、いいだろう」と先生。

アハマッドは、ネマツァデの宿題もしてあげてたのだ。

先生が一瞥したノートの、最後の1ページには、小さな花が咲いていた。

かず考察

アハマッドを道具のように使う大人たちの中に唯1人、不思議な時間をまとった、元ドア職人の老人が登場する。

かず
かず
彼が、何かを俺達に訴えかけている気がする。
考えてみよう。

老人は、たくさんの人に、ドアを作ったといっていた。

ドアっていえば、鉄のドアを売っている職人も登場したよな。

ドアは何を意味しているか。

ドアとは、家(内)と世界(外)をつなぐ出入口である。

つまり、ドアは、世界を見る、人間の視点を意味しているのではないか。

鉄のドアは、この物語でたくさん登場する、型にはまった大人たちの、同じような視点を象徴している。

彼らは、それぞれしていることは違えど、盲目的に定められた手順に従い、それが何を目指しているか(目的)を見ていない点で共通している。

たとえば、先生。

宿題は、自分の頭で考えてやってくることに意味があるのに、管理しやすいからという理由で、ノート以外は認めない。

かず
かず
ちゃんと代替案を考えて、別の紙で書いてきたネマツァデの、小さくて大きな創造力を、ブチ壊してしまったのだ

母親についても考えてみよう。

「帰ったら宿題」、という手順。

たしかに、それをマホメットが守っていれば、余計なことを考える必要がなくなり、日々の家事をそつなくこなしていける。

しかし、母親は教育が最大の仕事であり、それは「自律して人間と繋がれるようになる」とことである。

宿題は、そのための手段に過ぎないのだ。

「友達を守りたい」(「人間」として在る)という動機こそ、教育において何よりも大切にすべき、目的地なのである。

なぜ、大人たちは、鉄のドアを心にはめることになったのだろうか。

  • 早く、
  • 効率的に、
  • もっと多くを

それを人間たちに課しているのって、現在の社会であり、見えない「見えてない人」である。

人間を作った神様がいるのであれば、そんな現状を悲しんでいるだろう。

そして、きっと、こう言うだろう。

「世界を楽しむために、人間を創った。

  • じっくり、
  • 道中を楽しみ、
  • 目の前のものを大切にせよ。

ラストシーンまで、演じて見せよ」

大きな理想や目的は、現実とのギャップで、不可能と思えてしまいがちだ。

だが、本当の目的地を忘れない限り、それは、既に達成できているのだ。

あとは、それを積み重ねていくだけだ。

有限な「人」として、「人間」として。

理想を掲げて歩み続けるか、逃げてあきらめるか。

輝くか、錆びるか。

誰かではなく、自分で決めなくてはならない。

自分で決められるのである。

かず
かず
ご先祖様から受け継いだ、一度きりの、貴重な人生。

俺は、鉄のドアを外し、旗を掲げて、宝物であふれる新世界への航海に出る。

おおざっぱだが、地図は作った。

一緒に、輝く世界を広げよう!

俺は弱い。できないことがいっぱいある。

あなたのお陰で生きてる。

あなたに、生きるのを、手伝ってほしいんだ。

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