オス!かずだ!
俺のツイート見てくれている人はご存知だろうが、今俺はベーシックインカムにハマってる。
ベーシックインカムとは、個人に対し、無条件に、定期的に、定額の給付を行う制度である。
ベーシックインカムが実現すれば、日本が抱える以下のような問題を一挙に改善できる。
- セックスレス、少子化
- 若者の貧困
- ブラック労働
- 犯罪、虐待
- 自殺
- 差別
これらはすべて、資本主義社会の支配者層(資本家)によって、庶民が搾取されているから起こることは、↓の俺のポスト集をみてもらえばすぐわかってもらえるだろう。
しかし、ベーシックインカムは、あの売国奴として名高い竹中平蔵1も推進しており、他の社会給付を廃止して、庶民をさらに貧困に堕として国に依存させ搾取するために生まれたと、危険視されている。
参考:月7万円で「生活保護廃止」 竹中平蔵氏が提唱するベーシックインカムは何が問題か?
また、資本家がケチって単なる失業者への補償制度に堕としたうえ、奴隷労働者から搾れるだけ搾り取る手段として使われうる。
ベーシックインカムが正しい趣旨で実現されれば、人々は、今の息がつまる日本に甘んじることなく、自由に呼吸をすることができるのに…
ところで、そもそも、自由とは何だろうか?
自由とは、本当の自分に出会うために、誰かに縛られるのではなく、自分で自分を律することである。
そして、自由とは権利であり、日本憲法の下で、最大限の尊重を必要とする人権とされている。
憲法第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
憲法13条は、人権のカタログである日本国憲法の根本をなす最重要規定であり、また、未だカタログにない「新しい人権」を生み出す源泉であるとされている。
ベーシックインカムを、
「国民全員が誰かの奴隷なんかではなく、自分のあるがままを発揮し、それを大切にされる権利」
として明確に憲法上位置づけることができれば、上記のような資本家による恣意的な運用に歯止めをかけることができるだろう。
資本家は金の力で国家を牛耳り、国家権力を振りかざしてくる。
だが、憲法そして人権は、国家権力をも縛る最強の鎖なのである。
第九十八条
この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
新しい人権と認められる基準は、「個人の自律的生存に不可欠」といえるほど、人間にとって重要な事柄であること。
俺がそれを、本記事で完全に立証する。
ベーシックインカムは、人間にとって必要不可欠な、自然な在り方である。
今の俺たちへの扱いは、不自然であり、人権侵害である。
本記事でこれから述べる主張は、これに尽きる。
本記事で「新しい人権」としての、「ベーシックインカムを受ける権利」を、以下の先人の知見を活用し、俺の武器である法的思考力で創造する。
- 最新の遺伝子工学、自然科学
- 最強哲学者の思考方法
- 一流文学者の思索と表現
- 緻密なフィールドワークに基づく文化人類学・社会学
命短き、恋せよ乙女。
待ってはいられない。
「普通」マスクを取っ払い、イキイキと個性を表現できる、クニ創り。
始めの一歩は、偉大な一歩。
さあ、今から、俺達から、歩き出そう。
光に向かって、輝こう。
目次
「私」からは始まり、終わる
「私は今、何をすればいいのだろう」
将来への不安も、過去への後悔も、人間の悩みとは、つまるところ、今に迷い、全力を出せていない状態である。
常に変化し続け、不確実な世界の中に存在する「私」。
これまでの価値観がどんどん覆されて行っている。
いままでの日本では、学校で良い成績をとり、大企業に就職して、一戸建てをもち、結婚して子供を2,3人持ち、定年後は悠々自適を満喫する…という「幸せな」未来を描けたかもしれない。
だが、テクノロジー・グローバリズムが進展し、日本にはAI、外国人がなだれ込んできており、従来の「型」は役立たなくなってきている。
また、コロナワクチン被害2やウクライナ戦争3により、国が守ってくれると平和ボケしていた日本人の頭に、ガツンと槌が打ち下ろされている。
世界は虚構を塗り重ねながらも、真実に向かって着実に歩みを重ねており、その中にいる人間の、より本質的な能力・成果に光が当たりだしている。
革新の波の中にあって、俺達は、揺るがない錨、心の拠り所を求めている。
不確実な世界の中で、確実なものって何だろうか。
あらゆるものは疑える。
だが、そんな不確実な世界について思う、「私」という存在は、現に存在しているといえるだろう。
大哲学者デカルトは、あらゆるものを疑いまくった結果、「私」だけが残ることを発見し、思考の基点に「私」に置いた4。
引用:Descartes, Matematik, Mekanik Açıklama ve Gayesellik
俺達も、彼にならおう。
「私は今、何をすればいいのだろう」
冒頭の問いに対して答えるためには、「そもそも私とは何者なのか」を明らかにしなければならない。
だが、自分は自分では見れない。
鏡が必要だ。
私とは、「世界」の中に、その一部として存在しているのであるから、世界を知る事で、世界を鏡として、自分を見返すことができる。
そして、狭い手鏡よりも、広い姿見の方が、自分の姿はよくわかるのだ。
- 「私」に至るまでの過去の世界は、どのような変遷を辿ってきたのだろうか
- その結果、「私」の周りにある今の世界は、どのような形になったのだろうか
学びとは、世界を知ることで私を知ることであり、それが、迷いの鎖を断ち切って、自らの意思で自由に生きるための、未来への羅針盤となるのである。
作家髙橋源一郎が、日本一自由な「きのくに国際高等専修学校」でした、特別授業。
同校は、「人生の目的は、幸福、すなわち興味あることを見つけることだ」という学びの楽しさを中心に据えた教育を展開する、全寮制の高等専修学校である。
著者は、生徒に「正しさ」ではなく「問い」をぶつけて考えるきっかけを与え、自分で自分を創り上げていく力を目覚めさせていく。
「正しさ」は誰かから与えられるものではなく、
- 自由に生まれた人が
- 自由な論理を育み、
- 自由に話し合い影響を与え合うことで、
みんなで近づいていくもの。
学ぶってなんなのか、直接高橋センセイの話を聞いて、考え、学んでみよう!
だが、発達において一番大事な、小・中・高は、椅子に縛られてされる情報のレイプであり、苦痛だった。
ゲンちゃんみたいに自由な論理を一緒に紡いでくれる先生が増えれば、学校はもっと楽しくなるだろう
源ちゃんは、ラジオもやってる。
毎週金曜夜9時、NHK第一の『飛ぶ教室』だ。
乗り遅れないように、しっかりキャッチしよう。
「私」の奇跡
思考の出発点であり、終着点である、確実な「私」。
だが、世界を学んでいく中で、確実なものとして据えたはずの自分そのものも、実は、不確性の中で、誰かからの無償の愛のお陰で、奇跡的に存在しているのだと気づく。
…
…
今の俺達を取り巻く世界って、どんな状況にあるのだろうか?
今の世界がどうやってできたのか、その生誕ストーリーから解き明かしていこう。
俺達がいる宇宙は、137億年前にビックバンで生じたとされる。
ビックバンで撒き散らされたガスの粒の中で、ある場所にいた重力の強いヤツが周りを巻き込んで収れんしていった。
これが太陽である。
太陽は自らのエネルギーで輝く恒星であり、夜空にキラキラ浮かぶ光の粒のほとんどは、太陽と同じような恒星なのだ。
そして、太陽の食べ残したのガスの中にも、周りを巻き込む奴らがいた。
それが、地球やそのほかの、太陽に振り回される惑星である5。
太陽系の誕生だ。
今から、46億年前のことであった。
引用:地球上にあふれる命~生命の誕生(前編) 認知高齢者研究所
そして、生まれたものは死を迎える。
太陽の寿命は約100億年と考えられており、もう46億年生きてきたから、ざっくりあと50億年ほどで終わりを迎えることになる。
しかし、この太陽の死を待たずに、地球は先に終わりを迎えてしまう。
どういうことか?
あらゆる物質の生死は、周りの物質を巻き込み凝縮し、発散して周りに還す過程なのであり、太陽もこれにもれず、現在は凝縮と発散のバランスの取れた働き盛りの中年って感じなのだ。
だが、徐々に発散の方にシフトしていき、太陽は内部のエネルギーが枯渇して重力が弱くなり、形を維持できなくなってくる。
すると急激にデカくなり、約23億年後、地球を飲み込んでしまうのだ(↓画像②)。
今俺達がいる地球は、確実に、終わりを迎えるのである。
そして俺達人間は、グツグツ煮えたぎる原始の海に生じたバクテリアから進化してきた、地球に根差した、地球の一部である。
引用:国立環境研究法人海洋開発技術研究所 地球46億年の歴史と生命進化のストーリー
だから、人間が地球を離れて生きていけるとは考えられない。
今、イーロン・マスクにより火星移住計画が進められているが、可能なのだろうか?
水金地火木土天海…
太陽系の中で地球より1つ外側にある火星は、平均気温がマイナス50度程度と極めて低く、また大気は薄く成分もほとんどが二酸化炭素であり、さらに人体に有害な太陽風の影響を大きく受け、液体の水も見つかっていない。
人が生存するにはあまりにも厳しい環境であり、仮に実現したとしても、人間が末永く、幸せな一生を送るのは難しいだろう。
地球はハピタブルゾーン(Habitable zone)という、生命が存在する条件にジャストミートした恒星との位置関係にある、奇跡の星なのである。
引用:【解説】金星、地球、火星と「ハビタブルゾーン」について!
ハビタブルゾーンといえるには、
- 十分な大気がある
- 惑星の表面に液体の水が存在できる
という条件を満たす必要がある。
では、太陽系の外側には、ハビタブルゾーンに位置する、移住可能な地球に似た星はないのだろうか?
これは、宇宙に魅せられた変態科学者によって、20個ほどの候補が見つかっており、最有力候補は、「ティーガーデン星b」と呼ばれる惑星である。
ティーガーデン星bの恒星であるティーガーデン星 は、太陽から12.5光年の距離に存在する、太陽よりちょっと暗めのシャイな恒星である。
ここに生命体が存在するかどうか、現時点ではまったくわからないが、可能性はある。
参考:人類が住みやすそうな太陽系外惑星ベスト4!移住先、ここに決めた!
しかし、地球からは12.5光年という距離は、人間の影響力の範囲を超えているのではないだろうか?
1光年とは、光が1年に進む距離である。
これはどれほどのものか。
光が1秒間に進む距離は、地球7周半であり、地球1周が4万kmなので、7.5周×4万kmで約30万kmである。
これを1年に換算すると、約9兆5000億kmとなる。
すると、太陽から12.5光年の距離とは、118兆7,500億kmである。
参考:[宇宙の豆知識]1光年ってどのぐらい? 天体の光が地球に届くまで
この距離を、人間のテクノロジーは乗り越えられるのだろうか?
今のスペースシャトルはミッションによって異なるが、時速約2万8000kmで飛行している。
参考:JAXA スペースシャトルはどの位の速さで地球の周りを回っているのですか
ざっくり時速3万Kmとして、ずっとこの速度を維持できるとすれば、約40億年かかることになる。
もちろん、もし移住を決断すれば、これより高速度で運航できる宇宙船が開発されるだろう。
だが、人間の身体は強い加速を受けると、血液循環が滞って失神したり、子供では頚や脳動脈の解離や、脳に腫瘍ができることが確認されている。
参考:ABLab 弾道宇宙飛行時の加速度による、身体への影響について
加速を乗り越えても、高速移動には地場の大きな変化による電磁波の影響があり、病気で抵抗力のない人は、慢性的な肝臓病を併発するおそれがあるらしい。
参考:高速移動による身体への影響 Chokky Blog!
そもそも宇宙空間にいること自体、
- 身体のバランス感覚を司る「前庭器官」が狂って宇宙酔いを起こす
- 体液が下に引っ張られず、顔がパンパンになり、鼻詰まりを起こす
- 骨と筋肉が弱り、ヒョロヒョロになる
- 大気がないので、放射能の影響をもろに受け、ガンのリスクが増大する
- 閉鎖空間に閉じ込められっぱなしでストレス大
参考:宇宙でからだはどうなる?JAXA
…
そんな何世代にも渡る、密室超速ジェットコースターなんか、「まっぴらごめん」ってのが結論であろう。
人間は、月より近い、地球の衛星なのである。
ところが俺達人間は、自らその首を絞め、地球に住める時間を短くし、また快適さを奪っている。
今世界を悩ませている、地球温暖化について考えてみよう。
地球温暖化とは、二酸化炭素などの温室効果ガスにより、地球が厚着してしまった状態になり、熱がこもって蒸し風呂になってしまうことである。
引用: 温暖化のしくみ 日本原子力文化財団 原子力・エネルギー図面集
この温室効果ガスの影響で、実際に地球の温度は上がっているのだろうか?
そうだとしたら、どれほど上がっているのだろうか?
引用:気象庁 世界の年平均気温偏差の経年変化(1891〜2021年)
このグラフは、各年ごとの気温の平均値と、基準値である過去30年間(1991〜2020年)の平均値との差を出して、その推移を表したものである(偏差)。
要は「最近(基準値)と比べ、その年はどうだったか」を示しており、マイナスは最近の平均よりもその年の気温が低いこと、プラスは最近の平均よりその年の気温が高いことを表している。
温暖化をしているのか否か、しているとしたらどのくらいのペースなのかがわかる。
なんにせよ、解読してみなければ始まらないから、まずは転がされてみよう。
- 灰色の線は各年の偏差の値を繋いだもの
- 青の線は過去5年変動の平均
- 赤の線はこのグラフ全体の変動の平均
を表している。
このグラフから読み取れることは、
- 全体として右肩上がりであり、温暖化が進行していること、
- 1990年付近から、青線が赤線を追い抜き、またプラスの値になっているから、気温の上昇が加速していること
が分かる。
しかし、もともと地球は人間がいてもいなくても、地軸のブレや、太陽の周りを回る軌道が楕円形をしていることなどから、温暖化と寒冷化のサイクルを繰り返しており、現在は温暖化に向かう流れの中にある(ミランコビッチ・サイクルという。リンクはwiki)。
だから、徐々に気温が上がっていくこと自体は自然である。
もっとも、
どうやら現在の温暖化は、過去の温暖化とは少し違うようだということ。
現在の温暖化のスピードは今までにないほど速いのです。
地球の気温がどう変化してきたかを振り返ると、2万1000万年前から1万年かけて4〜7℃上がっていたのが、最近(20世紀後半)からの気温はその10倍ものスピードで上がっていることが分かりました。
私たちは、地球がかつて経験したこともないような急激な温暖化の時代を生きているのです。
温暖化がこのまま進み海面が上昇すると、私たちの住む場所はどう変わるのでしょうか。
例えば海面が1メートル上昇すると、日本の90パーセントのビーチはなくなってしまうと考えられます。
大阪では北西部から堺市にかけての海岸線は水没し、東京では江東区、墨田区、江戸川区、葛飾区ほぼ全域が水没などの影響を受けると試算されています。
陸地が少なくなるため、未来には、険しい山や、もしかしたら海の中にも新たに住む場所が作られるかもしれません。
そうすると、20年で10度上がったことになる。10倍どころではないよ。異常な上がり方だ
この気温急上昇の原因は、人間の行動にある。
すなわち、産業革命以降、エネルギーと引き換えに二酸化炭素を盛大に噴出したから、そのツケが廻ってきているのである。
引用:化石燃料等からのCO₂排出量と大気中のCO₂濃度の変化 日本原子力文化財団 原子力・エネルギー図面集
引用:国立環境研究所 過去1000年の気温変動の虚実
このままのペースで温暖化が進むと、俺達が次の世代に命を渡す2100年頃には、4度前後の気温が上昇すると予想されており、
- 熱波・海面上昇による自然災害や疾病…
- 急激な環境の変化に生物の進化がついていかず、動植物が減少・絶滅し、食料難…
などが、ニュースを騒がすことになるという。
参考:公益財団法人世界自然保護基金ジャパン(WWFジャパン)「地球温暖化が進むとどうなる?その影響は?」
だが、「崖」に向かって真っ直ぐダッシュしている事は認めねばなるまい
現に、あのインド洋に浮かぶ「世界で最も低い夢の国」、モルディブでは、すでに海面上昇で海岸の浸食が始まっていて、
引用:AMP 2100年に海面上昇で消滅危機のモルディブで世界初「浮かぶ島」プロジェクト進行中
ヤシの木などの根がむき出しになり、あちこちで木が倒れていることが確認されている。
モルディブの島々は、サンゴでできた環礁である関係で(リンク先はwiki)、島の8割が海抜1メートル以下と極めて低い。
そして、変動の影響で2100年までに最大で1メートル余り海面が上昇すると予測されていることから、国土の多くが水没する危機にある。
こうした中、モルディブ政府は人工島の開発を進めており、海抜2メートルの高さに埋め立てられ、すでに5万人余りが移住し、将来的には人口およそ50万のうち20万人余りが住めるようになるということである。
参考・画像引用:インド洋のモルディブ 温暖化で海面上昇 多くの島水没のおそれ NHKニュースWEB
さらに、2021年3月、モルディブの政府関係者が、「モルディブ・フローティング・シティ」と呼ばれる裕福層向けの水上浮遊都市開発を発表した。
貧困層はどうなるのだろう?
『ウォーターワールド』の時代が到来してしまうかもしれない。
参考・画像:
さらに、インド洋から南東に目を転じてみよう。
引用:yahooニュース 海面上昇で国が水没する? 南太平洋のツバルやキリバス
こちらにも、キリバスという、モルティブと同じ環礁でできた、平均の海抜2メートルの国がある。
面積は対馬とほぼ同じ大きさで、人口は約10万人の小さい国だ。
第二次世界大戦中には日本軍が占領し、米軍と激戦を交えた地でもある。
現在、国民は魚を獲ったり、ココヤシを栽培したりと、半自給自足的な生活を送っている。
軍隊も持たない平和なこの国でも、地球温暖化の影響で海面が上昇していて、国家が水没する危機に瀕している。
だが、そんな状況の中…
2014年2月11日、フィジー7のエペリ・ナイラティカウ大統領がキリバスの首都タラワを訪問して、公式にこう発言しました。
国際社会が温暖化対策に失敗し、海面が上昇し続ければ、キリバスの人たちの一部、もしくは全員がフィジーに移住する必要があるかもしれない。
われわれは困っている隣人に背を向けることはない。
約10万人のキリバス人を、人口88万人程度の小国フィジーが受け入れると。
フィジー人は困っている人たちを放っておくことができません。「人類みな兄弟」を地でいく国民です。
キリバス人にとってフィジーは救世主でしょう。
…
キリバスにて、ナイラティカウ大統領はこう続けます。
フィジーも海面上昇に関する問題はある。この危機を協力し合って戦っていこう。
最悪の事態になったとしても、あなたたちが難民になることはない。
堂々とフィジーに移住できる。キリバスの人たちの魂は場所がかわっても生き続ける。
引用:HUFFPOST 水没の危機にある国の人たちを全員受け入れる唯一の国とは?
他方、キリバスと同様の境遇にある隣国ツバルは、オーストラリアに難民申請を行うも、拒否。
フィジーは、ツバルももちろん、受け入れた。
1997年、京都で開かれた国際会議で、CO2排出量の削減を目的とした京都議定書(リンク先はwiki)が採択された。
CO2排出量2位のアメリカが「自国の経済に悪影響」と批准を拒否する中、世界で最初に手を挙げて批准した国は、なんと、フィジーであった。
フィジーは決して裕福な国ではないし、自国の海面上昇問題も抱えている。
それとも、最大級の問題提起がされてる以上、疑いながらも、探して信じ、向き合うか。
幸せになるかならないかは、あなた次第である。
…
…
このように、有限な星の命の終わりを待たず、人類がわき目もふらずダッシュで「崖」に向かっている中で、まだ、落下していないこと自体が奇跡なのである。
いや、もう「弱者」という片足を崖に突っ込んでいて、たまたまあった細木にすがってるだけの、片足ブラブラ崖っぷち状態なのだ。
だが、よく考えてみると、今まで人間がきた過去の道にも、崖は数え切れないほどあった。
地球の歴史をかっ飛ばして見てきたから見逃してしまっていたが、じっくり見て見よう。
生まれによる不合理な身分差別、らい病や結核などの「不治の」病、2度の世界大戦、核兵器…
俺達のご先祖様は、様々な無知と戦って、崖に半分落ちながらも這い上がり、俺達に知恵と命のバトンを繋いでくれた。
たしかに、日本は色々な問題を抱えているけれども、まだごはんを美味しく食べられてるし、みんな親切だし、教育受けれてるし、雨風しのげるところで快適に生活できるし、生活保護などで最低限命を維持することは保障されている。
日本の外の世界ではいまも、いきなりとっつかまって殺されて、臓器売買されたりしているところがある。
今の日本がそのような状態になっていないのは、「ラッキー」だけで片付く問題ではない。
ご先祖様が、守ってくれているのである。
たしかに、現憲法はGHQの押し付けの側面もあり、改正も議論されているが、基本的な理念は間違っていない。
改正によりそれが骨抜きにされないか、鋭くチェックしていかねばならない8。
俺は、現憲法は昭和天皇の愛がマッカーサーを動かしてできたものだと思ってる↓
昭和20年9月27日、昭和天皇は連合軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥をお訪ねになりました。
このときの陛下のお供は通訳の奥村勝蔵氏の一人で、マッカーサー元帥は自分の机の席でパイプをくわえたまま動こうともしません。
陛下は机の前まで進まれて直立不動のまま、ご挨拶されたあと、こう言われました。
「日本国天皇はこの私であります。
今回の戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行われました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。
絞首刑はもちろんのこといかなる極刑に処されてもいつでも応じるだけの覚悟はあります。
しかしながら、罪なき国民が住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。
温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民の衣食住にご高配を賜りますように。
…
…
マッカーサーは驚きました。
世界中、どこの国の君主でも自分が助かりたいがために、平気で国民を見捨てて命乞いをし、その国から逃げてしまうのが、いわば常識です。
ところが陛下は、やれ軍閥が悪い、やれ財閥が悪いという当時のご時勢下にあって、「一切の責任はこの私にあります、絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても」と淡々と仰せになられたのです。
マッカーサーは、咥えていたマドロスパイプを、机に置きました。
続いて椅子から立ち上がりました。
そして陛下に近づくと、今度は陛下を抱くようにしてお掛けいただきました。
さらに部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、 おコーヒーをさしあげるように」と命じました。
マッカーサーは今度はまるで一臣下のように掛けていただいた陛下の前に立ちました。
そこで直立不動の姿勢をとりました。
「天皇とはこのようなものでありましたか!
天皇とはこのようなものでありましたか!」彼は、二度、この言葉を繰り返しました。
そして、「私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますことがあれば、 何なりとお申しつけ下さい」と言いました。
陛下も、立ち上がられました。そして涙をポロポロと流しながら、「命をかけて、閣下のお袖にすがっております。この私に何の望みがありましょうか。
重ねて国民の衣食住の点のみに ご高配を賜りますように」と申されたのです。こののちマッカーサーは陛下を玄関まで伴い、自分の手で車の扉を開けて陛下をお見送りしました。
そしてあわてて階段を駆け上がると、これまでのGHQの方針を百八十度変更するあらたな命令を下しています。
このことがあったあとマッカーサーは、次のように発言しています。
「陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた。」
今の日本国憲法は、マッカーサー以下総司令部が作成した、マッカーサー三原則3が基になっている。
…
…
このように、私に至るまでの世界、私の周りの世界に溢れる愛を知って、「私」は奇跡なんだということに気づくのが、学びである。
そのときに俺たちが抱く感情は、「負い目」である。
いつ無くなるかとも知れない世界の中で、自分の努力を経ることなく、存在できていること。
既に、貰ってしまっていること。
そんな負い目を持った「私」を学びによって発見したときに、次に生まれる感情は、次のようなものである。
「還さなければならない」
返報性の法則とあなた色のギブ
人は、ギブに対して恩返しせずにいられない(返報性の法則)。
その源は、他者と共に生きる「人間」として、人に備わった「ウズウズ」。
人は、自分が持つ余ったものを提供し、その対価として自分に足りないものを取り入れることで、個として独立しつつ、人間全体として生きる存在なのである。
ギブで他者と繋がるには、個性がいる。
人間がみんな同じような存在では、貰えるものは既に持っているものだから、繋がる意味がなく、ギブにならないのである。
人は弱い。
だか、個性の磁石で結ばれて、人は人間として強くなるのである。
俺達がご先祖様から受け継いだ命。
個性を磨いて、それを輝かせ、世界の「穴」を埋めて、人間としていきていくこと。
その営みを、次の世代に繋ぐこと。
それが、「既に与えられてしまった」俺達に課せられた使命であり、その遂行が、生きがいになる。
「俺には、やることがある」
それが、信念である。
信念があれば、外界がどう波打とうと関係なくなる。
信念は、心の錨であり、不動心である。
著者近内は、哲学者であり、専門はヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」3。
本書は、この思考ワク組みを用いて、「現代資本主義に足りないモノは、被贈与の認識である」ことを浮き彫りにしていく。
なぜ、俺たちは、仕事のやりがいを見失ったり、生きる意味を見失ったりしてしまうのか。
著者近内は、その問い対して、「ただの交換を繰り返しているだけだから」と答える。
交換とは、当事者同士やその周囲の世界に限定された、
- 「公平」
- 「winーwin」
- 「三方良し」
の原理に基づいた、価値交換を指している。
たしかに、交換は人が補いあって生きるうえで、欠くことができないものであるし、その確実性・一定程度の継続性を確保するための上記各理念も、その重要性は否定されない。
しかし、それだけでは、人間としての使命、すなわち「なぜ生きるのか」という根源的な問いに対するレスポンスにまでは至らない。
交換に閉ざされた視点の先にはあるのは、「この世で金を稼ぐための理念」という目的と手段の逆転現象であり、「人間としての進化」や「これからの世界」のことをないがしろにしてしまう。
金儲けのためにやりたくもない労働をして時間を無駄にしたり、体や家庭、地球環境をぶっ壊してしまう。
対して、現在の世界だけでなく、過去・未来という時間軸も視野に入れることで、仕事は「天職」として爆発する。
- 「受けとった命を活かして、世界の穴を埋める。」
- 「少しでも世界を良くして、次に繋ぐ。」
- 「それが使命であり、金が儲かるかは二の次だ」
天職は、いわゆる「職業」だけではない。
自分が生き生きとし、能力が発揮できるものであれば、なんでもいいのである。
天職に向かうことで、人は、命を完全燃焼させ、自分色の魅力を放つ。
今日の日本。
虚ろな目をしたゾンビのような人々が、満員電車に揺られて、どこかに向かってる。
何かが足りない、今の資本主義。
足りないのは、「被贈与の認識」である。
命をくれた人のゲームに、参加してみよう。
先に、フィジーが温暖化で沈みゆくキリバスやツバルの人々を、その小さく大きな胸でガッチリ受け止めたことを書いた。
では、なぜ、フィジーはこんなにも勇敢にでっかいギブができたのだろうか?
その秘密は、「ケレケレ」というフィジーに根差した文化、そしてこれにジャストミートし融合した、キリスト教の「先行的恩寵」という教義にあった…
…
…
フィジー人の間では、「ケレケレ」という言葉が頻繁に飛び交っている。
これは、フィジー語の名詞で 「共有・分け与える」というものであり、また動詞としては「お願い」「頂戴」「貸して」を融合したような意味になる。
英語でいうと、Giving without expectation”期待なく与える”のようなニュアンスである。
参考:子供も共有してしまう!?フィジーの文化、ケレケレについて徹底解説 world map japan
フィジーに行くとこれを肌で感じる事ができる。
- バーで隣で飲んでいる人のビールを勝手に飲んでも許されるし(むしろ「おー、どこから来たん?もっと飲めや」と友達になる)、
- 隣人お金がなくて困っていたら、勝手にホームステイに来た人の財布から金をとって渡しちゃうし、
- 泥棒が被害者のおばあちゃんにその場で一部キャッシュバックして、そのため逃走が遅れて捕まるし、
- ケータイの契約時に保証人が居なくて困っていると、初対面の店員さんが規則違反なのに保証人になってくれるし、
- 警備員がインナーにアロハシャツをちらつかせ、花を耳にさしてダンスしながら交通整理してるし、
- バス代がなくて困っているおばあちゃんからせがまれてバス代をあげたら、それをすぐホームレスの人にあげちゃって自分は歩いて帰る…
フィジー人は、
- 見返り
- 所有観念
- マニュアル思考
を超えて自分のリソースを精一杯燃やすことで、他人と秒速で圧倒的な強い絆を繋ぐ事ができるのだ。
「俺の物はみんなの物、お前の物はみんなの物」
フィジー人は、愛でパンパンのお腹から七色のハーモニーを奏でる、優しいジャイアンなのである。
かずは、現在のフィジーのケレケレ文化は、元々フィジーに根付いていた部族内・親族内の共有精神に、イギリスからやってきたキリスト教(プロテスタントのメソジスト派)の「先行的恩寵」という教義が+されることにより、そのパワーが増大したものだと考察する3。
フィジーには2つの民族が共存している。
フィジー系(57%)、インド系(38%)である。
そして、フィジー系民族のほとんどはキリスト教(プロテスタントのメソジスト派)を信仰する。
参考:フィジーの3大宗教〜それぞれの特徴とマナーについて〜 face as a free bird
引用:メソシスト派 wiki
その教義の内容は、全ての人はアダムの原罪により堕落しているが、それ以前に神の恵み(自由意志を始めとするあらゆるリソース)が与えられており、信仰と善行により、最後の審判での救いを引き寄せることができる、とするものである。
中世において堕落しきっていたカトリック教会への不信を基礎とする点で、他のプロテスタントの宗派3と共通点があるが、先行的恩寵を認める点が独自の特徴となっている。
参考:
- メソシスト派wiki
- ウエスレアン・アルミニアン神学wiki
- 先行的恩寵とは?キリスト教者のメモブログ
- 先行的恩寵 wki
- 確証の教理 wiki
この先行的恩寵の教義はどのようにしてフィジーにもたらされたのだろうか?
フィジーは1874年イギリスの植民地となったのだが、その際に持ち込まれたものというよりは、それより少し前から徐々に浸透していったようである。
フィジーが西洋社会と本格的な接触をはじめるのは19世紀の初めであり、交易商人が白壇、ナマコを求めて進出して来たことを嚆矢とする。
少し遅れてキリスト教の宣教師たちも訪れている。
彼らの熱心な活動の結果、1850年年代には、東部の大首長の改宗を機縁として平民層を含めた多くのフィジー人はキリスト教へと改宗した。
引用:イギリス統治下フィジーにおける初期間接統治体制の導入・確立と社会変動 : トゥカ運動を中心とする一考察 丹羽 典生 53頁
フィジー人は普段はテキトーだが、食前のお祈りや教会通いは欠かさないなど、規律は驚くほどきちんと守る。
参考:【フィジーでBulaBula協力隊(4)】信仰に生きるフィジー人、“ぼんやり”した国民性はその裏返し?ganas
「先行的恩寵」という教義は、ケレケレの共有意識に、「自分の努力に因らずして与えられた恵みを分け与えるのは当然」と論理的基礎づけを与えるものであり、フィジー人にすんなりなじんだのである。
フィジーでは、資本主義はキリスト教と結びつきながら、持続する土着の文化の論理に同化され矛盾なく接合されている。
引用:文化の本質主義と構築主義を越えて 小田亨 118頁
そしてそれは、温暖化という国際的な問題に対しても、作用するスケールにまで拡大しているのである。
国内外に孤独が溢れる今の日本が学ぶべきことは多い。
が…
あまりにも後先考えず、「今の幸せ」に全振りすることにも、問題があるのではないだろうか。
例えば、フィジーでは糖尿病が社会問題化しており、人口10万人あたりの死亡数は、世界2位である(日本は168位)。
フィジー人は炭水化物の接種率が非常に高い。
主食はイモ類で、加えて米ヌードルも食べるし、砂糖もドバドバ使う。
画像引用:フィジーのおやつってどんなの?〜食から見えるフィジーの多様性〜 フィジー留学のフリーバード
加えて、欧米から来たマーガリンやクラッカー、チョコレートなども、その大きなお腹に吸い込まれていく。
参考:リアルなフィジーの食文化。メラネシア人とインド人が共存する独自な食生活の実際 せかいじゅうライフ
フィジー政府はテレビCMで、糖尿病で苦しんでいる患者さんが「こうなる前に、もっと野菜と果物を食べていれば」と後悔を語る映像を流すことで、食生活の改善を促しているが、フィジー人は「今」を楽しむことを何より重視する。
だから、食べたいものを食べて体を壊して死ぬことになっても、「それは神様の決めたタイミングだから」という発想なのだ。
- 食べ過ぎによる糖尿病が社会問題に
- 糖尿病によって足を失ってしまう人も
- 1日5食、紅茶には砂糖5杯
- 誰かが倒れたら「呪いにかけられた」と噂に
- 雨が降ったら病院に患者さんが全然来ない
参考:1日5食、紅茶に砂糖5杯!?肥満大国フィジーの医療と健康への意識 FIJIAN WALKER
今を楽しむことは大切だが、それを「末永く」味わう努力、すなわち未来へ向けて、学びにより進化していくことも、今を生きることに含まれ、また神様も望んでいることなのではないだろうか。
神様とは全であり、知恵と命を残してくれた先人も、自分も、自分が影響を与えるものも、そこに含まれるのである。
そのような全体を背負う責任をも、神様がひとりひとりの人間に与えてくれてた、「自由意思」には含まれているはずである。
求めるべきは、「今の幸せ」でなく、「今の責任」なのである。
盲目的に「今の幸せ」を追求すると、刹那的な快楽主義に足をすくわれかねない。
実際、フィジーでは違法薬物や性的暴行による犯罪が増加傾向にあるとのことである。
参考:
この無知の不自覚が、資本家に利用されて、売国9や宗教戦争10が起こる。
宗教はその地域の風土に根差した個性を持つ、真理に至る一つの道筋であり、その目的からズレない限り、十分尊重されなければならない。
だが、上記のような危険をはらむものである以上、盲目になって止まらずに、学びにより他の宗教、科学や哲学と影響を与えあい、最終的には、「自分一人で神に立ち向か」う必要がある。
参考:『なぜ宗教戦争が起きるのか』東京外国語大学教授 町田宗鳳 109頁
自分の責任と苦しみながら闘い、その闘いに勝利するという、永遠の進化の道を、死ぬまで歩むこと。
それが命の自然な姿であり、神様からのギフトなのである。
そして、相手は自分である以上、勝つことは常に選べるのだ。
真の幸せとはなにか。
それは、自分に勝って、歓喜することなのではないだろうか。
リンク
- 「ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ。ぼくは幸福という言葉は大嫌いだ。僕はその代わりに『歓喜』という言葉を使う。」
- 「歓喜は、対決や緊張感のないところからは決して生まれない。」
- 「ナマ身で運命と対決して歓喜するのが本当の生命感なのだ」
- 「誰でもが、あえて出る釘になる決意をしなければ、時代は開かれない。確かに辛い。が、その痛みこそが生きがいなのだ。」
- 「純粋に生きるための不幸こそ、本当の生きがいなのだ。」
- 「生涯を通じで、瞬間瞬間の、『危険に賭ける』のが真の人間のあり方だと思うのだ。」
- 「俗に”失敗は成功のもと”という。そんな功利的な計算ではなく、イバラの道に傷つくことが、また生きるよろこびなのだ。」
- 「己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し、生き抜かなければならない」
- 「宇宙の全責任を背負った自分自身を殺すのだ」
リンク
未来へ向け進化する責任という観点からは、先に述べた地球温暖化に起因するキリバス・ツバルからの難民11受け入れ問題への対処にあたっても、自分も一緒に沈んでしまわないように、十分な検討と準備が必要とされる12
そこで以下、キャノングローバル戦略研究所の上席研究員、杉山大志さんが執筆した「フィジーの政治・外交と地球温暖化」という論文を踏まえ、フィジーの難民受け入れのポテンシャルについて、
- 国土
- 治水工事
- 国際社会への温暖化対策の呼びかけ
という観点から考えてみよう。
①フィジーは四国程度の面積であるが、人口は四国の4分の1以下の約90万人であり、人口密度は低い。
そして、フィジー人はのんびり屋なので、土地の利用度が低く空き地が多い。
したがって、彼らを受け入れる包容力は一定程度有しているといえる。
いや、そんな消極的なものではなく、フィジーから爆弾ギブを受けたツバル・キリバスの人々は、フィジーに眠っていたリソースを活かして全力で返報すると考えられ、滞りがちなフィジーの経済にとって、むしろ+になるともいえる。
②もっとも、フィジーでは治水工事が進んでおらず、2016年2月にをおそってきたサイクロン「ウィンストン(Winston)」で国民の6割が被災し、44名の死者を出し、家屋倒壊、ライフラインの遮断など、深刻な被害を受けている。
引用:史上最大のサイクロン「ウィンストン」襲撃に見るフィジー人の国民性 FUJIAN WALKER
フィジーの国土は日本に似て山がちで多雨なので、治水事業をしないと水害が多いことは容易に予想できるのだが、のんびりの国民性が仇になって河道の整備が進んでおらず、河川はまがりくねったままであり、河道を直線状にして堤防を両側に築くといった日本のような河川の整備はなされていない。
これから温暖化が進行すると、水害が多くなるので、自国民と共に受け入れた難民にも甚大な被害が生じてしまう。
これをチャンスとして、日本をはじめとする水害と戦ってきた国からの治水技術の取り入れと、受け入れ元キリバス・ツバルおよび、温暖化の原因を作った国際社会への資金援助要請をするべきである。
そして国民のケツを蹴って、ちょっと気合いれて働いてもらうことが必要であろう。
③そしてなにより根本改善、国際社会への温暖化対策への呼びかけが必要である。
これについては、2016年に開幕したCOP2213期間中に、米国トランプ大統領に対して、「フィジーを来訪して地球温暖化の被害を見学せよ、地球温暖化に関する考え方を改めよ」と呼びかける演説を行っている。
また、仏マクロン大統領に対しても、パリ協定をまとめたフランスが地球温暖化問題に関するリーダーシップを発揮し続けるよう求める声明を出しており、がんばっている。
これに加えて、国際社会への負担の分配要請、すなわち温暖化対策に失敗しやがったら、キリバス・ツバルからの難民を一緒に分散して受け入れるよう求め、プレッシャーかけることも必要となろう。
…
…
以上のような施策により未来へ向けて進化していく過程では、困難も辛いこともあるだろう。
だが、試行錯誤して小さな成功を積み重ねたり、仲間と困難を乗り越えていく楽しみもあるはずだ。
そんな酸いも甘いもひっくるめた充実感が、自分に勝っている証拠であり、「やるべきことやってる」という「歓喜」なのである。
このようにして、困難から目をそらさず、自他のリソースを最大限駆使し、勝ち続ける中で、フィジー自身が、新たなフィジー像を創り上げていく。
それは、宇宙に揉まれて生まれる新たな「恒星」であり、時空を超えて世界を照らす、爆発する「個性」なのである。
画像引用:太陽の塔オフィシャルサイト
上の例は、フィジーという国レベルの個性の話に発展してしまったが、「大は小を兼ねる」、個人レベルでも原理原則は同じである。
そこで次に、この個性が具体的にどのように育まれるのか、より詳しく見ていくことにしよう。
世界への学びについて、これを特に個性を育むという切り口でみたときに、その学びは「教育」であるといえるだろう。
そこで、教育の具体的内容と方法とが、次に問題となる。
教育とは何か
教育とは何か。
人は生まれた瞬間から、
- 欲求が阻害され、その解消法がわからない「困難」に直面し、
- また、それに対する他人の「正解」に晒され、
傷を負う。
その傷を放置せずに問題化して、世界を参考にして実験をくり返し、自分なりの答えを出していく。
こうやって学びによって傷を癒し、その傷跡を自分色(個性、信念)に変えていくのが、教育である。
本当の教育は、人にされるものでない。
本当の教育は、自分のために自分でする、「自己教育」なのだ。
1997年に神戸で、14歳の中学生が9歳の小学生を殺し、その頭を胴から切り離して学校の門の前におくという出来事があった14。
反逆の哲学者、著者、鶴見俊介は、この知らせをきいたとき、「自分が子供のころだったら、自分も同じようなことをするかもしれないという不安をもっただろう」と述懐する。
77歳になった今、自分は子供の中に入り込んで、この事件を見ることはできない。
しかし、同時に、この事件を「生命を大事にするように」と一般論で片づけようとする、大人の立場にも立てない。
自身が教育と戦ってきた経験から、述べられることがあるのではないか。
国民として、日本人としての教育ではなく、人間としての教育。
それは、胎児の状態から死に至るまでに負う、傷と痛みによって教育を再定義しようとする試みである。
…
…
鶴見は、クリスチャンであった母による「正義」や、義務教育、すなわち子供を全体の中の一つの歯車に位置づけようとする「国民」養成制度にもまれ、傷を負い、窃盗や自殺未遂をくり返しながら、アメリカにはじき出された。
やっかい払いのような旅立ちだったが、アメリカは鶴見の傷を筋肉に変えた。
アメリカへ到着した鶴見は英語の学習から始めるが、インフルエンザにかかり、高熱で寝込んで後、起きたら、たちどころに英語が話せるようになっていたという。
その後、あのハーバード大学に入学し、哲学を修めた。
鶴見は、同大学での学びの中で、プラグマティズムという考え方に出会った。
プラグマティズムとは、自分の経験こそ物事を考える基礎である、という思考ワク組みである。
鶴見は、この考え方を日本に持ち帰り、戦後の文化的発展に大いに寄与した。
そして、本書で、自分の経験を基礎にしつつ、他者と関わるとはどういうことか、自己と他者との格闘の中で生まれる人間像、教育像を提示した。
世界や自分と戦い、傷つきながら自己教育を貫いた、型破りの天才であった。
では、自己教育とは、具体的にどのようにしていけばいいのだろうか。
上述のように、「自分色」は外からやってくる型と、自分の内から湧き出る情熱との闘いの中で育まれる。
だから、 「あなた色」は型を疑う力から生まれ、0から作り出すものではない。
色を育む自己教育は、傷を前提として、
- 先人達の積み重ねから学び(守)
- 共通する法則を抜き出し(破)
- 自分にその法則を適用して自律する(離)
ことを繰り返すことで、練り上げていく過程なのである。
自立とは、孤立ではなく、全体の上に自律することだ。
その中では、逃れられない自分自身の条件さえも、自分の命を輝かせる型になるのである。
今ある本、映画、テレビ番組…
それらを見ていく中で、「これって…あれと似ている」と思うときってないだろうか?
本書では、作家髙橋源一郎が吸収してきた膨大な作品の中の「これは、アレだな」の関係をたくさん紹介してくれている。
「自分の頭で論理的に考える力」の具体的な内容が、経験から共通点を見つけ出し、法則を抜き出す力にあることを、気づかせてくれる。
それに加え、著者の選球眼に適った第一級の作品たちが様々な切り口から紹介されていて、興味ある分野を発見し、自分で学ぶきっかけを与えてくれるという意味でも、貴重な本である。
1941年12月8日、早朝のラジオから、この物語は始まる。
「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」
日本海軍はハワイ・オアフ島の真珠湾を奇襲攻撃し、日本陸軍はマレー半島に奇襲上陸した。
太平洋戦争がはじまったのだ。
本作は、この日を迎えた家庭の主婦の日記という形をとっている。
作家である主人やお隣さんとの会話、ラジオから聞こえてくる軍歌、買い物…
戦争が日常になった世界。
サラって読めば、その中にいる一庶民の何気ない散文と読めてしまうが、そこは太宰。
本書はそんな単純なものではなく、検閲をかいくぐり、後世にメッセージを繋ぐための、太宰が遺した暗号である。
この夫人は、太宰の代弁者であり、
- 真っ暗闇を準備もままならないのに突き進んでいく日本を、「信仰心」の厚い夫に投影したり、
- 赤子である園子の裸の美しさを、人間そのものの命の美しさに投影したり、
- 「目色、毛色が違うということが、これ程までに敵愾心を起こさせるものか。めちゃくちゃに、ぶん殴りたい」と日本の姿勢に対し過度に賛同することで、逆にこっけいさを醸し出したり、
あの手この手で戦争を非難している。
上記鶴見の書籍に中で述べられていた、学びとは、「概念を自分の欲望で貫くこと」という言葉を想起した。
複雑に編み込まれた太宰の表現欲を、あなた自身で、解読してみよう。
そして、型破りってなんなのか、日本の文豪の「複雑な野生の力」を吸収しよう。
法的思考力と『アイデアのつくり方』
このように、教育とは、個性を育みそれを発揮しながら生きていく過程であり、型を学び、破りながら生きていく過程である。
では、そのような自律的な生き方で身につく力ってなんなのだろうか。
それは、法的思考力であり、新たな価値を生み出す創造力である。
AI等のテクノロジーが台頭する中、これからの人間に求められるの情報処理能力ではない。
求められるのは、情報を使いこなす力、すなわち、情報の本質を見抜き、組み合わせ、進化させ、新しい事象に当てはめ適切に対応する力なのである。
【AIに勝つ人間とは?】『思考の整理学』(外山滋比較古)を一言で切って整理した!
上の記事では、法的思考力の育み方の大枠を述べたが、本記事でさらに具体化していこう。
なお、参考文献は、
- 論理の骨として、ジェームス.W.ヤング著『アイデアのつくり方』
- その肉付けとして、上田正仁『東大物理学者が教える「考える力」の鍛え方』
を用いた。
「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」
著者のヤングは、アメリカの最大の広告代理店で数々の広告の制作に敏腕を振るい、後に同社副社長を務めたほか、公職でもその創造力を遺憾なく発揮し活躍した、アイデアの魔術師である。
本書にはその創造プロセスの本質が凝縮しており、アイデアの秘伝のレシピとして、世界中の魔法使い達に脈々と受け継がれている。
ヤング氏は上記のようにバリバリ仕事ができる人なんだから、さぞかし働きマンだったのかと思えるだろうが、実はそうではなかったところが、面白い。
例えば、彼はニューメキシコに別荘を建て、一年の大部分をそこで過ごすことにしていた。
そこで彼は、自分の内なる興味に導かれ、インディアンの生活、スペイン人の歴史、民芸、原住民たちの民族的風習など、広く食べ散らかした。
その結果メキシカンな趣を持つ、手織りのネクタイの通信販売をすることを思いつき、成功を収めた。
- 「諸経験を経た後でなければできない広告もある」
- 「何か差し当たっての目的のためにくそ勉強するのではなくて、それ自身の目的のために追求するときが、一番よく集めることができる」
あなたのアイデアは、これまでの全ての経験、そして遺伝子までも煮込んで煙の中から現れた、あなたの化身である。
さて、上記「アイデアのつくり方」で述べられているステップは、次の5つである。
- 資料収集
- 咀嚼
- 他の事をやる
- 休息とくつろぎ
- 批判を仰ぐ
①資料収集
アイデアとは、既存の情報の新たな組み合わせであり、組み合わせには材料がいる。
集めるべき資料は、2種類ある。
- 1つが、アイデアを作りたい分野の資料であり、特殊資料という。
- もう一つが、分野を絞らない、自分の興味・関心を羅針盤とした知識であり、一般資料という。
前者の特殊資料を整理するのに、ヤング氏は、「カード索引法」を用いている。
これは、特殊資料の知識の本質的部分を抜き出して、カード化しておくというものである。
一般資料の整理は、興味ある新聞記事や雑誌の切り抜きや、自分が経験した事柄などをまとめておく、「スクラップ・ブック」を作って行っている。
また、ツイート・ブログも使って、カードやスクラップブックのように用いている。このようなSNSを用いた情報整理術は、上掲『思考の整理学』の記事で詳しく述べている。
②咀嚼
集めた資料同士を関係づけして、共通点を探る。
ヤング氏は、上記カード・スクラップブックを、並び替えて比べてみたり、あっちに向けてみたりこっちに向けてみたりして、「噛み合い」を探すという手法をとっている。
上田は、資料の内容を自分の言葉に置き換え、「わかっていること」と「わかっていないこと」をリスト化した、「情報地図」を作ることを勧めている。
俺は、下図のように、マインドマップで情報地図のようなものをを作っている。
レポート用紙に、わかっている知識をどんどん書き込んでいき、放射状に思考を発展させている。
こうすることで、情報同士の関係性がわかり、「穴」が見つかる。
そしたら、その穴を埋める情報を探し、マインドマップに書き込んでいく。
これを繰り返す。
思考とは、知的「作業」である。
③他の事をやる
上記の組み合わせパズルを進めていくと、絶望状態に陥る。
頭の中の、何もかもがごちゃ混ぜになり、スクランブルエッグ状態になる。
そうなったら、問題を完全に心の外に放り出して、音楽を効いたり、映画を見たり、本を読んだり、出かけたり、自分の想像力や感情を刺激するものに心を移す。
④休息とくつろぎ
アイデアは、それを最も期待していないときに訪れる。
著者ヤングは、髭を剃っているときとか、風呂に入っているときなどを挙げている。
俺は、タバコを吸っているときとか、おしっこしているときによく「降ってくる」。
それは、一般知識と結びつくからである。
頭の中の教養だけでなく、日常で感じる自然法則も立派な一般知識だ
⑤批判を仰ぐ
自分の視点は狭い。
人と手を借りて、最終チェックを行おう。
よいアイデアは人を刺激するので、人々は力を貸してくれる。
他者の視点を踏まえて、アイデアをより洗練させよう。
アイデアは、一人で創り出すものではない。
それは、先人から受け継ぎ、仲間と一緒に磨きあげた、共同創作作品なのである。
優秀さの尺度が、決められたことを決められたとおりにこなす「マニュアル力」から、「考える力」に突然変化する、大学。
学生は新しい世界にほっぽり出され、フリーズしてしまう。
著者上田は、そんな迷える子羊を救うため、物理学における方程式を型にして、人生の方程式ともいえるアイデアを作るプロセスを体系化した。
「考える力」を、
- 問題を見つける力
- 問題を解く力
- あきらめない人間力
と定義し、それぞれの力をつけるための具体的な手法を紹介し、俺達を創造的思考の世界へいざなう。
- アイデアを生む思考とは対話による作業であって、その中でも「何が分からないかが分からない」状態から「分からないことを知っている」状態にするまでが何よりも大切であること
- 各人の好奇心に基づくオリジナリティある視点をもってして、世界の「穴」を埋めることこそ、意義のある仕事であること
- 迷ったら「本来どうあるべきか」という根本に立ち返り、とことん考え続けること
日本の最高学府でしか学べないはずの、創造の方程式をゲットしちゃおう。
カオスを生きる生存戦略~教養と寛容と真・善・美~
このように、不確実な世界で活きるためには、創造力が必要であり、そのためには、一般知識、すなわち教養が必要である。
そして、教養は、国家が学ぶべきことを選択し、そこに集中させるという「選択と集中」スタイルでは、身につかない。
「傷」による自発性3を無視した選択と集中で生まれるのは、国家の意に従順に沿う者であり、ロボットである。
社会のロボットとしての生き方は、社会との軋轢が生まれないから、ある意味では生きやすいかもしれない。
しかし、
- 国家、特に今の日本が国民の幸福を誠実に目指しているかは疑問だし、
- 国家が世界の変化に敏感に、素早く対応していけるわけでもない。
そのため、思考停止で国家や上位者に従う者が、搾取されてしまい、それをさらに弱者に転嫁していく…という負の連鎖がうまれてしまうのである。
【かずvsメンヘラ女弁護士~パワハラ撃退体験記~】『GIVE&TAKE』『孫氏の兵法』から抽出した「勝利の法則エッセンス」を成功体験と共にシェア
【かずvsメンヘラ女弁護士~パワハラ撃退体験記~】『GIVE&TAKE』『孫氏の兵法』から抽出した「勝利の法則エッセンス」を成功体験と共にシェア
「型」と「自然」のずれを埋める、人間の創造力。
それを育むには、人々の学びの自由と平等を保護しつつ、その結果として、現在の世界で必要なものが自然に選択されていくという、「発散と選択」が合理的なのである。
法律は不完全だし、世界は変わっていっている。
そのような変化し続ける世界に真摯に向き合い、新たな法解釈・法体系を縦横無尽に創造し、適用していける法曹が、これからをリードしていく。
それが、「法的思考力」だ。
誰かのロボットになることは、ギブではなく、搾取されているだけである。
本当のギブとは、世界の穴を埋めることである。
その力は、ゆっくりだが、確実に作用する。
そして、必ず勝って、活かされるのである。
俺達が存在する不確実な世界のことを、カオスと表現することがある。
カオスとは、混沌のことをいい、予測不可能なことである。
では、なぜ予測が不可能だといえるのか。
- 科学技術の進歩により、不確実性なんか考慮しなくてもいいくらい、人間の予測能力は上がっているのでは?
- 上述した、地球温暖化による飢餓や災害の問題だって、人間の力でコントロールできるのではないか?
これをNOだと、科学的にハッキリさせておこう。
カオスを再現するおいしそうな実験に、「パイこね変換」というものがある。
パイ生地の上にチョコチップをまとめて置いてから、パイをこねて引き延ばすと、どうなるか。
チョコチップは、広げられたパイ生地の全体に、まんべんなく点在するようになる。
最初にチョコチップはまとめて置かれているが、一つ一つのチョコチップは別のチョコチップと同一の場所を占めることはできず、わずかなズレが不可避的に生じてしまう。
そして、初期値のわずかな違いが、時間の経過とともに、大きな誤差となって現れるのである。
これを、バタフライ効果という。
そして、チョウの羽ばたき一つ一つを、ちっぽけな人間は、把握できないのだ。
小数点以下は∞であり、かつ電卓の計算能力には限界があるから、こういうことが起こる。
ミクロな差異でも大きな影響を生むのだから、地球をまんべんなく覆っている人間の生産活動が、地球の気候や環境に、予測不可能なくらい大きな変化をもたらすのは、当たり前である。
また、いくら人間が温暖化を止めようとしても、経済活動や資源の利用を0にする事はできない以上、完全なコントロールは不可能である。
人間ができることはないの?
バタフライ効果の本質は、「行動が変われば、未来は変わる」ということである。
完全コントロールはできなくとも、環境を想った小さな行動の積み重ねにより、より長く、快適に過ごせる場所に変えることはできる。
そのような可能な世界に、俺たちは住んでいるのである。
【世界は可能性で満ちている】ペイ・フォワードー可能な王国(299円)
それとも、なんか後ろめたい気持ちでコソコソ逝くか。
では、具体的にどのような行動をすれば、温暖化をスローダウンさせて、自然な早さに近づけていけるか?
国連は、「10の対策案」として、以下のようなものを打ち出してる。
1 家庭で節電する
家庭で節電する私たちが使用する電力や熱の大部分は、石炭や石油、ガスを燃料としています。冷暖房の使用を控え、LED電球や省エネタイプの電化製品に取り替え、冷水で洗濯し、乾燥機を使わずに干して乾燥させてエネルギー消費量を減らしましょう。
2 徒歩や自転車で移動する、または公共交通機関を利用する
世界中の道路が車であふれ返り、そのほとんどが軽油やガソリンを燃焼させています。自動車に乗る代わりに徒歩や自転車で移動すれば、温室効果ガスの排出が削減され、健康と体力の増進に役立ちます。移動距離が長いときは列車やバスの利用を検討してください。また、自動車は可能な限り相乗りで利用しましょう。
3 野菜をもっと多く食べる
野菜や果物、全粒穀物、豆類、ナッツ類、種子の摂取量を増やし、肉や乳製品を減らすと環境への影響を大幅に軽減できます。一般に、植物性食品の生産による温室効果ガスの排出はより少なく、必要なエネルギーや土地、水の量も少なくなります。
4 長距離の移動手段を考える飛行機は大量の化石燃料を燃やし、相当量の温室効果ガスを排出します。つまり、飛行機の利用を減らすことは、環境への影響を軽減する最も手っ取り早い方法の一つです。可能な限りオンラインで会ったり、列車を利用したり、長距離移動そのものを止めたりしましょう。
5 廃棄食品を減らす
食料を廃棄すると、食料の生産、加工、梱包、輸送のために使った資源やエネルギーも無駄になります。また、埋め立て地で食品が腐敗すると、強力な温室効果ガスの一種であるメタンガスが発生します。購入した食品は使い切り、食べ残しはすべて堆肥にしましょう。
6 リデュース、リユース、リペア、リサイクル
私たちが購入する電子機器や衣類などは、原材料の抽出から製品の製造、市場への輸送まで、生産の各時点で炭素を排出します。買う物を減らし、中古品を購入し、修理できるものは修理し、リサイクルして地球の気候を守りましょう。
7 家庭のエネルギー源を変える
自宅のエネルギー源が石油、石炭、ガスのどれなのかを電力会社に確認しましょう。可能なら、風力や太陽光などの再生可能エネルギー源への切り替えができるかどうかも確かめてください。あるいは、自宅の屋根にソーラーパネルを設置して家庭で使用する電力を賄いましょう。
8 電気自動車に乗り換える
自動車の購入を予定しているなら、電気自動車を検討してください。より安価なモデルが市場にますます多く出回っています。化石燃料から作られた電力で走行するにしても、電気自動車はガソリン車やディーゼル車より大気汚染の軽減に役立ち、温室効果ガスの排出量が大幅に削減されます。
9 環境に配慮した製品を選ぶ
私たちが購入するあらゆるものが地球に影響を及ぼします。あなたには、どのような商品やサービスを支持するかを選択する力があります。自身が環境に及ぼす影響を軽減するために、地元の食品や旬の食材を購入し、責任を持って資源を使ったり、温室効果ガス排出や廃棄物の削減に力を入れていたりしている企業の製品を選びましょう。
10 声を上げる
声を上げて、他の人たちにも行動に参加してもらいましょう。声を上げることが、変化をもたらす最も手っ取り早く、最も効果的な方法の一つです。あなたの隣人や同僚、友人、家族と話してください。経営者には、あなたが大胆な変革を支持することを伝えましょう。地域や世界のリーダーたちに、今こそ行動を起こすように訴えましょう。
引用:国際連合広報センター
だが、これらの対策は、結局上述した「選択と集中」スタイルであり、局所的・一時的な対処療法に留まる。
たとえば、上記8で国連は電気自動車を推奨しているが、電気自動車を作るには、リチウムイオン電池が必要であり、その材料を得るために、
膨大な地下水をくみ上げたり、
過酷な児童労働などが確認されている。
これらの犠牲になるのは、発展途上国とそこに住む貧しい人々である。
電気自動車製造の推進は、地球と人間に対する新たな搾取にすぎず、とても世界を良くする影響を与えているとは言えないだろう。
良くしようとして失敗したのならまだいいが、上記の様に一時的ではない問題が明るみにでており、その対策案・代替案も具体的に議論されている様子はなく、新たな金稼ぎの為にデメリットに目をつぶっているとみられてもしかたないだろう。
さらに、電気自動車を走らせるためには電気が必要であり、その発電を火力発電で行えば、結局二酸化炭素が出て、無駄である15。
原子力を使えばいいと思われるかもしれないが、福島第一原発の事故で身に染みてわかったように、災害等のトラブルに対して十分安全であるとは言い難い。
特に、テロ・戦争の脅威が高まっている世界情勢にあって、航空機を用いたテロや武装グループの侵入、サイバーテロなどに対する対策が必要不可欠なのだが、日本の原発は、
- 航空機衝突が想定されて設計されておらず、
- 対テロ特殊部隊が常駐しておらず(米国では24時間体制で150人規模のテロ対策特殊部隊が常駐している)、
- それどころか、社員や作業員の身元調査も不十分ときており、工作員によるコンピューターウイルスの持ち込みはさほど難しくない
という有様である。
参考:日本の原発はテロに対する防御が甘すぎる「秘密主義」に日独の専門家が警鐘 東洋経済オンライン
これでは、国中に54基(アメリカ・フランスに次いで世界第3位)ものスイッチ式核弾頭が着弾していると変わらない。
画像引用:日経新聞2021年5月7日
対策しようとも、ドローン、ステルス無人戦闘機、巡行ミサイル、大陸間弾道ミサイルなどを組み合わせれば、ゲーム感覚での多面的な波状攻撃が可能となるのであって、限界があるだろう。
引用:NHKクローズアップ現代「ドローン兵器の衝撃~新たなテロの時代~」
運よく攻撃が起こらず平常利用を貫けると仮定しても、放射能をまとう核廃棄物は溜まる一方であり、高レベル放射性廃棄物の放射能レベルが十分低くなるまで、数万年以上にわたり地球と人間から隔離されなければならない。
日本では、放射性廃棄物を30〜50年程度一時貯蔵して冷却した後、最終的に地下300mより深い地層中に処分することにしているが、その保管施設や資材の建造、冷却などには、莫大な資源とエネルギーを必要とし、コスパが良いものなのか疑問である。
- 高レベル放射性廃棄物 日本原子力文化財団
-
原子力を推進したい経済産業省、必要性を訴えるも説得力を欠く 公益財団法人自然エネルギー財団
保管は人の手による以上、そこでの被ばくや、地震等による放射性物質の漏れ出しの可能性も払拭できず、そこで犠牲になるのは国民の生命・身体の安全という最も大切な利益である。
じゃあ、原子力はヤバイなら、太陽光・風力・波力・地熱などの再生可能エネルギーはどうか?
たしかに、これらは自然の力をあるがまま利用しており、原子力のような危険性はない。
だが、これらは発電量が低く、とても現在の経済活動レベルを維持しうるものではないし、ましてや電気自動車の普及で増える需要まで賄えるものではない。
そして、これを賄おうとすれば、自然エネルギーのために自然を壊す、という本末転倒なことになる。
引用:素心ブログ「自然環境を脅かす太陽光発電」『おら!こんな景色嫌だ!』
…
…
このように、「選択と集中」スタイルは、表面に現れる症状を一時的に止める薬のようなものであり、病気の根本原因の改善には至らないから、その根から次々と新たな問題を生じさせてしまうのである。
では、根本的な改善とは何か?
それは、病気でいうなら生活習慣を改善することであり、地球温暖化でいえば、経済活動スタイルそのものを見直す事である。
そこで出てくるのが、「発散と選択」スタイルである。
『贈与論』の所で述べたように、金を稼ぐための生産というマインドから、天職を遂行する中での生産というマインドに転換すれば、
- 経済活動レベルは過剰とならないし、
- その内容も環境適合的となる。
「誰かのため」でなく「人間としての自然」が基礎にあるからである。
そのような量的・質的にゆとりある生産活動であれば、最低限に抑えた化石燃料と自然エネルギーによる発電で回していけるだろうし16、爆発する個性・自由により研究が進むから、新しいクリーンエネルギーが創造されるかもしれない。
今も面白いことやっている人々がいる↓
「今、役に立たない事」は「未来に役立つ事」かもしれない。
有限な人間が無限のカオスに対応するには、フラフラ自由に学ぶ「アホ」が必要なのであり、アホを許容する寛容さが必要なのである。
このような「アホ」による生存戦略は、学びという頭を使った分野ばかりではない。
生物が遺伝子レベルで採っている生存戦略である。
キリンの首が長いのは何故だろうか?
首が長ければ、他の生き物や首の短いキリンが食えない丈の長い木の葉っぱを食えて、生存戦略上有利だったのは理解できる。
では、どうやってキリンの首は長くなっていったのか?
キリンは、代々首を長くするトレーニングをがんばった結果、クビが長くなったのではない。
キリンが子孫を遺していく過程で、遺伝子のミスコピーが起こり、さまざまな個体差を持った子が生まれた。
その中に、周りの奴らよりちょい首の長いのがいて、周りの奴らが届かない丈の長い木の葉っぱを食めた。
その結果、首の長い遺伝子を持つ奴が生存でき、逆に首の短い奴らは死んでいき、それが繰り返されて、世代を超えて、少しずつ少しずつ、あんなにもキリンの首は長くなっていったのである(ダーウィンの自然選択説)。
キリンがこれまで絶滅しなかったのは、アホな遺伝子を持ったヤツがいたお陰なのである。
しかも、この自然選択は、「生きる上で有益か有害か」というドライな基準でなされたものでないことが、遺伝学の最新の研究で明らかにされてる。
仮に、有害遺伝子がすべからく淘汰されていき、有益な遺伝子のみが生き残っているとしたら、現在の遺伝子のバリエーションは、もっともっと少ないはずなのだ。
おかしい。
計算が合わない。
そんな疑問に立ち向かい、ダーウィンの型を踏破するという偉業を達成したのは…
なんと日本人、その名も木村資生である。
木村 資生(きむら もとお、1924年〈大正13年〉11月13日 – 1994年〈平成6年〉11月13日)は、日本の集団遺伝学者。
中立進化説を提唱した。日本人で唯一ダーウィン・メダルを受賞。学位は、理学博士(大阪大学・1956年)。国立遺伝学研究所名誉教授。日本学士院会員。文化功労者。文化勲章受章。岡崎市名誉市民。
中立進化説とは、分子レベルの進化はダーウィン的な「サバイバル・オブ・ザ・フィッテスト(fittest)」(適者生存)だけではなく、
生存に有利でも不利でもない中立的な変化で「サバイバル・オブ・ザ・ラッキエスト(luckiest)」、すなわち、たまたま幸運に恵まれたものも残っていくという学説である。中立説は発表当初多くの批判を浴び世界的な論争を引き起こした。
その後、この説は広く認められるようになり、現代進化論の一部となっている。引用:wikipedia
木村の研究により、遺伝子には、有益でも有害でもない中立的なものがあると承認され、突然変異による進化は、「適者」生存という冷酷さだけでは片づけられない、懐のでっかいものであることが分かった。
これを、中立性進化という。
本来、現在の環境にマッチしない「遊び人」の遺伝子は、生存確率を上げることに役立たず、自然淘汰の罰を受けてしまう。
しかし、そんな「遊び人」を守るメカニズムが、遺伝子にはある。
すなわち、ある遺伝子の突然変異の過程において、
- ミスコピーだけではなく、
- 正常なコピーも作り出され、
これらが合体して一体となることで、「適合している人」が「遊び人」を匿(かくま)っているのだ(遺伝子重複)。
引用:上記動画
上述した『京大的アホ』のところで、多様性を確保することがカオスに対応するための唯一の方法だと述べたよな。
多様性というと、みんなそれぞれ好き勝手にふるまえばいいと思えてしまうかもしれないが、実はそんな単純な話ではない。
世の中、アホだけでなく、言われたことを忠実にこなす、「真面目な人」も必要なのだ。
…
…
世の中の多様性をもった集団組織は、「スケールフリーネットワーク」と呼ばれ、下図のような非対称な分布を示す(べき分布と呼ばれる)。
この図は、友達の数がそれほどでもない人が多数派であり、逆に、友達の数が多い人は少数派であることを示している。
この「友達の数が多い少数者」が、「アホ」に当たる。
すなわち、アホは好き勝手学んで考えるから、いろんな知識を吸収し、それを抽象化して法則化し、体系にする。
そのような「知識との繋がりの多さ」が、上記例の「友達の多さ」である。
そしてアホは、カオスがもたらす新しい事象、すなわち「死角」に法則を適用し、真面目が動ける新たな秩序を作ることができるので、集団の生存に必要不可欠である。
だが、アホばかりの集団では、日常のルーティンにおいて、集団としてのまとまった動きがとれないという弊害が出る。
アリも、一定数の遊び人がいることで有名だが、多くは真面目に働く働きアリである。
- よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。
- 働きアリのうち、よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。
- よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の分担になる。
- よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
- サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。
引用:働きアリの法則(Wikipedia)
- 真面目なアリがエサを運んできてくれ、守ってくれるから、アホは遊ぶ余裕ができる。
- アホがいるから、真面目に何らかのトラブルが起きたときに、代わりに動いたり、新しい秩序を作って全体を守れる。
「人間」という集団で生きる俺達も、アホな奴と真面目な奴の適度なバランスが必要なのである。
そして、両者の明確な境は存在せず、アホさと真面目さは個人ごとに、無限のグラデーションを持っている。
「多様性」とは、アホになることの強制ではなく、アホな程度に応じて、アホになれる分野から、アホになる自由があるということである。
考えること自体が不得意な人もいるし、アホも細かいとこまで手が回らない。
苦手があるから得意があり、個性なのである。
大事なのは、従うこと・任せることを自由意思で、自分の本心から選ぶことである。
そして、アホの存在意義を認め、遊んでいることに寛容であることである。
他方、アホも、遊ばせてもらっているというギブを忘れず、真面目に対する責任を持たなければならない
人間レベルでも個人レベルでも、アホと真面目が手を組んで、自分の得意分野を活かし合い、一緒に生きてくのある。
自分に向き合えば、やらねばならないことが、見えてくるはずだ。
中立性進化・遺伝子重複というメカニズムを踏まえると、突然変異は、偶然に起こる「ミス」コピーだとはいえなくなってくる。
それは、カオスな世界を多様性で生きる残るため、生物が採るに至った積極的戦略であり、遺伝子レベルでの創造力である。
「役に立たない」ものは有害ではない。
カオスを直視したとき、「役に立たないもの」は、立派に「役に立つ」ものなのである。
「世界は永遠に分からない」のだとを謙虚に受け入れ、自分の価値観を疑って、広くアホを遊ばせておくのである。
アホは、侍であり、備えて待つ人である。
- 今、用いられずに疎まれ恐れられてでも、
- 必死に心・技・体を鍛え上げ、
- 庶民と国を守って、活かし、生かしている。
アホは、名脇役であり、三枚目の名優である。
- 今、スポットライトを浴びなくとも、
- 必死に役に成りきり・演じ抜き、
- 主役と舞台全体を支えて、活かし、生かしている。
そうして種は、時代の変化に、アホと真面目を兼ね備えた一つの生き物のようにして、対応しているのだ。
地球に生きる、様々な違いをもった、全ての生命体。それって、ホントは、一つの存在なのではないか。
- ヒトの遺伝子は、隣の人と99.9%類似している
- チンパンジーは、遺伝子的に96%ヒトと類似している
- ネコ(アビシニアン)の遺伝子は、ヒトと90%類似している
- ネズミはヒトに85%類似している
- 家畜のウシとヒトの遺伝子は約80%共通している
- ミバエの病原遺伝子の61%はヒトと共通している
- ニワトリの遺伝子は約60%がヒトに類似している
そして…
そして、人間は、思考力という膨大なパワーが与えられている、万物の霊長である。
だから、地球のリーダーとして、思考力に基く創造力をいかんなく発揮し、命を預けてくれるみんなを引っ張っていかねばならない。
生命全体を守り、一緒に世界の進化に適合していくのである。
それが、人間としての「積極的な生」であり、自然な在り方なのである。
- 真とは、万物に対して真剣に向き合うことである。
→あらゆる生き物、物事が、霊長たる人間に調和してもらうことを望んでおり、それらの声に、人間は真摯に耳を傾ける必要がある。 - 善とは、万物に平等に愛を注ぐことである。
→花だけを見るのではなく、その花を支える茎、葉、根、土、空気、花を映えさせている雑草…
すべてに平等に価値があり、それぞれの幸せを等しく考える必要がある。 - 美とは、万物を調和させることである。
→すべてのモノには個性があり、その能力が最大限に発揮される場所に配置し、全体の調和を図る必要がある。
あらゆる生き物の体は、様々な形のタンパク質の組み合せにより成り立っている。
そのタンパク質の設計図が、遺伝子である。
引用:新しいバイオテクノロジーで作られた食品について – 厚生労働省
そして、ある生物の遺伝子を切り取り、別の生物の遺伝子に組み入れることで、新たな特性を持った生物を生み出す技術を、遺伝子組み換えといい、遺伝子組み換え生物を使った食品を、遺伝子組み換え食品という。
上記画像の例以外では、特定の除草剤を分解する性質を持った細菌の遺伝子を、大豆の遺伝子に挿入することで、その特定の除草剤に強い大豆を作る、というものもある。
ところで、人為的な遺伝子の操作は広く「品種改良」といわれ、遺伝子組み換えが世に出る前は、①「選択」と②「交配」により行われてきた。
引用:さまざまな品種改良の方法 バイオステーション
では、「選択」とはどんな技術だろうか。
今、俺たちが食べている野菜や果物のほとんどは、最初からあった野生種ではなく、人間の趣向やニーズにあったものに誘導されて生き残ったものである。
たとえば、カボチャやトウモロコシは、自然種の状態だと身の部分がほとんどなく、栽培の手間と栄養価のコスパがすこぶる悪いものであった。
引用:No4:マヤ・アステカ文明をささえたトウモロコシ、その2
だけど、人間は、少しでも身のついた突然変異種をピックアップし、それを何世代にも渡って繰り返していくことで、今の肉厚のものに進化させてきたのである。
もっとも、目的の突然変異が起きるのを待つだけでは効率が悪いので、人間は次に、性質の異なる品種同士を「交配」する方法を思いついた。
引用:さまざまな品種改良の方法 バイオステーション
これはまず、ある様々な品種の中から、目的の性質を持つもの(例えば、おいしい品種と病気に強い品種)を選び出し、一方の花粉をもう一方のめしべにつけ、種子をとる(交配)。
その後、目的に合致するものをピックアップし、それをまた交配する…を繰り返していくのである。
交配は、「目的」を引っ張ってこれるので、それを待つ選択よりも、進化が早い。
もっとも、両者は、人間が一定の介入をしつつも、
- その種の
- 進化を
- 促し、待つ
という、相手のペースに合わせた創造スタイルあるといえよう。
これに対して、遺伝子組み換えは、人間が、
- その種と別の種を
- 組み合わせ
- まったく新たな種を作り出す
自分本位のスタイルであるといえるだろう。
では、遺伝子組み換えは、選択・交配に比べどんなメリット・デメリットがあるのだろうか。
メリットとしては、とにかく速い事である。
選択・交配は、何世代にも渡って特定の遺伝子を持つ個体をピックアップし続けなければならないのに対し、遺伝子組み換えは他の生物の遺伝子を組み入れるだけである。
また、選択・交配は、有用な突然変異した個体が必要だか、遺伝子組み換えは、任意の遺伝子を他の生物から持ってこれるから、選択・交配では起こり得ない奇想天外な種を作れる。
このように、手っ取り早くデカい変化を得られるのが、遺伝子組み換えのメリットである。
デメリットとしては、人体と環境への悪影響が大いに懸念されることである。
すなわち、
「遺伝子組み換えを行う事で新しい遺伝子が生まれたり、新しい遺伝子が働くことでそれが人体の害になったりアレルギーを引き起こしたりする可能性が無くはありません。
実際には長年の研究を重ねて遺伝子組み換えの物を商品化しているので、安全性は高いとされていますが、長期的に摂取する事は人体に毒性が無いとは言い切れず、グレーゾーンの部分がまだまだ多いとされているのが現状です。」
「除草剤に強い遺伝子組み換えの作物を作る事で、逆に遺伝子組み換えの物の花粉が雑草に付き、違う生態系を作り出さないとも限りません。
また害虫に強いものを作り出す事で、虫でない他の生物に影響を及ぼす可能性も無くはない為、生物の生態系を変えてしまう事もあるかもしれません。」
引用:<監修医師 田中 恵文>遺伝子組み換えの4つの危険性!【メリットとデメリットを解説】(太線はかずが付した)
実際、ヒューマナイズされたネズミを使った実験では、衝撃的な奇形が現れた↓
頭と同じくらい巨大な腫瘍のできたネズミ。
2012年9月、フランス、カーン大学のセラリーニ教授らの研究チームが発表した実験結果は、世界に衝撃を与えた。
これは市場に広く出回っている除草剤耐性遺伝子組み換えトウモロコシ(NK603)をねずみに食べさせるというもので、実験に使われたねずみは全部で200匹。
ねずみの寿命に相当する2年間の歳月をかけて行われた綿密な実験だ。
引用:サルでもわかる遺伝子組み換え GMは健康に問題
- A群は、ある除草剤に耐えられるように遺伝子組み換えがさたコーンを食べさせたネズミ、
- B群は遺伝子組み換えがされ、かつ除草剤を使って育てたコーンを食べさせたネズミ、
- C群は遺伝子組み換えではないが、除草剤を使って育てたコーンを食べさせたネズミ
である。
ここからわかることは、遺伝子組み換えも除草剤も、共に生物にとって有害であり、そのコンボで有害性は高まる、ということだ。
この除草剤の影響を、アルゼンチンを例に見てみよう。
南米、アルゼンチンは世界第3位の大豆輸出国。この国で遺伝子組み換え大豆の栽培が始まってから、大量の除草剤ラウンドアップが飛行機で空中散布されるようになった。
アルゼンチンで遺伝子組換え大豆の栽培が本格化したのは2000年。その2年後から、ガン、不妊、死産、流産、そして出生異常が急速に増えてきたという。
アルゼンチン、チャコ州アヴィアテライのカミラ・ヴェロンちゃん(2歳)(↑)は多臓器不全と重度の障害を持って生まれた。
『ここでは大量に毒を噴霧しているから、それに汚染された飲み水のせいだろう』と、母親はいろいろな人から言われたという。
医師も母親に、農薬が原因である可能性について言及している。
アルゼンチン、チャコ州アヴィアテライに住む、アイザ・カノちゃん(5歳)(↑)は、生まれたときから全身に黒い斑点がある。
この先天異常も農薬と関連している可能性がある、と医師は言う。
アルゼンチンで遺伝子組み換え農業が劇的に広まって以来、チャコ州では重度の先天的異常を持って生まれてくる子どもが4倍に増えたという。
アルゼンチン、エントレリオス州バサイルバソに住むファビアン・トマシさん(47歳)(↑)はかつて農園で働いており、噴霧用の飛行機に積むタンクに農薬を注入する係りだった。
しかし彼は農薬の扱いについて訓練を受けたことは一度もなかったという。『わたしは何百万リットルもの農薬を準備しましたが、何の防護もしませんでした。
手袋、マスク、防護服など何も身に付けませんでした。わたしは何も知らなかったのです』と彼は言う。
彼は多発性神経障害を発症していて、その痩せ衰えた体は、もはや死が間近に迫っていることを示している。
引用:サルでもわかる遺伝子組み換え GMは健康に問題
このように、遺伝子組み換え&除草剤というコンボは、食品自体・それを育む環境において、危険MAXなのである。
では、なぜ、このような危険性がある遺伝子組み換え食品を、国や企業はどんどん推し進めているのだろうか?
人類のためを想った積極的チャレンジ、という無垢な目的などではない。
一部企業による独占販売という裏の目的が、そこには確かに存在する。
遺伝子組み換え食物を作った最大のメーカーは「モンサント」という会社です。
この会社はもともと科学薬品のメーカーでケミカルを作っていました。
そして農薬を作る会社で有名だったわけです。昔、ベトナム戦争がありましたよね。
その時に、アメリカ側が敵を見つけやすくするために、ジャングルの草を全部枯れさせて視界ををよくしました。
そして、その時使った枯葉剤というのを被ったベトナム人の人々の中に、多くの奇形児が生まれてしまいました。
ベトちゃんドクちゃんという子供たちの名前は有名ですよね。
その枯葉剤のメーカーが「モンサント」だったわけです。そのモンサント社が1970年代に除草剤を作りました。
その農薬の名前を「ラウンドアップ」と言います。
成分はグリホサートという発がん性が認められているものです。この農薬は、ものすごい大反響で売れに売れました。
必要のない雑草がどんどん枯れるので、便利だからです。
しかし、モンサントは当時大きな問題を抱えていました。
特許というのは20年がリミットだからです。1970年に発売されたラウンドアップは1990年に特許が切れるということになります。
特許が切れてしまうと、同じ成分で他社が同じような商品を作り出すのです。そこで考えたのが、遺伝子組み換え作物でした。
どういうことかというと、まず、畑には雑草が生えますよね。
それをラウンドアップで枯らすのですが、そのラウンドアップを撒いても枯れない作物の種を開発したということです。
除草剤を撒いても遺伝子組み換え作物なら、枯れずに雑草だけが枯れるのですからとても楽ちんですよね。
何のために遺伝子組み換え作物を作ったのか?
その答えは「農薬を売るために作られた」ということです。
遺伝子組み換えの種と農薬はいつでもセットなのです。
この種が売れ続ける限り、農薬は売れ続けます。
今のモンサントのラウンドアップの売り上げを支えているのは遺伝子組み換え作物の種です。
アメリカの小麦粉、とうもろこし、じゃがいもの90%は遺伝子組み換え作物です。
その90%はモンサントのラウンドアップが撒かれて作られています。…
世界で日本人が一番遺伝子組み換え作物を食べているという事実があるにも関わらず、その事実も知らない日本はこの問題に対して意識が薄いままです。
このままでいいのですか?
何故、こんなにも日本はガンが多いのでしょうか?
引用:渡米して見つけた「慢性病を自然治癒力で改善する方法」遺伝子組み換え作物は農薬を売るために作られた !
そして、アメリカの安価な遺伝子組み換えトウモロコシは、牛などの家畜を大量生産するための飼料となって、間接的に人々の口に運ばれている。
肉はエサで成り立っている。
だから、遺伝子組み換えコーンで育った牛を食うことは、農薬と遺伝子組み換えコーンを食っているのと、ほとんど変わらない。
また、本来、牛は牧草を食べるものなのだが、穀物をムリヤリ食わされることにより、胃に穴が空き、ウイルス性の病気になる。
この農薬+キメラ肉+ウイルスの生物科学兵器は、安価なマックのパティなどになり、貧困層の主食となる。
それが基で、子供が死んだりしている。
この映画では、以上のような資本家のビジネスための化学食品を、「工業食品」と定義している。
しかし、それを食べる人間も、人間のために命を捧げてくれる動物も、尊厳ある生き物なのである。
人間も動物も、痛みを感じるし、できるだけ長く、健康に生きたいと望んでいるのである。
そんな生き物が、ベルトコンベヤーの先でどんどん金に変わっていく姿をこの映画を見て、同じ生物としての痛みを感じ(善)、「何とかしなきゃ」と心が動かされない人間はいない(美)。
世界を変えるのは、一人一人が自分の目で向き合うか、向き合わないかの違いである(真)。
きちんと向き合えば、動物は俺達に「活かしてくれよ」って命を差し出してくれるだろう。
向き合わないと、無念を秘めた命は成仏せず、人間を呪い殺すだろう。
「工場」から遠く離れた、不自然なレストランで。
…
…
遺伝子組み換え食品は、「選択と集中」の論理である。
これは、一部の資本家だけの利益を選択し、そこに無知でひ弱な生き物を集め、搾取するというものに他ならない。
それには、どの食品に遺伝子組み換え作物が使われているのか、見分けがつかなければならない。
日本では、
- 1.大豆(枝豆及び大豆もやしを含む。) 2.とうもろこし 3.ばれいしょ 4.なたね 5.綿実 6.アルファルファ 7.てん菜 8.パパイヤの、8つの作物及び、
- これらを原料に使用している加工食品のうち、豆腐やポップコーンなどの、33品目
に流通が認められ、遺伝子組み換え表示の対象となってる。
そして、これらに「遺伝子組換えでない」との表示を認める基準を、2023年4月から厳しくすることが決まった。
下図で概要をまとめたから、これを基にリンク先等でさらに学んでみてくれ。
「知は力なり」
参考リンク:
- 食品IT NAVI 2023年改正!遺伝子組換え表示制度の概要をおさらい
- 消費者庁 遺伝子組み換え食品
ポイントとしては、「厳しくなった」と言いつつも、以下のような抜け道があることである。
- 分別流通管理済みの「意図せざる混入」について、これは本当は意図していたのに言い逃れができてしまうのではないか、また言い逃れを許容するものなのではないか
- 加工食品3は、遺伝子組み換えがなされた遺伝子が「広く認められた最新の技術によっても検出できない」ときは非表示となるが、この「広く認められた最新の技術」って出し惜しみされているのではないか、そもそも遺伝子が検出できなくとも有害成分は残っているのではないか
- 「主たる原材料でない」場合は非表示となるが、「入っている・入っていない」の問題を「程度問題」にすり替えるものであり、購入者の自由選択を認める趣旨に反している
- 人間が直接食べる食品に表示義務があっても、これらを飼料とする動物からの間接的摂取に対する防衛策とはならない
ヤバいのは、アメリカ、カナダ、ブラジル、アルゼンチンあたりからの輸入だ18。
今「発散」してしまっているポイズンキメラは中立からこぼれ落ちている。
身土不ニ!できるだけ、国産かつ自然に近いもの(↓記事参照)を「選択」することで、申し訳ないが、退場してもらおう。
そもそも、遺伝子組み換え技術自体、その影響は未知な部分が多すぎ、中立に収まるか大いに疑問である。
「発散と選択」の論理からすれば、世界の穴を埋めるための学問・研究の自由は発散の範囲であり、許容される。
だが、慎重な選択プロセスを経るまえに、「なぜ、世に出したのか」
第1章 あとがき
いかがだっただろうか。
俺たちがこのカオスな世界で、なるべく長く楽しく遊ぶには、「発散と選択」の論理で多様性を守るのが肝要なのであり、これは遺伝子レベルから基礎づけらた生存戦略であることわかってもらえたと思う。
そして、この多様性は、
- 個人レベルでは、傷から逃げずに広く学んで教養を身につけること、
- 人間レベルでは、そのような「アホ」に対して寛容であること、
- 全生命体レベルでは、リーダーとして「真・善・美」の心を持って命に接すること
により実現するのだったな。
では、以上のような多様性を維持していくには、具体的に、どうすればいいのか?
そして、今の日本社会は、多様性を維持するシステムになっているのだろうか?
…
…
長くなったから、次にしよう。
キーワードは、「遊び」。
- オリンピック
- アボリジニのクラ交易(贈与交換)
- 訴訟、法律
- 学び(哲学)
- 仕事
- そして、「国家」
全部遊びである。
これらが、なぜ多様性の確保と関係があるのか。
遊びって何なのか。
その不思議な香りを残して、第1章を終える。
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